円山応挙の孫弟子「慶徳院」麻呂子親王「円頓寺」行基「本願寺」【丹後王国シリーズ】
丹後地域に伝わる麻呂子親王(金丸親王)の七仏薬師承の伝わる寺。麻呂子親王は聖徳太子の弟にあたり、大江山に棲んで、人々を苦しめていた鬼たちを、薬師如来の加護を得て退治した。そしてその恩に報いるために七駆の薬師如来を彫刻し、丹後の七カ寺に分置したといわれています。そのうちの一つがここに安置されている「薬師如来像@重文」とのこと。
ということで、由緒が竹野神社・斎宮神社と繋がりがある神社ですね。
変更履歴
2023/08/05 初版
▼HP、アクセス、本尊
※後述の「▼見どころ」参照
▼見どころ
▽慶徳院(京都府京丹後市峰山町五箇1792)
比沼麻奈為神社(私のNOTE)に向かっているときに看板が出ている。円山応挙の孫弟子にあたる、長澤芦洲のふすま絵44点を保存している。
▽円頓寺(京都府京丹後市久美浜町円頓寺)※麻呂子親王(金丸親王)の七仏薬師
丹後地域に伝わる麻呂子親王(金丸親王)の七仏薬師承の伝わる寺。麻呂子親王は聖徳太子の弟にあたり、大江山に棲んで、人々を苦しめていた鬼たちを、薬師如来の加護を得て退治した。そしてその恩に報いるために七駆の薬師如来を彫刻し、丹後の七カ寺に分置したといわれています。そのうちの一つがここに安置されている「薬師如来像@重文」とのこと。
▽本願寺(京都府京丹後市久美浜町1)
730年に行基が開いたという古刹。
縁起によると、730年に行基がこの地を訪れ、一本の大樹に群集していた鴫がたちまち仏に姿をかえ西の空へ飛び去るという瑞相があり、この大樹で阿弥陀如来立像を刻んだのが始まり。
本堂は「阿弥陀堂@重文」は鎌倉時代のもので、厨子内に安置している。その後、恵心僧都が復興したと伝える。本堂は鎌倉後期のものと見られ、桁行5間、梁間5間、単層入母屋造で、檜皮葺の屋根で国重文である。
行基自作の行基菩薩行脚像、源信作の阿弥陀仏、唐より伝わった善導大師像など、一級品の寺宝も多く所蔵している。
▼旅行記
▼セットで行くところ
▼仏像展
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