奇跡?快慶×行快の仏像たち「大報恩寺(千本釈迦堂)」運慶&快慶コラボ、肥後定慶×行快の次世代慶派を堪能
個人的に京都市内で一番好きな仏像寺はここ!!快慶、行快、肥後定慶、そして運慶工房と快慶工房のコラボした仏像が集結している!清凉寺こと嵯峨釈迦堂とともに京都の釈迦信仰の中心だった寺で「千本の釈迦堂」「北野釈迦堂」とも呼ばれていた。また、新西国三十三箇所第16番札所でもある。
国宝仏師の「快慶」&「行快」の師弟コンビと運慶3男で観音を作らせたら慶派No.1の肥後定慶作で日本で唯一の変化六観音@重文たちが揃っている寺。また、快慶工房と運慶工房の合同プロジェクト「十大弟子@重文」も注目!2018年に東京国立博物館で出開帳し、2019年春には九州国立博物館に出開帳!!快慶作の十大弟子は京都・清涼寺の影響を受けたと思っており、繁忙期だったのか?快慶が設計をし、制作は運慶工房と快慶工房のコラボであったことがわかっている。本尊は快慶の愛弟子・行快で、日本唯一の変化六観音@重文の製作者・肥後定慶と日本を代表する慶派の仏像寺である!!
変更履歴
2023/04/01 参拝したので写真増量
2022/02/02 某テレビ番組の情報を追記(仏像の説明追記)
2021/11/13 PC整理のメモを貼り付け
2021/09/23 写真・リンク追加
2021/07/30 初版
参拝
駐車場はないが、西側の門(学校沿い)から入ると空きスペースがあるので、そこに停める。北野天満宮に車を停めて上七軒を通り、ここまでテクテクするのもよいかも。
こことセットで行くなら、北野天満宮、平野神社、引接寺(千本閻魔堂)、大将軍八神社、石像寺あたりですね。
▼見どころ
北野天満宮とつながりの強い仏像寺。京都市内は応仁の乱で焼失したところも多いが、ここの本堂は残っており、京都最古の建造物で国宝である。
1221年、猫間(ねこま)中納言・藤原光隆の家卒・岸高によりこの地が寄進される
天台僧・義空(ぎくう)上人が、小堂を建てる
現在、宝物館に安置されている快慶作「十大弟子」を安置したことに始まる
1223年、大堂が建立される
1227年、現在の本堂が建立される
1264年から1274年、2世・如輪上人澄空(にょりん)により、堂宇伽藍が整備される
釈迦念仏(千本の釈迦念仏)が始められる
1299年、朝廷は四海安全祈願のため僧一人の増員、法華三昧勤行を命じた
1363年、足利尊氏の命により、涅槃講を行う
応仁・文明の乱で、西軍の中心地に位置しており、伽藍は焼失した
ただ、両陣営から保護され、本堂だけは奇跡的に焼失を免れた
1591年、豊臣秀吉により寺領の替え地100石を与えられる
1730年、大火により伽藍は焼失するが、本堂だけ免れる
1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、北野天満宮の仏教伽藍の破壊が行われ、北野経王堂願成就寺(経王堂)は、当寺に観音堂として移築される
1956年、旧経王堂の遺材により経王堂が再建される
1966年、北野経会が復活
→表参道
→稲荷社
→北野天満宮ゆかりの「北野経王堂願成就寺」
宝物館には権力者の朱印状、北野天満宮との繋がり、菅原道真が彫った十一面観音立像@重文などある。
→不動明堂
→桜
→おかめ塚
ある日、棟梁の妻である「おかめ(阿亀)」は、夫が本堂の柱を切りすぎてしまったことに気づき、枡組を使うよう助言します。おかめの機知で無事に本堂が完成しますが、おかめは専門家でもない女が入れ知恵をしたと世間に知られると夫の立場がなくなると考え、上棟式を待たずに自害してしまう。
賢いうえに謙虚で思いやりのあるおかめの姿は貞女の鑑としてたたえられ、境内には供養塔が建てられ「おかめ塚」と呼ばれるようになる。
おかめ像とあわせて厄除・招福信仰のシンボルであり、縁結びや夫婦円満などのご利益があるとされている。
→本堂@国宝、本尊:行快作「釈迦如来坐像@重文」
1227年に完成した本堂は、応仁の乱では西軍の本営となったおかげで兵火を免れ、幾多の災害でも奇跡的に焼失を避けられた。そのため、創建当時の姿が残り国宝。
本尊は、快慶の愛弟子・行快作「釈迦如来坐像@重文」で毎年数日だけ公開される。像内にに銘文が朱漆で「巧匠法眼行快」とある。新薬師寺の薬師如来坐像と同じくパッチリした目で、眼力があるが優しさがある。
行快は快慶の弟子で、長谷寺本尊を快慶が再興した際にはその片腕として活躍したことが分かっている。この時代、仏師は法橋、法眼、法印という位を与えられた。運慶は法印まで昇りつめ、快慶・行快は法橋を得た後、法眼までとなっている。ただ、私は快慶派である。
面白いのは本尊を守る十大弟子(後述)だが、それよりも本尊のほうが若い(新しい)ということだ。考えられるのは以下の通りだが、まあ~何はともあれ、これだけの名仏師の名作があるんだから、ずばり素晴らしい!!
・いい人説
快慶は、南都復興ので法橋の地位を慶派主流・運慶の子に譲る形になっている。ってしまう。自ら譲ったのか、譲らされたのか、それはわからないが。。
・出世欲なし
「アン阿弥陀仏」と称し、仏への信仰があつく、長谷寺本尊を再興した際には、「長谷寺再興縁起」によると人望があったようだ。自ら脇役にまわって、プロジェクトリーダを弟子・行快に譲ったのかも。
・快慶工房の後継者へ引継ぎ
晩年で後継者の行快に任せた。京都・極楽寺の三尺阿弥陀如来立像に、快慶と行快の墨書が残っており、快慶の銘には「没」が入っている。もしかしたら、この制作時期には一線を退いたのかも。
本堂内から境内の写真数枚。
内陣の柱には矢や刃物の傷が多く見られるなど、戦乱の痕跡も残っている。京都市内最古の木族建築物。
おかめさん奉納ゾーン!!
→宝物館
宝物館には運慶・快慶工房合作の十大弟子、唯一無二の変化六観音、菅原道真作の千手観音座像などが安置され、仏像好きオススメ寺の1つ。先に仏像展での動画紹介後に、感想を記します。
〇快慶作「十大弟子@国宝・重文」仏像は公式HP
本尊釈迦如来像の眷属としてもともと本堂に安置されていた像と考えられている。運慶工房・快慶工房のコラボで作られた「十大弟子@国宝・重文」が安置されている。
運慶工房と快慶工房の見極め
運慶工房はリアリティを追っているので、頭の形は丸くなく、袈裟の丈も短いのが特徴。快慶工房は頭は丸く、袈裟が長いので引きづりながら歩く感じになっているが、忠実に表現されている。
また、某仏師曰く、背中の衣文が規則的なものが快慶工房で、ランダムでリアルなのが運慶だとか。って、寺では見れませんが・・。
墨書
目犍連尊者像は、足ほぞに「巧匠法眼快慶」と墨書があり、台座には「正三位行兵部卿藤原朝臣忠行」の陰刻銘がある。
優婆離尊者像の像内には一部読めないところがあるものの、「法眼快慶」、「行快法橋」と考えられる名前がある。
〇肥後定慶作「変化六観音@重文(聖/千手/馬頭/十一面/准泜/如意輪)」2/02更新
日本No.1の「変化六観音@重文」が安置されている。
この変化六観音は運慶の三男坊説が強い・肥後定慶作で、左から聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音で女性的な素晴らしい仏像。
地獄道は聖観音立像は阿弥陀如来が変化した姿。
この聖観音は鞍馬寺の聖観音と瓜二つとか。確かに似ています。
餓鬼道の千手観音立像は生きとし生けるものすべてを漏らさずに救う大いなる慈悲を表現する菩薩。
畜生道の馬頭観音立像は怒りの形相で悪を粉砕する菩薩で頭の上に馬は人々の煩悩を食い尽くす。
修羅道の十一面観音立像は苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭に十一面持っている。
人間道の准胝観音立像。准胝とは「限りない清浄」を意味し、限りなく仏を誕生させる心理そのものを表すようです。(ちょっと私には意味が分からない・・)
天道の如意輪観音立像。「如意」は知恵・財宝などを指す。
この肥後定慶の仏像を見ると、確かに各仏像の顔が運慶チックなんですよね。
〇銅造釈迦誕生仏@重文 仏像は公式HP
東大寺などでも有名な「釈迦が生まれてすぐ立ち上がり天を指す」姿の仏像。大きさが特徴ですね。
▼旅行記
▼仏像展
▽快慶展
▽京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ
→東京国立博物館(紹介動画)
→九州国立博物館(紹介動画)
▼快慶まとめ
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