京都代表「伏見稲荷大社」秦氏ゆかり神社【京都】稲荷山
平安遷都よりも古く、711年創建と伝わる。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山をご神体とする稲荷神社の本宮。全国に約3万社あるといわれ、どの神社に行っても、摂社・末社には稲荷社があるぐらい庶民権を得た神社!?
この神社は何といっても「千本鳥居」。 これは江戸時代以降に、願いごとが「通るように」または「通った」というお礼をこめて、鳥居を奉納する習慣が広まったことによるものだとか。1300年の歴史を思えば、まだ新しいことのように感じますね。
この神社は稲荷山をご神体とする神社で奥宮まで続く古社で、全部回るには2時間ほどかかる。『枕草子』を記した清少納言も、参詣したという稲荷山へ挑戦すべし。
あと、一言。京都は応仁の乱などで神社仏閣は甚大な被害を受けている。伏見稲荷大社も同じで、建物は全てを焼き尽くされたようだ。1499年には本殿などが再興され、また身近な神社として親しまれていくようになる。
▼変更履歴
2023/07/22 色々追記(「2023/5追加」「2023/7/22」をページ内検索)
2021/08/08 初版
▼HP
祭神
稲荷大神
稲荷大神は以下の五柱。『山城国風土記』より平安時代の時点で上社・中社・下社の三社が確立したと見られます。
▽宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ) - 下社(中央座)
「宇迦」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。ウカノミタマは、現在は穀物の神としてだけでなく、農業の神、商工業の神としても信仰されている。ちなみに寺になると顔が人間で体が蛇の「宇賀神」を祭る寺がある。
▽佐田彦大神(さたひこのおおかみ)- 中社(北座)
主祭神のウカノミタマの配神。記紀に登場する猿田彦神(さるたひこ)の別名とする説があるそうな。
たしかにサルタヒコは出雲生まれで、その生まれた神社は「佐太神社」とされる。何かつながりがある!?
ちなみにこの佐太神社は出雲二ノ宮で出雲國内でも重要な地位を占めてきており、佐太神社境内に田中神社がある。
▽大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ) - 上社(南座)
天岩戸から新殿に移った天照大神に侍女として仕えたようだ。京都府京丹後市の二ノ宮「大宮売神社」とつながりがある?
▽田中大神(たなかのおおかみ) - 下社摂社(最北座)
由緒がはっきり分かっておらず、伏見稲荷大社では「稲荷神と何らかの深い関わりがある地主神、あるいは土着神的傾向が濃厚」としている。
江戸時代後期に編纂した『稲荷社事実考証記』には、平安時代末期に稲荷社に加わった田中社を鴨建角身命または八咫烏神と称すると記されている。賀茂氏と秦氏のつながりがある神様かも?
ちなみに前述のとおり出雲にある佐太神社境内には田中神社があるのだが、偶然か?下鴨神社にはスサノオとオオクニヌシが楼門内に祀られているのも気になる。
▽四大神(しのおおかみ) - 中社摂社(最南座)
由緒がはっきり分かっておらず、伏見稲荷大社では「稲荷神と何らかの深い関わりがある地主神、あるいは土着神的傾向が濃厚」としている
って、佐太神社と同じですね・・この謎とする魅惑の神様
▼見どころ
稲荷の総本宮で、こちらも秦氏の氏社である。由緒は公式HP参照で。
千本鳥居が有名で、いつも人が多いです。本気で参拝すると奥宮まで参ると結構な時間が掛かります。有名な千本鳥居を登り切った後で、背後に奥社奉拝所があり、その奥に「おもかる石」があります。
長いので箇条書き説明を先に
711年、平安遷都よりも古い創建
稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山をご神体とする稲荷神社の本宮
お稲荷さんと呼ばれるが、由来は『山城国風土記』によると創建した秦伊具呂が餅を的に矢は射たところ餅が白い鳥になり舞い降りたところが稲が実り、豊作になったことから「イナリ」となったとか
816年、空海が紀州の田辺で稲荷伸の化身と会い、密教を広めたいから東寺に来てと言った。(東寺の古門書)
823年、稲荷伸がやってきて祀ったのが伏見稲荷とか(東寺の古門書)
827年、淳和天皇が病に倒れた原因は、東寺造営のために稲荷山の御神木を伐ったことの祟りであった・・・
908年、藤原時平の寄進により社殿が造営
927年、『延喜式神名帳』には名神大社、二十二社の上七社にとなtっている
全国に約3万社あるといわれ、どの神社に行っても、摂社・末社には稲荷社があるぐらい庶民権を得た神社
稲荷山をご神体とする神社で全部回るには2時間ほどかかる
『枕草子』にも出てきており、厳しい登山の様子が書かれている
『山城国風土記』より平安時代の時点で上社・中社・下社の三社が確立した
祭神は、宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神 、田中大神、四大神
宇迦之御魂大神(ウカノミタマ)は『古事記』ではスサノオの子、『日本書紀』ではイザナギとイザナミ子
有名な千本鳥居を登り切った後で、背後に奥社奉拝所があり、その奥に「おもかる石」がある
応仁の乱などで、ここも甚大な被害を受けている
『稲荷社事実考証記』には、平安時代末期に稲荷社に加わった田中社を鴨建角身命または八咫烏神と称すると記されている
1438年、山頂にあった稲荷の祠を山麓に遷座させるが応仁の乱で全焼する・・・
1499年、本殿などが再興され、また身近な神社として親しまれていくようになる
1588年か1589年、豊臣秀吉が母の大政所の平癒を祈願し、成就したことから寄進を行う
この神社は何といっても「千本鳥居」だが、千本鳥居は江戸時代以降に、願いごとが「通るように」または「通った」というお礼をこめて、鳥居を奉納する習慣が広まったことによるもの
千本鳥居の起源はは東京・三囲神社にあるとも言われている
今でも、毎月1日は「月次祭」が行われ、巫女の神楽を見ることができる(2023/07/22追記)
4月は一番、神事が多い月なので、行くなら4月が良いかもしれない
▽楼門@重文
京都市内の神社の楼門の中でも一番古く、最大とされている。1589年に豊臣秀吉により再建された。
秀吉は幼いころから稲荷社へ参拝しており、その繋がりから奉納したとか。その神社は熱田神宮の稲荷社です。
病気になった母を延命してほしい!と伏見稲荷大社にお願いしたところ、病気は治癒したので奉納したんだそうな。昭和に修復したときに楼門の墨書と書状から史実とされる。
↓-----2023/07/22
楼門の前には稲荷大神のお使いで、右の稲荷は宝珠、左は蔵のカギを咥えている。このほか、境内には稲など様々な神社所縁のものを咥えているのも注目ポイント。
▽拝殿、本殿、奥宮@重文、白狐社
五穀豊穣や商売繁盛の神様として庶民から絶大な信仰を集めている。本殿中央の下社には主祭神・ウカノミタマ、左の中社にはサルタヒコ、右の上社には大宮能売大神、左右摂社に田中大神と四大神をお祀りしている。
「お稲荷さん」とか「稲荷大明神」として崇敬される稲荷大神とは、五柱の神様の総称。
ちなみに本殿は1499年に再建されたもの。
▽千本鳥居、命婦参道
左右に分かれた参道は奥社奉拝所へ。左右どちらを通っても構わないのだが、人が写らないようにするには朝早くいくしかないようだ。
※説明不要ですね
千本鳥居はここからです。実際は1万ほどあるようですね・・。
↓-----2023/07/22
千本鳥居は御神木である杉で出来ており、社殿と同じ「稲荷塗」という豊穣を表す色である。
↑-----2023/07/22
▽奥社奉拝所
千本鳥居をぬけたところにある。ご神体・稲荷山にある奥宮へ行けない人はここで折り返しどうぞ。一般には「奥の院」の名で知られている。
右側に行くと、神社アトラクション「おもかる石」があります。あなたの願いが成就するなら軽く持ち上がるはず!!
奥宮に行く方は左側の鳥居へ進むべし。
▽おもかる石
奥社奉拝所右奥に進むと「おもかる石」がある。願いごとを思いながら、石灯籠上の宝珠石を持ち上げ、予想より軽ければ願いが叶うそう。
京都・今宮神社、奈良・飛鳥坐神社、大阪・住吉大社、和歌山・高野山奥の院、福井・劔神社にもある神社トラクションである。
▽お山めぐり
山に沿うように「お塚」と呼ばれる神様の祠(ほこら)が密集しているところで、人によっては不気味と思う人もいるかも。まあ~無理せず、許される時間で回ればよいかと。帰る時間も忘れずに。。
▽お山めぐり:熊鷹社(くまたかしゃ)
新池に突き出すように鎮座している神社で、祭神は勝負ごとや商売繁盛の神「熊鷹大神」が祀られている。一発勝負をかけたい時にお参りすると、良い運気が得られるとか。
ローソクを奉納すると、火打石を打ってお清めをしてもらえる。新池「こだま池」で、手をたたいて、こだまが返ってきた方向に探しものがあると言われている。
▽お山めぐり:お塚
陰の空気に感じるのだが、伏見稲荷大社のランダムにひしめくお塚がすごい迫力を感じる。稲荷山全体でのお塚の数は、昭和初めには約2500基、昭和41年には7762基、そして現在では一万を下らないと言われている。
そのなかで瓢箪(ひょうたん)の形からお酒の神様とあがめられている「大松大神のお塚」に到着する。古くから有名だったお塚の一つ。
伏見大神に個人的な神様の名前を付けたのが「お塚」である。そうそう瓢箪稲荷にもあったな・・。そういうことか・・。
▽お山めぐり:四ツ辻
三ツ辻から約15分ほど参道を上ったところ。
稲荷山から唯一京都市内を見渡す景色を堪能できる最終休憩所。京都の全体風景を写真におさめる人も多い場所。
ここから左右に分かれますがどちらでもよい。「薬力社」や「御劔社」などの見どころを巡りながら頂上を目指す「右回り」と、「三ノ峠」などを巡って頂上を目指す「左回り」ルートがある。
ここからは右ルートで説明。
ここにある「にしむら亭」という休憩所がある。1864年創業の老舗で、俳優・西村和彦氏の実家でもある(とテレビで言っていた)。
▽お山めぐり:眼力社(がんりきしゃ)
青竹をくわえた狐の像が目印で、病気平癒や商売の目先が利く(心眼、先見の明)・願力(入試、就職、結婚)に御利益があると言われている。「薬力の滝」という行場があるのだが、歴史は浅く、明治以降のお塚信仰の隆盛とともに整備されたようだ。
▽お山めぐり「薬力社(やくりきしゃ)」「おせき社」
眼力社から約10分のところにある。病気の回復や健康運にご利益があるとされている。近くには喉の神さまを祀る「おせき社」も。ここには健康長寿の湧き水があり、中には健脚を願う草履も奉納されている。
このご神水でゆでた「薬力健康たまご」が、神社の向かいの店「薬力亭」で売られている。
▽お山めぐり「御劔社(みつるぎしゃ・長者社)」「劔石」
祭神は「賀茂玉依姫命」という賀茂系の神様である。雷神・龍神が宿るとする劔石(つるぎいし)は、別名「雷石」と呼ばれている約3メートルもの磐座。
さて、ここで賀茂氏と秦氏のつながりを「山城国風土記」より記す。
そして、この矢は大山咋神(松尾大社)ということになるはず。
最後に、この手の話は奈良・大神神社にもある話である。
▽お山めぐり:一ノ峰上社 (いちのみねかみしゃ)「末広社」
今から1300年以上の昔に「稲荷大明神」が舞い降りた、稲荷信仰の原点はここ。古来より「末広大神」と言われ「末広社」と呼ばれている。
祭神は「大宮能売大神(おおみやのめ)」という謎多き女神が祀られている。
▽お山めぐり:荒木神社
恋愛だけではなく、求人や就職など、人との良縁を結ぶところ。荒木神社の境内に「口入稲荷神社」がある。
▼東寺と伏見稲荷大社「神幸祭」(4月20日近く) ※2023/5追加
827年、淳和天皇が体調を崩した原因が東寺の五重塔の用材に稲荷山の木を伐採したのが原因だったようだ。朝廷が稲荷大神を南東の鎮護の神社となっていく。
そこから東寺の近くにあるお旅所に行き、東寺もよることになっている。
▼お祭り&祭祀 2023/07/22追加
6月の「田植祭」
11月の「火焚祭」
▼オマケ:お山巡りしてみる
他力本願で、行った気にもなれる記事ですね。
▼旅行記
▼セットで行くところ(京阪沿線)
ちょっと北に行けば「東福寺」「御寺 泉涌寺」「清水寺周辺」「下鴨神社」などもありますので、好きなところをどうぞ。あと、大阪方面へは歴史的に重要である「石清水八幡宮」にも行けます。宇治方面もありかな。
▽東福寺・御寺 泉涌寺
▽清水寺
▽下鴨神社
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