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応神王朝の政権確立が内部闘争を着火
やまとみずほの国に生まれて 第三十九話
倭国は伊国、漢委奴国王印、魏志伊人伝に登場する奴国は長国が制圧した。第九話挿話「狗奴国がまさかの邪馬台国連合国」、長国が制圧した他の奴国と区別して、狗奴国は御長国。国譲りで阿波から紀伊へ移った。倭の五王も伊の五王、欠史八代は奈良の出先機関。実権は阿波と讃岐の伊国にあった。第三十六話「天皇家探すはお門違い⁉倭の五王まとめ」倭王武は武埴安彦。
第10代崇神天皇が討ち実権は阿波から奈良へ移る。247年の邪馬台国の朝貢が卑弥呼が三貴神の時代にて、神武天皇即位が300年前後。倭王武の朝貢が487年、9代で180年は親子相続にて、平均在位20年はちょうどいい。日本書紀が記す遣隋使は、第33代推古天皇の608年だ。隋書が記す600年多利思北孤の遣隋使を無視するのは、伊の五王の家系だった。
130年23代ではなく兄弟相続があり12世代だが、11年での世代交代はおかしい。第三十五話「狭穂姫忘れ形見復讐に現る八幡神は秦氏」にて、
第15代応神天皇を第11代垂仁天皇の皇子と解き、3世代削れ9世代だ。第26代継体天皇は応神天皇五世孫は工作。第25代武烈天皇は幻に加え、一世代ずれて実際は孫だ。7世代なら平均は18.5年で世代交代となる。
仁徳天皇が聖帝と言われる由縁は、課税と労役を6年間免除した。高い山から国見をすると、炊事する煙が昇っていなかった。いきなり6年ではなく、 3年後に国見をして3年延長。五穀を食するのに煮炊きが必須。課税を再開したら、治水灌漑工事を多発するから重税のカモフラージュ。残土を盛って仁徳天皇陵らの古墳群の造成はない。田畑はいくらあったっていいはずだ。
目的は中国からの使節に、大阪湾から国の威容を見せつけた。工事はもっと後かもしれない。公共工事は大和王権が確立した証拠、権力闘争が起きる。第一皇子の第17代履中天皇が立太子していたのに、第二皇子住吉仲皇子のが反乱を近習に誅殺させたのが、第三皇子の第18代反正天皇、二人の在位期間は短く、履中天皇が6年、反正天皇が5年。仕方なく次の天皇も兄弟。
二人の同母弟の第19代允恭天皇、履中天皇は病死と記されるが、反正天皇の死因が記録されず、事績も無くとても怪しく、皇太子も立てず崩御する。 允恭天皇は病気を理由に即位を固辞、兄弟天皇なのに、皇居が転々と移るのが疑惑に拍車をかける。履中天皇は大江之伊邪本和気命、磐余稚桜宮だが、
神功皇后皇居の磐余若桜宮と微妙に一字違う。神功皇后の創作に利用した。
仁徳天皇は難波高津宮、実際は鳴門の高島だ。ちなみに第26代継体天皇が生まれた高島と同じ。仁徳天皇に命じられ、奈良に出向していた履中天皇が
そのまま奈良で即位した。反正天皇は蝮之水歯別命、丹比柴籬宮は柴籬神社と比定される。阿波でもなく奈良でもない大阪に構えたか。そして允恭天皇は男浅津間若子宿禰命、日本書紀は遷都を記さず古事記は遠飛鳥宮と記す。
第十五話「少彦名命も大物主神も大国主神」、飛鳥の大元は阿崇火、剣山の光の柱。推古天皇が即位した豊浦宮は、小松島市にある豊浦神社だ。そして遠飛鳥宮は、遠都祖神社に名を残す。奈良に残る飛鳥は、中国使節を歓待するための施設、普段天皇は阿波に居住する。第20代安康天皇は允恭天皇の第二皇子、第21代雄略天皇は弟の第五皇子だが、まだまだ宮は揺れ動く。
第三十二話「白鳥神社を特定したら倭の五王が出現」、安康天皇は穴穂御子石上穴穂宮は奈良の石上神宮ではない。白鳥神社の東に、石上神社が二つも残る。日本書紀では穴穂天皇、暗殺された明記された最初の天皇だ。即位後3年で皇后の連れ子、眉輪王に熟睡中に刺殺される。実父の大草香皇子が、無実の罪を着せられ、安康天皇に誅殺されたと天皇と皇后の話を盗み聞き。
眉輪王は雄略天皇に焼き殺されるから凄まじい。雄略天皇は大長谷若建命、泊瀬朝倉宮は大和川沿い、脇本遺跡も推定地だ。長谷寺付近は初瀬川と言い都と言うより軍事拠点の様相だ。雄略天皇は倭王武の最有力候補の所以は、稲荷山古墳出土鉄剣に「獲加多支鹵大王」の文字。「ワカタケル」と読み、日本書紀の大泊瀬幼武の中の「幼武」、古事記の「若建」でも辻褄は合う。
鉄剣は辛亥年を刻み、倭王武も雄略天皇と471年が定説だが、531年説もある。「ワカタケル」ではなく「ワカタリシ」だ。「支」ではなく「吏」「鹵」は「歯」だ。第13代成務天皇は若帯日子天皇。倭王武の武埴安彦は第九代開化天皇の異母兄弟だから、478年に武埴安彦が朝貢して、鉄剣の「若帯」が第13代成務天皇とすれば、531年説にピッタリ当て嵌まる。
姓は阿毎、字は多利思北孤、倭語なら天帯比古。「タリシ」が「タラシ」。