阿波から麁服を下賜する片鱗が見えた
やまとみずほの国に生まれて 第二十四話
第二十三話「阿波本家を断絶した綏靖天皇の殺人」の通り、弟師木が支配する磐余邑へ第二代綏靖天皇が通い、第三代安寧天皇が育ってから宇迦斯兄弟を征伐する。兄宇迦斯を切り刻んで撒いて「宇陀の血原」になった赤色は、辰砂の赤にして、大和水銀鉱山が優秀で山が原っぱになるまで掘った暗号。水銀確保のための東征説を裏付ける。阿波本家の財政基盤の源泉が辰砂だ。
安寧天皇の御子三人のかかさんを日本書記は、事代主の孫の鴨王の娘である渟名底仲媛と記す。第二十一話「阿波を隠す神武東征が欠史八代を生む」において鴨王を事代主の息子と述べたが、葛城より前は「かも」と呼ばれていたから「かも」治めていた王は歴代みな鴨王なのだろう。しかし古事記では三人のかかさんを師木県主波延の娘の阿久斗比売とするが、多いに疑問だ。
確かに3人の御子のうち、師木津日子命は波延の娘が産んだんでしょうが、娘の名は消されている。神武天皇の阿波夫人は阿比良比売です。そして残りの二人の御子が通った先は美馬です。まず二人目の御子の息石耳命が通って天豊津媛命が生まれますが、これは阿波本家の天津神の家系です。そして、3人目の御子の第四代懿徳天皇が通い、第五代孝昭天皇が生まれるのです。
綏靖天皇が射殺した神武天皇の阿波の御子の多芸志美美命。射殺したは嘘と語りましたが、この代に阿波本家で後継者男子が途切れたから、息石耳命が婿入りするが、倭の国王いや伊の五王に繋がる息石耳命の子孫は記録されていない。懿徳天皇の和風諡号は大倭日子鉏友命。阿波の邪馬台国は倭、奈良に進出してから大倭を冠する懿徳天皇を正統な後継者にするしかなかった。
欠史八代は父から息子への直系継承が疑問視されるが、伊の五王を隠すのに必死。そして孝昭天皇の和風諡号の御真津日子訶恵志泥命が、美馬に通った証拠。大河吉野川の中流なら港があってしかるべき。美馬津。阿比良比売と阿久斗比売は同族だけど、系譜は不明。まだまだ通い婚の母系社会にこれは意図的な抹消だ。神武天皇と阿比良比売もほとんど同族の血縁結婚だろう。
瓊瓊杵に饒速日の他に本当の兄弟。神武は瓊瓊杵の子?瓊瓊杵は台与の子?
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