「英雄を必要とする国が不幸なのだ」
英雄と言って真っ先に思い浮かべる曲は、麻倉未稀の「ヒーロー」である。勇気をくれる名曲だ。CMのシャウトを最初に見た瞬間に大ヒットを確信した甲斐バンドの「HERO(ヒーローになる時、それは今)」も懐かしい。「コンフィデンスマンJP英雄編」冒頭のナレーションはやけにシリアスなので、どこかで聞いたことのある誰かの至言か名言だったかなと検索した。
かなり有名な言葉で、代表作に「三文オペラ」があるドイツ劇作家ブレストの地動説を唱えて教会と戦った「ガリレイの生涯」からの出典なのは簡単にわかった。前回は日本は英雄が必要ない平和な国と聞き流したのだろうか。しかし平和的なデモを国会前で行ったところで、裁判所へ憲法違反を訴えたところで、この国の支配体制に影響のある改革が行われることはないのだ。
「続近鉄大和西大寺駅北の安全地帯」について、英雄視してはいけないとか目的のためにどんな手段を選んでいいはずがないとか、宗教二世の問題とは切り離して裁かなければとかの論調だが、動機の面から切り離せるはずもないし、他にどんな手段を講じれば昨年の年末に新法が成立できたのだろう。本当に苦しんでいる宗教二世にとっては、英雄以外の何者でもないはずだ。
しかし「霊感詐欺ではダメなんでしょうか」に述べた通りに、新法成立前の被害を救済できない。それどころか新法の手段でこれまでに得た献金に問題がないとお墨付きを与えたようなものだ。霊視商法の詐欺集団として解散させられた明覚寺と何が違うのだろう。選挙応援により権力者と結びついているからとしか思えない。国の相談窓口には刑事もあったがどうなったのか。
刑事の詐欺罪は7年で時効だが、民事では損害がわかったときから3年なのである。これは本人が呪縛より解かれてからでも、家族が詐欺だと気づいてからでも訴訟できるのではないか。相談窓口を開くだけではなく集団訴訟の仕切りから訴訟費用の肩代わりぐらいできないのだろうか。この国は集票できる強者にやさしく弱者に厳しい。「英雄のいない国が不幸なのではない」