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応神天皇を解かす前に倭の五王を特定

やまとみずほの国に生まれて  第三十四話

第三十三話「永遠の超絶ヒロイン⁉神功皇后は聖母?」において三韓征伐は第二十一話「阿波を隠す神武東征が欠史八代を生む」と同じ理由で、歴代の成果をまとめた。その歴代とは倭の五王ではないか。倭国伊国の意味しかないのは、回想話「倭国の呪いが解けて邪馬台の由来が判明」にて述べた。かぐや姫神功皇后がモデルとの説を追っていくと、伊の五王を発見した。

第ニ十八話「鵠の倭建から白鳥の日本武尊へ飛翔」の通り神功皇后の家系は怪しい。神功皇后は第九代開化天皇第三皇子の日子坐王の玄孫だ。日子坐王の子、即ち皇后の曽祖父が山代之大筒木真若王なのだが、開化天皇の孫には大筒木垂根王がいる。大きな筒の木が竹から生まれたかぐや姫を想起するが大筒木垂根王の娘は、第十一代垂仁天皇の妃となる、ズバリ迦具夜比売だ。

そして大筒木垂根王の兄弟に讃岐垂根王がいる。讃岐垂根王がなら、讃と珍は兄弟だから、大筒木垂根王がだが根拠ない。の兄で二人の父がだが宋書倭国伝は済と珍の関係は記さないから、武は日本武尊でもいい。ととさんの第十二代景行天皇が済だがこちらも根拠はない。しかし神はコウと読める神櫛王が兄にいる。しかも古事記伝は神櫛王を讃王だと語るのだ。

讃王は瀬戸内海の悪魚を退治した讃留霊王とも言われ、日本書紀古事記では日本武尊と同母兄弟を異母兄弟と書き換え、讃岐国造の祖と記す。神櫛王が讃なら武は神功皇后より後、前提が崩れるが、讃岐は讃伎や賛支とも表記される。梁書倭伝は讃と珍を賛と彌と伝える。これで讃が讃岐王が確定だ。さらに梁書は彌と済を親子と記す。これまでの案ではこの系譜を辿れない。

第三十二話「白鳥神社を特定したら倭の五王が出現」では、武を武埴安彦、興を伊迦賀色許男、済を大綜麻杵とした。大綜麻杵のととさんは大矢口宿禰その兄弟には大水口宿禰がいる。彌が大矢口宿禰の根拠は、彌は宿禰の禰。大水口宿禰が賛の根拠は、倭迹迹日百襲姫と同じ夢を見て大物主神の祭主を大田田根子にするよう第十代崇神天皇に奏上したと、日本書紀は記録する。

水主神社主祭神の夜麻登登母母曽毘売を大水口宿禰が召喚。繋がる、継る。

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