らしく生きる
今日は雛の節句、雛人形を飾って女の子の健やかな成長を祝う日とされています。
私は小さい頃から、雛の節句を意識したことがほとんどありませんでした。
「女の子らしく」と言われて育った記憶があまりないのです。
両親の考え方がジェンダーレスだったのかは定かではありませんが、男女を意識することがあまりなかったのです。
それは、私の生き方に少なからず影響を与えています。体力的に男性より劣っている部分はあったにせよ、女だからこうしなければとか、女性なのだから我慢しなければというような思いをした事がほとんどありませんでした。
父の教えは「人としてこうあるべき」というもので、男女を区別して教えられた記憶がありません。
私が幼稚園の頃までは、父が田舎の山の小学校の教員だったので、近くの裏山でターザンごっこをして遊んでいました。近所のお兄さんやお姉さんたちと一緒にお転婆な毎日を過ごしていたのです。
小学校に入ってからは近所の空き地に並べられていた大きな円形のコンクリートの上に登って、金属工場の金属の破片を手裏剣代わりにして、忍者ごっこをして遊んでいた記憶が鮮明に残っています。
私は今68歳です。
私の年代の人たちは、まだまだ男女の個性を重視する教育をされていました。女の子らしく、男の子らしくと、らしさを大切に育てられていたと思います。
そんな時代に私は父から、男女ではなく、人としての教えを刷り込まれたような気がします。
もっと人に甘えられる女子力が高い自分であれば、また違った人生を歩んでいたのかも知れないなとも思いますが、女らしさよりもむしろ人としての道を説いてくれた父に私は感謝したいと思います。
調べてみると雛の節句も始まりは男女に関係なく人形に自分の厄を封じ込めて川に流すことから始まったようです。
今日は、雛の節句をきっかけに、自分の”らしさ”について考えてみました。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《お父さんは男女の区別をせんかった》
※92歳のばあばと娘の会話です。
「近所に女の子が少なかったんかなー、そんな環境もあらいねー、あんたお転婆じゃった、今も変わらんわい、私も小さい頃木登りして遊びよった」
「お父さんは男女の区別をせんかったねー」
「あんたも私に似とらい、良かったんじゃないたくましなって」
母も私に女の子らしくしなさいと言ったことがありません。私はその環境をありがたいと思います。
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