見出し画像

アナウンサーとSDGs

私が地方局のアナウンサーになったのは1977年だ。初めて担当したのは昼の情報番組だった。当時の私の仕事はうなずきマンだった。男性アナウンサーの隣にいてにこやかに頷くのが仕事だったから私は「頷きマン」と言っていた。

入社当時の私は仕事を与えてもらうだけで満足だった。だから頷きマンに疑問を抱くことはなかった。しかし先輩の女性アナウンサーたちは女性がメインの仕事を任されないことに不満を持っていた。

当時の女性アナウンサーは男性アナウンサーをサポートするのが大きな役割だった。それはその他の部署でも同じで、職場内に女性の管理職は一人もいなかった。その頃は女性の数が多い特別な企業でない限り、女性が管理職に抜擢されることは少なかったのだ。

当然のごとく結婚した女性アナウンサーが出産した後仕事を続けるのは難しい時代だった。今から振り返ると女性の役割や登用のされ方、職場環境はとても残念なものだった。

私はSDGsにジェンダーの平等が謳われていることがとても嬉しい。もちろんまだまだ遅れているからこそあえて取り上げられているのは分かっている。でもこれをきっかけに大きく前進できると思うからだ。

私が30歳を迎える頃、1985年に男女雇用機会均等法が施行され、その時も女性と仕事、男女の格差がクローズアップされた。私は番組の企画で子育てに参加したいと主夫を始めた男性を取材したことがある。当時その男性は奇異な目で見られると言っていた。しかし最近は男性が産休をとるケースも少しずつだが増えてきている。まだまだ道のりは遠いが男女の格差は埋められつつある。

ジェンダーの平等のためには、これまで差別を受けてきた女性が不平等を取り除くためにもっともっと声を上げるべきだと思う

男性社会だから難しいだろうと諦めないで訴え続ける努力が必要なのだ。機会あるごとに主張し続けなければ伝わらないだろう。同性同士が協力するのはもちろん、男性も巻き込んで働く人の共通の問題として考えていく必要があると思う。

ただ頷いているだけではいけないのだ、しっかり主張しなければ、「頷きマン」の時代から半世紀が過ぎようとしているのだから。

女性が生きやすく働きやすい職場は、男性にも居心地がいい場所のはず。

これからも私は、ジェンダーの平等について本音を隠さず発信していこうと思う。そうすることが間違いなくSDGsに繋がるのだから。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?