
noteは私にとって欠かせない場所
SNSを使った発信が初めてだった私は、最初はおっかなびっくりで、どんな風に付き合うのがいいのか皆目見当がつかなかったnoteさん。noteというステーションは特別なパスを持っていなければ入って行けない、スペシャルな場所のような気がしていました。
スケルトンではあるけれど、分厚い扉の向こう側に、とてつもなく大きな空間が広がっていて、その空気に呑み込まれてしまいそうな感覚があったのです。
私のようなちっぽけな存在は、夜空にちりばめられた星のように、見つけ出すことさえ難しいような感覚があって、萎縮していました。
ところがnoteとのお付き合いが2年を迎える頃になると、何となく分かってくるのです。noteの中の自分の存在や関り方、ふるまい方が見えてきました。
私の存在はちっぽけな事には変わりがないのですが、でもきちんとその居場所が見つかるのです。noteの中の私の居場所と言うよりもむしろ、私の中のnoteの存在が分かってくると言った方がいいかも知れません。
私にとってnoteは今欠かせないものになっています。
私が何をどんな風に考えているのか、何をどう見ているのか、この閉塞感や生きづらさを感じる中で、自分を解放して思いをぶつけているのがnote
なのです。
noteに投稿している人たちには、それぞれのnoteとの付き合い方があると思いますが、私にとってnoteは今、日常の欠けがえのない居場所になっています。
心の澱を吐き出し、表現できる自由な場所があって本当に幸せだと思っています。
私がこうして思いのままに心の内を書いていても、その投稿を見て感じてくれる人がどこかにいることが幸せなのです。
だからこそ私にとってnoteは、無くてはならない特別な場所になりました。

【毎日がバトル:山田家の女たち】
《成果が分かるんがええんよ》
※92歳のばあばと娘の会話です。
「noteは難しいと思ったけどやってみてら、私もだんだん分かって面白いと思うようになった」
「お母さんは、何が面白い」
「成果が分かるんがええんよ、ほじゃけん私は続けられるんよ」
「note初心者の人に、メッセージあるかな」
「難しく考えないでまずやってみること、やりよる内に面白さが湧いてくるんよ、だから色々なもんを見るようになるんよ、それも楽しいんよ」
母にとってもnoteは、90歳を越えて見つけた楽しい居場所のようです。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。
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