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#6 AIによって普通の時代は終わり、頭のおかしいことが求められる未来へ
はじめに
こんにちは、山田です。特徴がないことが特徴と言われる、35歳のごく普通なサラリーマンです。これまで、特別なスキルもなければ、目立った才能もなく、ありふれた日常をなんとなく生きてきました。そんな僕ですが、最近ふと考えることがあります。
「このままでは、忘れられてしまうかもしれない」と。
AIが急速に進化し、多くの人が“当たり前”にやっていた仕事がどんどん自動化される時代になりました。最適な答えを導き出すのは、もう人間の役割ではなくなりつつあります。すると、僕のような取り柄のない人間に残されることは、何なのでしょうか?
この記事では、AIが席巻する時代において、僕のような“何もない”人間がどう生き残っていけばいいのか。考えたことを書いていきます。
1.AIがすべての仕事をこなす時代がやってきた
最適解を出す仕事はAIがすべてやってくれる時代がやってきた。人間はこれからどう生き残る?
僕たちは今、社会がこれまで経験したことのない変革期に突入しています。AIの進化によって、あらゆる業界で人間の仕事が自動化されてきています。ルーチンワークや複雑な分析、さらには創造的な分野に至るまで、AIは驚異的なスピードで成果を上げています。どれほど手間がかかる問題でも、AIは一瞬でデータを解析し、最も効果的な答えを導き出します。
その結果、企業はますますAIを導入し、効率化を図る動きが加速しています。なぜなら、AIは人間が数時間かけて行う作業を数秒で終わらせることができ、エラーも少ないからです。ビジネスの世界では、時間とコストを削減できるAIが、人間よりも魅力的な労働力と見なされています。
AIの優位性が生み出す人間の危機
この流れを見て、僕のような“普通の人間”が抱える不安は大きくなります。AIは理屈に基づいて完璧な判断を下すことができ、僕たちが苦労して学んだスキルも、AIに簡単に代替されてしまう。特に、データ分析やパターン認識が重要な分野では、人間がAIに勝てる可能性はほとんどないと言っても過言ではありません。
さらに怖いのは、AIが自己学習機能を持っている点です。AIは自分自身で成長し、さらに効率的になっていく。その結果、人間は「必要のない存在」になるリスクを背負うことになります。僕たちがどれほど努力しても、AIには追いつけないかもしれない──そんな危機感が、今まさに現実のものとして迫っているのです。
このような時代において、僕たち人間はどう生き残ればいいのでしょうか?平凡で何の取り柄もない僕には、その答えがすぐには見つかりません。しかし、この問いに向き合わないわけにはいかないのです。AI時代の到来は、人間に新しい価値を見つけることを強く求めているのではないかと感じます。
2.人間の役割はどうなるのか?
「理屈どおりにやっていれば成功する時代は、もう終わりだ。」
これまでの社会では、正しい手順や効率的な方法を選べば、ある程度の成功は保証されていました。努力して知識を身につけ、理論的に最適な解を出し、計画通りに物事を進めれば、それなりの成果を得られる時代でした。しかし、今やAIがその役割を担うようになりつつあります。
AIができること
AIの得意分野は枚挙にいとまがありません。膨大なデータを高速で分析する能力、複雑な計算を一瞬でこなすスピード、繰り返しのパターンを見つける精度、さらには自然言語を理解して対話を行う能力まで。AIは、単純作業だけでなく高度な知的作業もカバーし始めています。例えば、法律の書類をレビューするリーガルAI、医療の診断を補助するAI、さらにはクリエイティブな文章や音楽を生成するAIまで存在しています。
これらのAIが持つ能力は、どれも理論的な判断や効率を重視するタスクに特化しています。つまり、「普通に考えて安全な選択」では、もはやAIには太刀打ちできないのです。結果として、僕たち人間はこれまでと同じように考え、行動していては、AIに埋もれてしまうリスクが高まるばかりです。
AI時代における人間の役割とは?
ここで浮かんでくる疑問は、「AIが理屈どおりに成功を収める時代に、人間が果たすべき役割とは何か?」ということです。もしAIがすべての最適解を出してしまうなら、人間には一体どんな価値が残されているのでしょうか?僕のような“何の取り柄もない”人間には、どんな役割があるのでしょうか?
この問いは非常に重要です。僕たちが生き残るためには、AIができない何かを見つける必要があります。その“何か”とは、理屈を超えた直感的な判断や、情熱を注ぐことによって生まれる創造性なのかもしれません。けれども、それが具体的に何なのかを見つけるのは、決して簡単なことではないと思います。パッと思いつく中では山田は何を食べても隣で心から幸せそうな顔をしたりするくらいしかAIに太刀打ちできない気がします。
あなたは、AI時代の中でどのような価値を生み出せますか?この問いに答えることが、僕たち人間が忘れられない存在であり続けるための第一歩になると思っています。
3.頭のおかしいことに挑戦する価値
普通じゃないことをやってみる──それが、これからの時代に求められているのかもしれません。
何の取り柄もない人間ですが、そんな僕が「普通じゃないこと」なんて言うと少し恥ずかしいですが、AIがどんどん理屈どおりの完璧な仕事をこなす時代において、人間の本当の価値は“常識にとらわれない行動”にあるのではないかと思います。
理屈を超えた行動が持つ力
AIは、計算や分析、最適化が得意です。でも、AIには苦手なこともあります。それは、人間が持つ理屈を超えた情熱や熱量、直感的な好奇心です。たとえば、何かに夢中になって無我夢中で挑戦する瞬間は、僕たち人間にしかない特別な力だと思います。
たとえば、昔から「誰もやらないことに挑戦する人」が成功を掴んできました。ある人は、自分の好きなことに熱中して、周囲からは理解されなくても突き進みました。音楽の分野で言えば、当時は奇抜すぎると言われたスタイルを貫いたアーティストが、今では世界中で愛される存在になっています。これこそが、AIが模倣できない“人間の強さ”だと思います。
模倣できないとは、「定義されていない」ことなのかもしれません。例えば法律や教科書、方程式のように答えが決まっているものに対しては高精度かつ正しい回答を行いますが、わかりやすい例でいうと「理解できなくて、受け入れ難いもの」がそれらに該当すると思います。
個人の熱量、好奇心、使命感が生む価値
僕には今のところ、そんなすごい情熱を持ったエピソードはないのですが、人間の熱量や使命感がどれほど価値を持つかは、本当にすごいことだと思います。AIは、いくら進化しても自分の意思を持つことは今の所ありません。だからこそ、人間が心から面白いと感じることや、自分の使命だと思うことには、独自のパワーが宿ると考えています。
たとえば、世界中を飛び回り、自分の使命だと思うテーマに取り組む人もいます。僕にはそんな行動力はありませんが、「なぜそれをやるのか?」と問われたときに、理屈では説明できないけれど心が燃えるような情熱を抱く瞬間あるなど。それが、AI時代を生きる僕が大切にすべきものなのかもしれません。
頭のおかしいことに挑戦する勇気
僕のような何の取り柄もない人間が、突然「普通じゃないこと」に挑戦するのは、やっぱり怖いです。でも、もしも何かに挑戦する勇気が湧いたなら、それは自分にしかできない行動なのかもしれません。頭のおかしいこと、常識外れのことに一歩踏み出すことで、僕たち人間の価値が輝くと信じたいのです。
48時間ゲームをぶっ続けてやるとかは普通じゃないことですけど、AIにもできてしまうことなんですよね。知人の若社長さんは頭のおかしいことをやることを本気でやっていて、この前はオムツを履いて山手線のホームで用を足してみたって言ってました。得られたものとしては、気持ち悪さと恥ずかしさと、オムツが必要な人の気持ちと解放感、自分がAIの知能の中に括られていないという自己満足感だったそうです。
4.自分がやるなら何をする?
正直に言うと、僕自身、普通じゃないことをやる勇気があるかどうかはわかりません。僕は特に目立つ才能もなく、これといって自信を持てる分野もない、ただのサラリーマンです。でも、AI時代に必要なのは“頭のおかしいこと”に挑戦することだと考えると、何かやらなきゃいけない気もします。
では、もし僕が何か普通じゃないことをやるとしたら、何ができるんだろう?日常の中で、少しでも理屈を超えて行動する瞬間を考えてみたくなります。僕の場合なら、例えば「今の仕事を一時休んで世界中を旅しながら、全く知らない文化に飛び込んでみる」とか、「思いつきで何かのアート作品を作ってみる」なんて考えることもありますが、現実的に踏み出せていません。
全然理解できないことではないのですが、昔からとある海外のメタルバンドが好きであのヘドバンや荒れ狂った様子が自分と正反対で憧れるんですよね。なので翌日のことも考えずに恥じらいを持たずに会場で思いっきり一番目立つくらい頭振ってみたり、Tシャツを引き裂いて上半身裸で暴れてみたかったりします。
読者のみなさんならどうでしょうか?
「もしあなたが、普通に考えたら絶対やらないことをやるとしたら、何をしますか?」
この問いに少しだけでも向き合ってみると、自分の中に眠っている“やってみたいこと”が見えてくるかもしれません。例えば、今まで一度もやったことがない趣味に全力で打ち込んでみるとか、子どもの頃に夢見ていたことを思い切って実現しようとするのもいいかもしれません。
もしかすると、「そんな無理なこと、普通じゃできない」と思うかもしれません。でも、だからこそ価値があるんだと思います。熱量を持ってやりたいことや、理屈では説明できないけれどワクワクすることを考えることは、僕たちがAI時代に埋もれないための第一歩なのかもしれません。
あなたにとって"頭のおかしいこと"は?
もしあなたが、自分にとっての“頭のおかしいこと”を思いついたなら、それはもしかしたら理屈では説明できないけれど、自分だけの価値を生む行動かもしれません。僕のような平凡な人間にとっても、その“普通じゃない挑戦”が未来を変える一歩になる可能性があると信じたいです。
5.普通にやっていると忘れられる世界
理屈を超えた行動がカギ
これからの成功を手にするのは、理屈を超えた行動を起こせる人間だと思います。AIは合理的に物事を処理するので、私たちが同じように合理的に行動しても、決して太刀打ちできません。でも、逆に言えば、AIにはできないことがあって、理屈を超えて突拍子もないことに挑戦する情熱や、人間の心を動かすエモーショナルな行動です。
未来の世界では、どんなに素晴らしい最適解も、AIが生み出せます。例えば、完璧なデザイン、最も効率的な戦略、最短の成功ルート、それらはすべてAIに任せられるようになります。すると、平凡な努力や安全策では注目を集めることが難しくなります。人間の記憶に残るのは、誰も予想しなかったような“頭のおかしいこと”を全力でやり遂げた人になっていくんじゃないかと。
忘れられない存在になるために
だからこそ、僕たちには考え方を変える必要があります。平凡に生きるのではなく、人々の心に強烈なインパクトを与える行動が求められています。もちろん、僕のような何の取り柄もない人間が、そんな大それたことをやるのは難しいと感じます。でも、常識を超えた挑戦をする勇気こそが、これからの時代に必要なのではないでしょうか。
未来の社会はさらに効率を追求する方向へ進むと考えます。AIはますます賢くなり、人間が苦労していたことを簡単にやってのけるようになります。そんな中で、僕たちが生き残り、価値を示すには、“人間らしさ”にフォーカスする必要があります。それは、思いやりや共感、失敗から学ぶ力、そして誰かに影響を与える感情の伝達です。
人間らしさを生かした方法
僕たちが忘れられない存在であり続けるためには、理屈を超えた“熱量”や“使命感”を大事にすることも必要だと思います。たとえば、自分が信じることに全力で打ち込んだり、誰かを驚かせる行動を取ったりすることです。AIが効率的な選択を提供する中で、僕たちは感情や情熱に突き動かされる“非効率”な行動をあえて選ぶことで、人間らしさを発揮するのです。
これからの時代は、平凡に生きることがますます難しくなるかもしれません。でも、常識外れの行動が新しい価値を生み出し、人々の記憶に刻まれる時代です。僕自身もまだその一歩を踏み出せていませんが、少しずつ自分らしい挑戦を見つけていきたいと思います。
6.現代社会における理解できないことへの拒絶反応
現代では、SNSの普及によって、あらゆる情報や意見が瞬時に世界中に広がるようになりました。その結果、他人の考えや価値観を理解する機会は増えましたが、同時に、理解できないことに対する拒絶反応も増加しています。たとえば、SNS上で物議を醸すような行動や、反感を買う発言を目にすることが日常的にあります。
ある人が“非常識”だと感じる行動を目にしたとき、私たちは瞬間的に批判的な意見を抱くことがよくあります。たとえば、突然の奇抜なファッションを披露したアーティストや、常識を覆すような意見を述べたインフルエンサーがいるとします。「そんなの理解できない」「非常識だ」と否定する声が、すぐさまSNS上で拡散されます。拒絶反応は時に過剰で、相手の意図を考える前に「間違っている」と決めつけられることも少なくありません。
拒絶される行動が示すもの
“理解できない”とされる行動の中には、未来を変える可能性があるものも含まれているかもしれません。物議を醸す行動や発言は、外れ値でありながらも、もしかしたら社会に新しい視点を提供する種なのかもしれないという考え方があります。現代の価値観や常識は、過去には誰かが批判されたり理解されなかったアイデアから生まれたものです。たとえば、かつては馬鹿げているとされた技術革新や社会運動が、今では当たり前のものになっていることもあります。
SNS上で反感を買うことを恐れて無難な発言をしてしまうのは自然なことですが、本当に重要な問いは、「その拒絶反応の先に何があるのか?」という点です。もしかしたら、理解されない発言や行動こそが、社会にとって未来を見据えた外れ値であり、後に必要なものとして評価されることがあるのかもしれません。
理解できないことへの恐れと課題感
現代社会の課題の一つは、「理解できないものを拒絶しすぎる傾向」があることにも感じます。誰もが安全で理解しやすい情報やアイデアだけに触れたがり、リスクを避けようとする傾向が強まっているような。その結果、斬新なアイデアや独創的な行動が埋もれてしまい、本当に新しい価値が生まれる機会を失っていってしまうのではないか、と。
たとえば、ある人が革命的なビジネスモデルを提案したとしましょう。それが常識にとらわれない発想だった場合、批判や疑問の声が一気に集まります。「そんなの成功するわけがない」「現実的じゃない」といった拒絶が先に来てしまうのです。しかし、そのアイデアが社会にとって必要なものだったとしたらどうでしょうか?人々が理解できないことを拒絶しすぎることで、未来を変える可能性を自ら手放しているかもしれないのです。現代の海外の会社の時価総額上位がどれほど当時の正論に沿っていたかを考えたら納得できる気もします。
理屈を超えた価値を探る旅
もしかしたら、僕たちは今こそ、“理解できない”ことにもう少し寛容になり、それを拒絶するのではなく、「なぜ自分はこれを理解できないのか?」と考えることが大切なのかもしれません。理解できないものを恐れたり避けるのではなく、そこに潜む可能性に目を向けてみる。それが、新しい価値を生み出すきっかけになるかもしれません。
外れ値にこそ未来があるかもしれない。そんな哲学的な考えを持ちながら、僕たちは多様な意見や行動に触れ、たくさんの感情を経験していくことが必要なのだと思います。それが、ただ生きるだけでなく、意味のある人生を作っていくことに繋がるのかもしれません。
最後に「山田はギャンブルに挑戦する」
たとえば、ギャンブルの話なのですが、ギャンブルは、知識がなければ負けるのが9割だと分かっていても、多くの人はわずかな勝利への期待を抱いてしまいます。そして、負けることが分かっていても、その過程で得られるドキドキ感や悔しさ、そして幸せがあったりすると思います。そんな“AIには理解できさそう”な感情の動きは、AIには文章で表現できても感情まではまだ真似できないでしょう。僕たち人間は、負けることすら楽しめる、理屈を超えた存在だと思っています。なので近日中に何かギャンブルを決めて挑戦してみようと思います。
他にも、全力で取り組んで失敗することもあります。例えば、情熱を注いでやったプロジェクトが全く上手くいかなかったとき、心の底から味わう挫折感。そしてそれを乗り越えるときに芽生える、次の挑戦への新たな希望──こうした感情も、人間にしか持てない特別なものなのかもしれません。負けることや失敗することにも価値がある、そんな風に思えるのは人間だけが持つ力なのかもしれません。
僕は、そうした理屈を超えた挑戦を通じて、たくさんの感情を得てみたいと思います。失敗や成功、喜びや悲しみを味わうことは、人間にしかできない経験です。そしてそれらを積み重ねることで、僕はもっと豊かな自分になれる気がしてます。隣にいる人に笑顔で語れるエピソードをたくさん持つ人間になりたいなとか。子どもたちに、「パパとはどんな話でも生き生きと話してくれる」と思ってもらえるような存在でありたいと思います。
隣にいる誰かに、リアルタイムで喜びを共有できる人になりたい。その人がどんな話をしていても、心から興味を持って、目を輝かせて話を聞ける人。AIには難しいとされる“感情の共鳴”や“心からの共感”を大切にして、もっと人間らしく生きていきたいと思います。
理屈ではなく、感情で生きる人間であること。そのことを楽しむ生き方を見つけていくことが、これからの僕の目標です。そして、あなたも一緒に考えてみませんか?普通じゃない挑戦や、たくさんの感情に出会う旅に出てみませんか?
今後もたくさんこのような投稿をしていくのでTwitter(X)のフォロー、コメントいただけると喜びます!たくさんの方と交流させていただきたいので一言でもいただけると山田喜びます!
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