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精神が「病む」こと、そして「治療」することって?という話(長文注意)

まずはお品書き

自身の仕事が忙しい(というフリをしている)ことにかまけて、積読本が溜まってきたので、今回はその消化試合第一弾、精神疾患とは何だろうかを取り上げます。著者は精神科医で放送大学教授の石丸昌彦先生です。

なお、この本は石丸先生が担当していた放送大学大学院科目の精神医学特論('06)を底本に加筆・修正されています。


当たり前ですが

この本が医学生ではない、むしろ心理職を目指そうとする方をはじめとする、これまで生物学や基礎医学に縁遠い受講生をターゲットに書かれた精神医学の教科書がベースですから、生物学的精神医学に興味がある方にはもの足りない内容ではあります。かくいう私も元々が「理系脳」ですから、薬物療法などはもっと突っ込んで欲しいところではありました。

今や脳科学の時代。しかし歴史を紐解けば

実証主義的なアプローチが進んできた結果、ヒトの脳の機能が分子レベルでイメージングできるようになり、様々な脳の高次機能も明らかにされようとしています。精神疾患も脳の機能異常として捉えられる側面から、新しい治療薬や治療法が開発されていることは、喜ばしいことだと思います。本書でもあるとおり、クロルプロマジンの効果により、統合失調症はコントロール可能な慢性疾患となったことは実証主義的なアプローチがなければ治療薬として恩恵を受けることはなかったでしょう。てんかんも脳波というツールがなかったら、抗てんかん薬を使い、ここまでの治療成績を上げることができなかったでしょう。

しかし、そもそも、精神を病むという定義が変わっているのは、この記事を読んでくださっている方はご存知かもしれません。古くはヒポクラテスの時代から、現在のICD-10DSM-5を見ていけばわかるとおり、物差しが変わることそのものは、ヒトという生物の成り立ちがサイエンスとしてよくわかっていないことを考えれば理解しやすいかなと思います。何が正常で何が異常かを判断するためには、正常を定義できないと異常は定義できないことになり、そこには「歴史」、つまりこれまでの人類の知恵の積み上げがあったからできたことかなと考えます。

そもそもエビデンスって何?

しかし、精神科医である石丸先生がDSM-3以降に神経症 neurosisという言葉を廃止したことには、やや批判的に受け取られる記述がありました。DSMがアメリカ精神医学会が作成したマニュアルではありますが、精神分析的アプローチを排除したことの問題点を指摘しています。

実際の臨床現場にいる精神科医から見れば、患者が目の前にいて、症状(この場合は何らかの問題点を抱えている状態)を取り除くことが優先することは一件理にかなっていることでしょうし、日本のように国民皆保険制度であれば、医療の枠組みで治療するからにはなおのこと一定のルールを使うべきことが必要でしょう。おそらく石丸先生もDSMがEBM(Evidence-based Medicine)の要素をもち、かつ、医療が社会保障の制度で成り立つ視点でみればEBPM(Evidence-based Policy Making)にも貢献しているお考えだと推察します。しかし、全人的に治療が必要なと思われる精神疾患には、エビデンスだけ重視の姿勢はなじまないというのは、色々な患者を診察してきたから言える真髄かもしれません。

psychotherapyに対する訳語の違いからくる人間理解の本質

本書はpsychotherapyの訳語とすべき日本語はすべて「精神療法」で統一されています。翻って、psychotherapyには「心理療法」という訳語もあります。元は同じですが医学と心理学で違う訳語が用いられたことは、研究の歴史の文脈では必要だったのでしょうが、人間理解という面では医学と心理学を阻んだ決定的要因になったと私は考えます。

医学も、また心理学もヒトを対象とする意味では異なる歩みをしていますが、それぞれにおいて、様々な知見が集積し、人間理解に寄与してきたことはいうまでもありません。しかし、こと精神的≒心理的問題を抱えている方へのアプローチに限って見ると、psychotherapyの訳語に代表される区別によって、

互いに精神療法も心理療法も治療の要素があるといいながらどちらを向いて治療をしているのか?

炭素・酸素・水素・窒素などからできている生体内の化学反応の正常化に着目するのか?

学派の庇護のもとモデルの解釈でクライアントの変容を待ち続けるのか?

統計的な差によって操作的に人間を判断していくのか?

人間理解に敢えて科学の手法を否定し続けていくのか?

などなど多々思うところがありました。残念ですが、現代の精神医学といいますか、人類の智慧の限界がpsychotherapyの日本語訳に端的に表れていると考えます。

精神疾患から学ぶことの意義

メンタルヘルスの重要性が増していることは論を待たないと思います。少なくとも、今後も精神的≒心理的問題を抱えている方がいなくなることはないでしょう。その際に、一番難しい、ある種タブーの要素がある精神医学という切り口から、本質を理解していく手法もあることを本書が教えてくれたことに、私は大変感謝しています。







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山田太朗(仮名)
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