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「さとり」「こいし」の柄から抜けた斧 意識無意識の境目 / 甲野先生の手裏剣 打剣の「打」

※甲野先生の弟子ではありません、講習会で3回程会った事が有るだけです(10年以上前)

東方「古明地姉妹と意識無意識の境目」

YouTube東方ステーション内の幻想郷ラジオに投稿すると、声優の方に読んで貰えるコーナーがあり、気になった事を投稿したら採用された、嬉しくなりまた投稿したら、採用されたので今は「古明地さとり」と「古明地こいし」のなりきり文を考えている。

「さとり(心を読む程度の能力)」「こいし(無意識を操る程度の能力)」と言えばあの話しだと思いアレンジの為に、元の話しがどうだったか内容確認の為、何冊か本を調べても見つからない。しょうがないのでネットで調てみると、東方に掛けて説明をしている人もいた。

とても示唆的な事が姉の「古明地さとり」と違い心を読む事を嫌って、妹は第三の目を閉じた事により、無意識を操れる様に成ったと言う。
自分には忘れられない言葉が有る、それは「目は脳の出店、目は脳が外に出た物」(養老孟司)と言う言葉だ。その言葉から考えれば、目が脳なら、おそらく神経も脳だと思う。
古明地さとり、こいし、のサードアイ(第三の目)には神経の様な物が伸びている。

「zun」さんがどの程度、意識してキャラ設定したのかは分からない。でも目、神経、意識、無意識、の「境目」を考えるには、充分過ぎる材料が揃っている。(この事をここ3年程、頭から離れずに生活をしています)
その過程で思い付いた、でもギャグ風な「古明地こいし」なりきり文を投稿したいと思っている。採用されるかは別として、最近漸く「永夜抄」キャラのなりきりが終わるかどうかの状況なのに「地霊殿」キャラはかなり先になる、果たしてその時までラジオが続くかどうか、是非是非続いて欲しい。
※東方の話しはここで終わり。

追記、古明地こいし回は3回目に既に終わってましたガックリ( ´△`)


「ここからが漸く本題の原文と解釈へ」

地霊殿の会話から抜粋
「良いこと教えてあげる。お姉ちゃんは絶対に私には勝てないの。何故なら、私は『読む事の出来ない無意識』で行動できるから。無意識に潜む弾幕。それはお姉ちゃんも見た事ない弾幕よ!」
   古明地こいし(無意識を操る程度の能力)

※ここから原文そこら辺からコピー、序盤と終わりの解釈はカット。文章と解釈に幾つかバージョン違い有ります。

「さとり」は、すぐにきこりの心を読み「おまえは、俺を捕まえようと思っているな。」と、あざ笑うようにいいました。きこりが、自分の心を見透かされてびっくりすると「俺に心を読まれてびっくりするとは、情けないやつだ。」「さとり」はすかさず、からかいました。これを聞いたきこりは、がまんできずに「こしゃくなやつめ、この斧で殺してやる。」と考えました。すると、「さとり」は「今度は殺す気か。こりゃかなわん。」といって、逃げる構えをしました。
それを見たきこりは 「こんなやつを相手にしていては、飯の食い上げだ。本来の仕事に専念しよう。」と思い直しました。「さとり」は「ついにあきらめたか。」といってその場できこりの様子をじっと眺めていました。
きこりは、この不気味な妖怪のことを忘れようとこころがけ、木を切ることに没頭し、力一杯斧を振り上げては木の根元に何度も何度も打ち下ろしました。そのうちに、きこりは「さとり」のことなどすっかり忘れてしまい、額からは汗が流れ落ちていました。そのとき、偶然にも斧の頭が柄から抜けて飛び出し、「さとり」に命中してしまいました。  ※ここ迄

※頭をカチ割られる方は「覚」、境地の方は「悟」の表記で書きます。

改めて読むと自分が勘違いして憶えていた所があった、手から滑った斧全体が飛んで行く話しだと思っていたが、実際は柄から外れた斧の、金属部分だけが飛んで行く話しだった。幾つか調べても多少の違いが有っても、飛んで行くのは頭の部分だけだった。

「話しの解釈は主に剣術か禅の2つ」

1つ目  「悟」る事を目的に、意識して集中しても悟れませんよと言う話し、こっちの解釈は初めて知った。
2つ目 無心で剣を振る事の重要性と意識を読む「覚」には無意識の剣は躱せ無いと言う話し。

元の解説文は載せないけど、あっさりしていて短くて幾つか見ても大差無い。読んでいく内に気になったのは何故「柄」から外れると言う表現なのか?無念無想の剣が重要ならむしろ焦れた「覚」が不用意に近づき、斧の軌道に入ってしまって斬られると言う話しの方が、辻褄が合うと思う。
まぁ単純に話しの作り易さかも知れないけど、、

と書いたけど実際は斧全体ではなく、柄から外れる記憶違いに気付いた時点で、甲野先生の手裏剣術の話しに似ていると思った。すこし前に工場の床に落ちていた10cm四方程度のベニヤを、産廃のゴミ箱にトランプ手裏剣の要領で、投げ捨てようとした時の事。

人差し指と中指にベニヤを挟み、腕を振る勢いと手首を返し回転を付ける、その時に初めての感覚が起きた。
腕を振った勢いでベニヤを投げ放つ直前、そこに腕を少し引く動きが起きて、ロックが掛りカツッと言う感じで手首から先が勢いよく返り、軽く振った筈なのに回転と威力の乗ったベニヤは7〜8m程も飛んで行ってしまった。

甲野先生が手裏剣は「打つ」感覚で、投げる感覚では無いと言っていた事はこれか!!と思った、正にベニヤを投げるより、カツッと叩きつける様な感じだった。斧全体ではなく柄(腕、手)から抜けた頭(エネルギー)だけが飛んで行く表現と感覚も似ている。
もう一つ喩え、車の衝突実験で人だけが、ガラスを破って外に飛び出して行く事に似ている。これは甲野先生が良く使う、更に今の自分では意識的にこれを出来ない事も、原文の表現と似ている。

本当はここで終わるつもりが手裏剣の解釈を考えている内に、1つ目の仏教解釈版の柄から抜ける説明も思い付いたので書きます。

妖怪「覚」→「悟」の境地、彼岸、目的地の喩え
無心で斧を振り続けるは→三昧の状態の喩え
斧全体は此岸や悟って無い状態や肉体の喩え

そう考えると極度の集中状態になった時、自然に抜けた斧の頭(無我の何か)が吸い寄せられる様に飛んで行き「覚」(悟りの境地)の頭に直撃する。(彼岸に到達、もしくは「妖怪覚」が死ぬ=自分自身の意識を読む、意識でコントロールする活動から抜ける→涅槃寂静の喩え?)
 ※妖怪は「覚」、境地の方は「悟」の表記です。

ここまで読んでくれた人はどう思いましたか?(そんな人居るのか?)弟は後半の仏教解釈の方を面白がっていました、でも自分は甲野先生の打剣の説明の方が、他では聞けない珍しい説明だと思ったのですが、、、
でも心配事が一つ、もしかして全く同じ説明を甲野先生の本で既に読んでいて、それを改めて文章化した可能性があります。まぁ、それなら無意識(古明地こいし)の働きの説明に置き換えれば題名と繋がるから良いか。 あっ!でも想起「甲野善紀」なら「古明地さとり」の能力説明にも使えるか。唐突な東方ネタですみません。


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