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うつろう人の評価|経営者・人事・採用担当者へ

⚪️人が人を評価するということ

僕はこの記事を書いている時点で42歳ですが、24歳で管理職を拝命して以来、少なくとも各所属企業で基本的に面接官を任されました。独立した38歳までの16年のサラリーマン人生で、少なく見積もっても1,000人以上の候補者の方々と面接をして来たと思います。仲間に加わってくれたメンバーも多数いますし、その中には今でも一緒に仕事をしているメンバーもいます。

さて、こうした採用時や評価面談など、人が人を評価する時、僕は常々心掛けていることがあります。

それは候補者やメンバーと対峙する際、それは長い人生の中のほんの一瞬の評価であり、かつ一時的な評価にすぎないと。例え悪い評価を伝え改善を促す際も、いい評価を告げて鼓舞する際も、過度に一喜一憂して欲しくはありません。※期待をしていないとかフィードバックをしっかり受け止めて欲しくないという意味ではありません。

例えば面接はその方の過去の歩みから、今という最新状態を対話によって評価をする場であり、会社で働くメンバーは特定期間の成果に対して評価をします。両者のケースに共通して「評価」というものは固定されるものではなく、絶えずうつろうものだという想いを持っています。

僕自身もサラリーマンという立場に16年間身を置きました。数々の人々と働き上司から評価をされ、メンバーの評価をしてきました。そして独立した現在もお客さまから評価を受ける立場にあり、時には一緒に働いてくれているパートナーの皆さんを評価をする側にもなります。


⚪️「器」に入っている水を考える

さてここで一転、すごく変なことを言う自覚があって人に初めて話すんですが、人間の体の60%は水分で出来ていることと、「評価」の結びつきの話です。以下、大塚製薬さんのHPからの引用です。

身体の体重の60%は水分でできている

私たちの身体には、たくさんの水分が含まれていて、成人男性で体重の60%、新生児で約80%が「体液」とよばれる水分でできています。つまり、体重70kgの成人男性ならば、約42リットルもの水分を体内に蓄えていることになります。まさに人間は水でできているといってもよいでしょう。

https://www.otsuka.co.jp/nutraceutical/about/rehydration/water/body-fluid/


「まさに人間は水でできているといってもよいでしょう」

これ、相当なパワーワードじゃないですか? 僕らってほとんど水分なんです。大体「水分」なのに、社会をつくり、日々喜怒哀楽を感じながら生きている訳です。水分なのに、です。

つまり僕ら人間は「循環している水分の入れ物」と極端な仮定をすると「いい水」が流れていればそれは景色として絶景にもなるし「淀んだ水」が流れていればそれは陰惨な風景にもなる。

つまり僕らの心も体も「凪」の状態ではなく、常に水がぷかぷか動いているように「うつろっている」と思っています。人間の体に起こる好調、不調。機嫌の良し悪し。仕事の出来、不出来。もちろん見た目もふくめて、同じ状態、同じ日なんてないといっていると解釈しています。


⚪️キレイな水を循環させるプロ

話を人の評価に戻します。

僕らは「水みたいな存在」である人間をある特定期間で「評価」します。もちろん人ですから脳があり、感情があり、行動する。ただその器は「同じ状態をキープするのが極めて難しい」と考えます。

だからこそ、大谷選手、イチロー選手を始めとする「コンスタントに結果を出し続ける人」は賞賛される。逆に賞賛の裏には、自分たちが日々うつろう存在だと意識的、もしくは無意識的に皆が感じているからこそ、それがいかに『常人離れしている』と称されるのだと思います。

特別なことをするために特別なことをするのではない、特別なことをするために普段どおりの当たり前のことをする。
               イチロー​​

https://metalife.co.jp/business-words/2123/

これは、イチロー選手の言葉ですが、その時の「評価」に惑わされない覚悟を感じます。
また、彼は評価についてこうも語っています。

自分のしたことに人が評価を下す、それは自由ですけれども、それによって、自分が惑わされたくないのです。
               イチロー​​

     https://metalife.co.jp/business-words/2123/

「イチローだからじゃん」、とたくさんのブーイングが聴こえて来ていますが待って下さい。僕がお伝えしたいのはあくまで「人の評価は一時的なもの、瞬間的なものに過ぎない」ということです。

⚪️だから、意識できること

60%水分で出来ている人間が、これまた60%水分で出来ている人間を評価する。そんなことって意識したことはありますか? という話なんです。

「評価」という行為の根本を覆したり、否定してはいません。人が人を評価することは極めて慎重であるべきで、間違いやすく、難しいと思います。

ある職場でローパフォーマーと見なされていた人が、職場(環境)や上司が変わったことで凄まじく活躍する事を何度も見て来ました。逆に配置転換で活躍していたメンバーのパフォーマンスが明らかに落ちたこともありました。

くどいですが普段、自分そのものの過半数以上が水分で出来ているなんて思いながら生きている人は稀だと思います。僕も正直考えてはいません。ただ何か立ち止まって考える時に「人の心と体は一定ではない」と認識した上で、話を聴いたり、話したりしていることは多々あります。それは「レッテル」からの脱却を少しは意識できますし、評価において避けなければいけない「バイヤス」を取り払うこともできます。

ビジネスの現場は熾烈です。あなたが変わらなくても(変わりたくなくても)、周りが変わります。会社が変わらなくても社会が変わります。生きてる以上、多少なりとも変化からは逃れられません。皆が懸命にサバイブしている中で、どう「評価」を勝ち得るかを多くの人が考えると思いますし(気にしない、という方のご意見も勿論尊重します)、僕もお客さまに喜んでいただけるという「評価」はいただきたいと思っています。

ただ、ここまで語って来たように人体という「器」の構造を考えると「こんな日もあるよな」と許せる心や、認める心。はたまた採用や評価に決して持ち込むべきではない「バイヤス」や「レッテル」を少しは回避できたり、意識的に避けられるのではないかと思います。

そして人は変わり(だって水分ですから)、意思を持ち努力する方は、遅かれ早かれ澄んだ水が循環するように成長すると思います。それを信じてあげることが「評価」の本質な気がします。


この記事は人によっては非常に素っ頓狂に読める記事だと思いますし、水分と脳科学の相関を調べたわけでも、各分野の専門家でもありませんのでその点はくれぐれもご了承ください。
「人が人を評価する」ということを、僕はこういう角度で考えることもあります、という私見です。

最後に何でこんな記事を書こうと思ったのかというと、今、ポカリスエットが目の前にあってそれを飲みながら独り言のような記事を書いてみたかったのです。そのくらい思ってもみなかった記事を書いてみようかなと思わせてくれるくらい、人間の心は「うつろう」ものなんだと思います。

読んでくださってありがとうございました。ほんの少しでも、皆さまの役に立てばポカリがキッカケで書いた記事が報われます。

スキ、コメントもぜひ、お待ちしています! ありがとうございました。

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