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ヘルパーの単価引き下げで思うこと

 先日ニュースで今年の4月から介護保険のホームヘルパー(訪問介護)の単価が引き下げられると報じられた。

 このニュースの中で紹介したい一文がある。これだ。

訪問介護は利益率が高く、介護職員以外の職種もほとんどいない − 。
これが基本報酬を引き下げる大きな理由とされた。

joint介護ニュースより

 昨年11月に公表した直近の「経営実態調査」の結果で、訪問介護の利益率は7.8%で、全サービス平均の2.4%を大きく上回っていたことから、単価を下げることに決めたということだ。

 簡単にまとめると「儲かっていたから値段を下げた」ということだ。

 どうだろう?ビジネス感度の高い人達は脳内が「?」となったのではないだろうか。

 だって、資本主義の原理と矛盾するじゃないか。

 かの有名なドラッカー先生が言っていました。
 「利益は事業の妥当性の尺度だ」と。
 つまり、「儲ける」ということは「ニーズがある」ことだし、ニーズに対して「価値のあるものを提供している」ということだ。逆にいうと儲けられない事業は、世の中から必要とされていないから利益を上げられないのだ。

 そして我が日本は誰も疑うことなく、資本主義社会だ。
 その中でホームヘルパー事業が儲かっていたということは、ニーズがあって、ニーズに対して価値を提供していたということではないのか。
 それがよりにもよって単価を削減されるなんて!

 この矛盾から痛いほど思いしらされたことがある。

 それは介護も含めた『福祉』は「儲けてはいけない」のだ。

 何故なら、資本主義の資本≒カネであり、カネを中心に回る社会だが、『福祉』とカネの関係は”分配”だからだ。分配は「所得の再分配」とか「所得の移転」とも言われる。

 一般的な資本主義の事業行動を考えてみよう。
 それは人々にとって必要な価値を創造し、提供することによって、それに見合った対価を得る。これが資本主義の基本的な事業行動だ。
 しかし、『福祉』は特性上それが成り立たない。何故なら福祉が対象とする人々は対価を払う購買能力を持っていない、もしくは低いことが多いからだ。

 それでは『福祉』には価値がないのか?というと当然そうではない。
 『福祉』はそもそも成り立ちまで遡るとエリザベス救貧法に辿り着くが、そこにあった理念は「愛」とか「倫理」ではない。貧民を放っておくと治安が悪くなり社会が危機に晒されるということからだ。つまり「治安」だ。

 つまりゴリゴリの損得勘定なのだ。

 「清貧」などは後から植え付けられた概念であり、そもそも『福祉』はそんな安っぽいものではない。
 『福祉』がないと社会は維持できない。今で言うとSDGsなのだ。
 つまり、『福祉』が誰にとって価値があるのか?といったら、「社会」なのだ。だからこそ、税金や保険料で資金を徴収して、「分配」を行うのだ。

 ここまではわかりやすいが、「分配」には厄介な特性がある。それは「分配は平等を好む」ということだ。
 資本主義はある程度一人勝ちを許容する。それでこそ資本主義をブラッシュアップするようなイノベーションが生まれるからだ。しかし、「分配」は独り勝ちを許さない。社会全体に価値のあることをやっているのであれば、その利益は事業者全体に平等に分配されるべきだ。これが「『福祉』は儲けてはいけない」という本質であり、利益を上げていたホームヘルパー事業の単価が下げられた理由だ。

 ここまで聞いたらわかるだろう。
 日本社会における福祉事業の未来はない。(少なくともこのままでは)
 だって、誰がこんな業界に勤めたいと思う!?
 例えば自分が優秀な経営者だったとして、他より抜きんでて利益を出せたとしたら国の制度として抑えつけられるのだ。こんな無理ゲー他にあるか??

 『福祉』は儲けられない。
 『福祉』は稼げない。

 これは現代日本社会の事実であり、真実だ。

 このままでは日本の未来に福祉はない。

 だから大胆なパラダイムシフトが必要なのだ。
 ロジック転換どころのレベルではない。パラダイムの転換が必要なのだ。

 つまり、「福祉で稼ぐ」のではない。「福祉のために稼ぐ」というパラダイムへ移行することが必要なのではないか。
 そのための施策は驚くほどたくさんあるのだ。

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