I hide myself within my flower,私は花に身をかくし
I hide myself within my flower,
That fading from your Vase,
You, unsuspecting, feel for me —
Almost a loneliness.
私は花に身をかくし
あなたの花瓶から姿を消そうとしている
あなたは気づかず私をいたみ
ひとりになろうとしている
あるとても仲のいい会社の同期がいたのですが、彼は僕より少し前に辞めてしまいました。同じ職場の、今でいうところの密な環境で朝から晩まで一緒に働き、ご飯も食べ、仕事が終われば一緒に温泉に入り(職場が温泉旅館だったので)、僕は自転車通勤でしたが雪の深い日や、そうでない日もよく車に乗せてもらって、休日が重なれば一緒に遊ぶこともありました。それくらい、いつも一緒にいたので、彼が会社を辞めてからも、しばらくはその実感が湧きませんでした。たしかに彼はいないのに、感覚としては今までと同じ、彼が休みで僕が出勤しているときのそれと、たいして変わらなかったのです。
人にとって誰かの存在は、別れの瞬間にぱっと無くなるものではなく、花がしぼんでいくように、ゆっくりと消えていくものなのかもしれません。
「かくれる」という言葉は、この感覚をよく言い表してはいないでしょうか。それは姿が見えなくなるという意味であり、もう探しても見つからないということであれば、死を意味する言葉でもあります。
彼が会社からいなくなって幾日か過ぎた頃、僕はアパートでお昼ご飯を食べていました。そのとき、具体的な内容は忘れてしまったのですが、音楽の、クラシック音楽のことで話題を見つけて、そして、その話題を彼に話そうと、あまりにも自然に考えていた自分に気が付いて、あ、そうだ、彼とはもう会えないんだった——
一人の部屋で、はじめて、心の底から、彼がいなくなってしまったことを実感したのを覚えています。
花瓶のまえで大切な人の死をいたみ、涙を流している人。
今回のディキンソンの詩を読んだとき、そんな場面がリアルに眼前に浮かんでくるようでした。それと同時に、僕は数年前に別れた、彼のことを思い出したのです。
死をいたむ人は、
Almost a loneliness
ほとんど孤独である。
この、Almost(ほとんど)ということの意味はなんでしょうか。
それはつまり、まだ完全に孤独ではない、ということです。
なぜなら、彼が姿をかくした花が、残っているから。
僕にとってはその花が、彼の大好きなクラシック音楽だったのだと思います。
彼と音楽の話ができなくなったあの時から、僕はそれまで聞いたことのなかった、彼が時折こぼしていた名前の作曲家の曲を聴くようになりました。僕はもともとクラシックに詳しいわけでもなく、彼のように曲を深く理解して聴けるわけでもありません。それでも、愉快な旋律や、胸を突き動かすリズム、衝撃的な音に感動したとき、そんなときは、いつもの愛嬌の良い笑みをうかべた彼と、また会えたような、不思議な感じがしました。
彼本人とではなく、彼が僕に残してくれたものと向き合うこと。
それは本当に不思議な感覚で、今までうまく言葉にできなかったのですが、今回、この詩を訳すことで、そのことの意味が、ほんとうに、少しだけ、分かったような気がしました。
『THE COMPLETE POEMS OF EMILY DICHINSON』
THOMAS H . JOHNSON, EDITOR