木もれ陽みたいなやさしい小説。『博士の愛した数式』小川洋子
何年も前に読んだ本で、映画も見ました。でも、やっぱり原作の小説がすばらしいです。2004年の読売文学賞を受賞したときの、小川さんのユーモアある受賞コメントがすごく印象に残っています。
舞台は岡山。うちも夫方の親戚が岡山なので、このあたりも想像しやすかったです。主人公は、事故で記憶力が「80分しかもたない」老数学者の家に家政婦として派遣された女性。老人は80分たつと、それ以前に話していたことは、すべて忘れてしまいます。毎日、「はじめまして」状態から始まるお付き合いは、今なら『掟上今日子』シリーズでポピュラーかもしれませんが、『博士の愛した数式』は20年くらい前ですから衝撃的でした。
しかも80分だけの記憶力だけじゃなく、老人は数学的思考しかできません。奇妙な老人の家政婦として働く女性は、最初はとまどい失敗ばかりしてしまいますが、彼女の10才の息子が登場して以降、少しづつプラスの要素が加わっていきます。老人は、彼女の息子を「ルート」と名づけ、彼女や息子たちは彼を「博士」と呼ぶようになります。
そして、素敵なコミュニケーションのツールになっているのが野球。数式と野球の組み合わせが、いろんなエピソードで生かされて素敵です。阪神ファンというあたりにも、岡山の人らしくて、妙にリアリティあって(私は3年くらい広島で仕事をしたことがあったのでわかりますが)ほほえましいです。
元野球少年で、阪神ファンで、地域のソフトボール大会にいまでも参加する夫は、普段あまり小説は読みません。でも、この本は勧めたらすぐに読み始めて、大笑いしてうけていました。阪神ファンならではの、私にはわからないツボがたくさんあったんだと思います。
私は夫ほど野球に詳しくないので、本書で一番いいなと思ったのは、博士の子供に示す愛情です。あたたかくて、とても素敵。ささやかだけど、幸せな風景が目に浮かぶよう。読後の余韻がしばらく続く、心地よい物語でした。