ファンタジーと歴史とSFと。ケン・リュウ『母の記憶に』古沢嘉通他訳
有名すぎるくらい有名なケン・リュウの小説。これまで、なかなか時間とタイミングがなかったですが、とうとう読めてよかったです。短編集なので、ビギナーにもやさしいですし、いろんな物語がまとめられているので、タイトルを確認しつつ、好きなから読めるのもいいです。
ケン・リュウは、中国出身の作家さんでアメリカに住んでいて、たくさんの作品を書いているうえに、英訳した『三体』を各方面に宣伝して世界的大ヒットにしただけじゃなくて、各地の作家さんの作品が国境を国境を超えて読まれ、メディア化されるよう結びつけられている方(藤井太洋さんのあとがき参照)。
私はできればハッピーエンドが好きで、理系オンチですので、SFは守備範囲外。藤井太洋さんだとなんとか読めるので、彼が紹介するケン・リュウ作品も読んでみたいと思いつつ、幾星霜。
でも、余韻の残る「少し不思議」な話は大好きなので、最近読んだ『雨の島』みたいな作品が読みたくて、ケン・リュウ作品をとうとう手に取ることができました。
一番最初に収録されている「鳥蘇里熊」(ウスリーひぐま)という話は、旧満州の日本人から始まって驚きます。SFっていうので、てっきり未来の話ばかりだと思っていましたが、過去にさかのぼって、架空の技術の進化の物語をつくることもできるっていうのが新鮮でした。
それとやっぱり、「草を結びて環を銜えん」です。私の好みのど真ん中。満州族が攻めてきて、明が滅びようとしている戦乱の中の揚州が舞台。芸を売り、身体を売ってきた女性が、敵に対して「自由な心」は売らなかったという話。人を助けたのに称賛されるわけでもなく、それどころか娼妓というだけで道徳に反する女として蔑まれるけれど、それでも、自分にまっすぐに生きた話。これが、実際にある故事(「結草」「啣環」)をモチーフにしているところもすごくいいです。
「草を結びて環を銜えん」と関連する「訴訟師と猿の王」も興味あります。こちらは、揚州で起こった虐殺をなんどか残そうとする人々の話。主人公は訴訟師なのですが、最近、出た本もおもしろそうなので、そちらも気になります。
そして、なんといっても楽しいのは、つらい中にも光が少しでも見える話、「万味調和ー軍神関羽のアメリカでの物語」。原題「All the Flavors」をこのタイトルに翻訳するすばらしさ。さすが翻訳家さん、言葉の感性がすばらしい。
新大陸のアメリカに、騙されて、契約労働者という名の奴隷で連れて行かれ、鉄道建設のために働かされた中国人たち。その歴史の中に(なぜか)交じる三国志の英雄、関羽。世界各地に散らばる「華僑」(Over Seas Chinese)たちがまつる関帝廟の由来を解くかのようなファンタジーです。
貧しい環境でも懸命に生きようとする中国人たちは、勤勉で助け合うので、貧しい白人と衝突します。そんな町を、好奇心旺盛なリリーとおいしいものに目がない彼の父、そしておいしい中華料理がつなぎます。小さな女の子とヒゲの大男関羽が、アイルランド民謡「フィネガンの通夜」を歌って踊っているところを想像するだけで楽しい。
この歌が出てくることで、リリーとその父がアイルランド系で、つまりアメリカの白人の中でも貧乏な人たちだということがわかります。社会の底辺でいがみ合うだけでなく、頭を使って譲り合い、おいしい料理やお祭りが結ぶ。この物語は昔の話ですが、異文化を持つ人たちが、いがみ合わずに済む世の中が、21世紀中に実現したらいいのにと思ってしまいます。
表題作の「母の記憶に」は、SFがほとんどわからない私のような読者にも、宇宙の論理を感じさせてくれて、しかも人生の喜怒哀楽の全部が、たった数ページの物語に凝縮されていて、余韻もすばらしいです。「世の中で要約できないものはない」といった星新一の言葉を、久しぶりに思い出したほど。