モダン都市東京と台湾の近現代を撮った写真家の物語。『南光』朱和之(中村加代子訳)
この小説は、台湾が日本の植民地だった時代から始まります。主人公は、裕福な客家の家に生まれた鄧騰煇(とうとうき)。彼の父は、自分が学問ができなかった悔しさから、4人の息子を東京に留学させます。兄は上智大学を卒業しますが26才で亡くなり、次兄が東京美術学校を卒業して、実家を継ぎます。
主人公の鄧騰煇は、気楽な三男なので日本であまり勉強せず、カメラにはまって法政大学の写真部で、東京周辺のいろんな風景やモダンガールを撮影して歩きます。彼のお気に入りは、当時1台が家1軒と同じ値段だったとうドイツ製のライカ。
わたしは、ライカについて「すごく有名で性能のいいカメラのブランド名」くらいの知識しかありませんが、そんな私でも小説の最初の文章から、一瞬で引き込まれました。
鄧騰煇は、法政大学在学中に台湾人女性と結婚し(させられ)、卒業後は台北に戻って南光写真機店をひらき、南光さんと呼ばれるようになります。ライカしか扱わないこだわりの店で、仕事の合間には首都台北や実家のある北埔など、とにかく写真を撮って歩く日々。
やがて戦争が始まり、フィルムの入手が難しくなると、南光は知人の写真家と日本の青年団に入ってまでフィルムを確保します。この時代の小説にしては珍しいくらい主人公をめぐる政治的な描写が少ないです。作者は、南光の写真を撮ることへの欲求にこだわります。
そして、代わりにさりげなく、でも分かる人にはわかるように、主人公の友人の写真家たちの人生を、入れ子のような構成で描きこんで、物語に政治の陰影を写し込んでいきます。
南光は、一度は通訳として軍隊に召集されたものの、客家語しかできないので中国大陸では役立たず。一ヶ月そこそこで故郷に戻ってきます。このエピソードは個人的に結構衝撃でした。なにせ、日本は30年以上台湾を統治して、長年対岸工作もしていたのに、それら地域の言語状況の基礎知識すらなく戦争を始めたってことですから。南光はその後、実家の北埔に大事なカメラたちと疎開し、終戦をむかえます。
台北の大空襲で南光写真機店は跡形もなくなりますが、また自由に写真がとれるようになることを喜んだ南光。別の場所で店を構えて再開します。でも、蒋介石の中華民国政府が台湾に撤退してくると、再び自由はなくなっていきます。それでも彼は写真を取り続け、作品を発表しなくなっても写真家団体を運営し、雑誌を発行して写真文化を守ろうとしました。
この小説は、南光以外にも何人かの台湾の写真家が登場します。南光以上にライカが好きで「ライカ・リー」のあだ名がついた李火増や、戦争中には上海へ渡った張才。中国で先駆的な写真家として活動し、世界的にも著名だった郎静山は、たまたま内戦の微妙な時期に台湾で写真展を開いたら、大陸へ戻る機会を失って、以後、台湾の写真界に君臨する運命になったとか。
作者の朱和之さんの文章は、実在のカメラマンたちを描く距離感が絶妙で、さらっとしていて読みやすいのに、どこか余韻を漂わせる上品さ。政治的な動乱の時期を生き抜いた写真家たちの物語なのに、読んでいる間は彼らの写真集を1ページ、1ページとめくっていくような、穏やかな感覚が不思議な魅力。翻訳の中村加代子さんのご尽力の賜物ですね。
この小説の最後の一文も、カメラを構えてシャッターを切る瞬間のよう。
写真がすきな人や台湾が好きな方だけじゃなく、東京がモダンだった時代の学生文化に興味がある人にもおすすめできそうです。