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誠実な仕事、という大事なもの。『舟を編む』三浦しをん


『舟を編む』は、さんざん話題になったときには仕事が忙しくて読めず。ようやく読めたのは、映画化もされたかなり後でした。予想していた内容は、『博士の愛した数式』みたいな、辞書編纂のマニアックな話かなと思っていました。

でも、実際に読んでみると、辞書好き、言葉好きの物語というよりは、人間賛歌、労働讃歌といったところで、不器用さの裏側にある実直さ、誠実さ、やさしさをひたすら丹念に編んだ物語でした。

辞書編纂のお話なので、ともすれば小難しくなってしまう話を、さらっと読みやすく書いているのは三浦さんの力量なのでしょう。読んでみて、大人気で話題になった理由がわかりました。

同時に、映画で少し物足りないなあと思った理由もわかりました。文章の繊細な組み立てとか、気の利いた言い回しとか、文字で表現してすばらしいものを、映像でそのまま表現するのはかなり結構だったりしますから。むしろ、映像ならでは表現があったほうがいいのだろうなと。

三浦さんの作品は初めて読んだのですが、この本のあちこちに散りばめられている仕事する女性の”らしさ”に好感がもてました。例えば、登場男性のこんな恋愛観。男性と女性の一般的な恋愛観のすれ違いを、とってもデリケートに的確に表現していて、好きです。

わかりやすい見た目のよさや、貯金額や、社会生活において要求される性格のよさは、選別に際してほぼ関係ない。女が重視するのは、「自分を一番大事にしてくれるか否か」だと、西岡は数々の経験からあたりをつけていた。「誠実なのね」と女に言われたら、たいがいの男は馬鹿にされているのではないかと勘ぐる。だがどうやら、女は本気で「誠実」を最上級の褒め言葉だと思っているらしく、しかもその「誠実」の内実が、「私に対して決して嘘をつかず、私にだけ優しくしてくれる」ことを指していたりする。
 やってらんねえ。いや、やりたいけど、やってらんねえ。

映画を先に見たおかげで、このの西岡のセリフは、オダギリジョーで再生されます。ふふふ。オダギリジョーなら、どれだけチャラ男でもすべて許せそうな気がします。でも、三浦さんの原作イメージは、もうちょっとダメっぽいチャラ男だったんじゃないかという気がしないでもないです。

もちろん、映画のオダギリジョーは、かなりダメっぽいチャラ男でがんばっていましたし、私は映画で最初誰だかわからなかったくらい。でも、オダギリジョーとわかった時点で、見た目は軽そうでも、実はイケメンに設定になってしまいそう。かっこいいイメージも良し悪しですね。

もし、言葉に対する偏愛的な物語を読みたい場合には、映画『博士と狂人』もしくは、その原作『博士と狂人』をどうぞ。



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