近現代日本の偽史とオカルト文化『隠された聖徳太子』
ブラジル出身のオリオンさんの聖徳太子本。出る前から、どんな本になるのか楽しみにしていましたが、いきなり『偽史』とは驚きました。戦後最大の偽書事件とされる『東日流外三群誌』がつかみとは、なかなか渋い。聖徳太子の本のオープニングにしてはちょっと変化球(?)。「そこから、来るか~」とわくわくしました。
聖徳太子といえば、とにかく昔から「伝説」が塗り重ねられ、たまねぎの皮のように、剥いても剥いても、なかなか確かなことはわかりにくい。なんせ、古代の人ですから。学生時代、梅原猛の『隠された十字架』が流行っていたと思いますが、古代史の先生たちからいろんな批判を聞いたことも覚えています。それなのに、本は売れるし、権威にもなる不思議。
そんな中でも、鉄板は聖徳太子とユダヤ教(もしくはキリスト教)の関係が鉄板なのは面白いです。江戸時代から明治にかけて、日本仏教のいわば最大のライバルだったキリスト教と、日本仏教の「元祖」?ともいえるような聖徳太子が、なぜかキリスト教の影響を強く受けて語られるという不思議。
そして、高野山にもある「大秦景教流行中国碑」の不思議が、オリオンさんの本を読んでようやくわかりました。「大秦」はローマ帝国のことで、「景教」はキリスト教の一派のネストリウス派のこと。5世紀から6世紀にかけてアジアに広がったネストリウス派が、7世紀に中国に伝わり、長安にも教会があった話は知っています。ただ、そのことを記した石碑が8世紀に建てられたものの、弾圧されて埋められていたとは知りませんでした。
この碑が17世紀の中国で発見されて、しかもしれはちょうどイエズス会宣教師の活動が中国で盛んになりつつあった時期だったというからすごい。19世紀になって、ヨーロッパで「オリエンタリズム=東洋学」が確立すると、「大秦景教流行中国碑」の研究が大人気になったとか。それが明治の日本に伝わって、飛鳥時代に百済から渡来してきた豪族・秦氏の研究につながり、帰化人の秦氏は実は「百済人」でも「支那人」でもなく「ユダヤ民族」だったという説になる……驚きです。
明治とか大正時代の日本は、西洋からいろんな学問(含むオカルト)が一斉に入ってきて、いろんな可能性(悪く言えば、飛躍した考え)が研究された模様。空海ですら、「当時の大唐帝国で流行っていた景教を学んだに違いない」とかいわれて、だから高野山に「大秦景教流行中国碑」のレプリカがあるのだそうな。作られたのは1911年。辛亥革命の年かあ。
それにしても、聖徳太子にまつわる話は、想像力豊かなものばかりでしたが、例の『隠された十字架』がらみの話から、まさか山岸凉子の『日出処の天子』が出てくるとは思いませんでした。いえ、聖徳太子の一般イメージを語るには、『日出処の天子』が欠かせないのは当たり前なのですが、それがオリオンさんの口から普通の日本人以上に語られることのおもしろさ。楽しすぎます。
あと、『ノストラダムスの大予言』みたいな、懐かしくもどきどきするような本がたくさん出てきます。私みたいな門外漢は、一度読んだだけでは、なかなか消化しきれないほど内容てんこ盛りですが、好きな人にはたまらない本だと思います。オカルトと偽史と学問のあいまいな境界線をただようような本。チャレンジする価値アリです。