映画AWAKEを見た後におすすめ。『ルポ 電王戦 人間vs.コンピュータの真実』松本博文
コンピュータの将棋プログラムの開発が始まったのは1974年。その当時の実力派、ルールを知っている程度。驚くほど弱かったとか。解説を頼まれた中原誠名人が、弱すぎて解説の仕様がなくて困ったとか。
画期となったのは、1985年。パソコン用ソフト「森田和郎の将棋」が発売されました。ルール通りに動き、基本的な定石も入っています。時間はかかるけれど、初心者には楽しく遊べるソフトでした。そして、1987年にはファミコン向けのカセットが発売されました。
1990年、第1回コンピュータ将棋選手権が開催されます。優勝賞金は30万円。以後、コンピュータ将棋選手権は大きく発展していきます。1990年代半ばの将棋ソフトの実力派アマチュア1級か初段くらい。1996年の将棋界では、羽生善治が七大タイトルを独占するスーパースターとして輝いていました。
同時期、将棋連盟発行の『将棋年鑑』でコンピュータがプロ棋士を負かす日がくるとしたらいつ?」というアンケートが取られたそうです。その回答の一部は以下の通り。今見ると、ものすごく示唆的です。
羽生善治(七冠)2015年。米長邦雄(九段)永遠になし。谷川浩司(九段)私が引退してから。加藤一二三(九段)来ないでしょう。森内俊之(八団)2010年。佐藤康光(八段)分からない。屋敷伸之(七段)来るがトップに勝てない。先崎学(六段)10年後。三浦弘行(五段)分からない。
2005年には、激指というソフトがアマチュア竜王戦の全国大会に特別参加してベスト16になり、新鋭の橋本崇載五段がTACOSという将棋ソフトに負けそうになります(以後、将棋連盟では所属棋士が届け出なしでソフトと対局することが禁じられました)。そして同年、ネット上にBonanzaというフリーソフトが登場し、誰でも自由にダウンロードして遊べるようになりました。
たくさんの将棋ソフトが生まれては消えていきましたが、読んでいておもしろいのは開発者の経歴です。アマチュア何段かの腕前を持つ人もいれば、まったく経験がなくてチェスのソフトの論文を参考に開発する人とか、本当に多彩。将棋ソフトを強くしても売れないので、みんな趣味の延長線上でやっていましたが、やがて、IT関連の会社がイベントとして目をつけ、賞金を出すようになっていきます。
2012年、アマチュアの強豪との対局、女流棋士との対局を経て、とうとう第一回電王戦が実現します。相手は将棋連盟会長の米長邦雄。引退していたとはいえ、かつての永世名人だった彼が負けると、第二回以降は団体戦になります。この本で書かれている内容は第三回まで。映画のAWAKEが登場するのは第四回にあたるFINALです。
これはもう本当におもしろい人間ドラマで、ITとかAIの進化の歴史。パソコン通信からインターネットに展開したのをリアルで見てきた世代には、おもしろくてたまりません。伝統があり、矜持もある棋士たちは、当然勝ちを目指す。でも、同時に美しい棋譜にもこだわる。一方で、開発者には純粋にソフトを強くしたい人もいれば、どんな手を使っても価値をめざして欲しい人もいて、このあたりは時代とともに変わっていくので、本当に読み応えがあります。
棋士たちのプライドをかけた勝負の周囲には、人間vsコンピュータを煽るマスコミや、それに乗せられたネットの不特定多数のギャラリーに、前哨戦でソフトのバグを突いて高額賞金を獲得しようとするアマチュア高段者たちもいて、黎明期の熱さが感じられます。現在のように、もうはっきり勝負がついてしまった時点では考えられないほど。私も電王戦の情報を多少は追っていたつもりだったけれど、こうやってちゃんとまとめてもらえるとすごくわかりやすいし、知らない事実がたくさんありました。
でも、この手の本を読んでいていつも思い出すのは、手塚治虫の『鉄腕アトム』です。アトムは一生懸命人間のために闘うのに、人間は「お前はロボットだ」とコミュニティに受け入れない。助けられているのは人だし、そもそもロボットを開発しているのも人間なのに。
新しいものが生まれると、興味本位で近寄って来る人がいて、でもコミュニティからは抵抗や反発をくらって、その後は少しづつルールをつくって受け入れていく日本。現在は、プロ棋士がみんな将棋ソフトを使って事前の研究をするどころか、将棋の対局をリアルタイムでAIが判定して形成を教えてくれるし、プロ棋士ですらソフトを見ながら対局の解説をする時代。将棋連盟がAIとの共生を選択するに至った過程を、改めて教えてくれる本書は貴重です。
将棋好きだった著者は、山口県蓋井島という人口百人ほどの離島で生まれ育ったそうで、子供の頃、自分と同じ強さの将棋が指せるロボットを夢見ていたとか。離島のさらにさびしい場所にあった灯台には以前、灯台守が住んでいて、そこには古びた碁盤と碁石があったとか。なんだか、『ヒカルの碁』の有名なセリフを思い出しそうな情景です。
インターネットの将棋中継や対局、将棋ソフトそんな昔の人達の「同じ強さの仲間が欲しい」夢が詰まっているんですね。素敵です。