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できないことができるようになる体験は成長において大切なこと

はじめに(いつも書いてること)

このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。

※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。

今回の内容

娘がサッカー教室に通い始めて半年が経ちました。

最初は緊張して、僕が近くにいないと泣いてしまう感じでしたが、今やもう、みんなとサッカーを楽しんでいます。

娘と同い年の年中さんは他にはいなくて、年長さんや小学1年生と共にサッカーを楽しんでいます。

この世代の1〜2歳差は影響が結構大きくて、みんなと同じことをできないことも多いです。

ただ、周りの1年生たちが娘を助けてくれて、できないことがあっても伴走してくれるから、娘も楽しめているようです。

特に1年生が多くいる場合は、練習の要素が強くなるので、娘からすると少しハードルの高いメニューが増えてきます。

周りのみんなはできるけど、自分はできない。

そういう場面になることも多くて、その状況になると「できない」と泣いてしまうことは今でもあります。

ただ、「やってみる」ことで「できるようになる」ということを知っている、「できない」と言いながらもやってみたり、ペースが周りより遅くても今の自分がやれることを一生懸命にやるようになりました(集中力が切れてボートしていたり、いじけてしまうこともまだまだありますけどね)。

僕も経験がありますが、周りと比べてできないことをやるって、結構勇気がいることだったりします。

周りはできているのに、自分はできないって、恥ずかしさや悔しさもあるから。

娘もよく、「1人だと練習できるけど、みんながいるから恥ずかしい」と言います。

その言葉を聞くたびに、「わかるよ」と共感します。

恥ずかしいって思うのは、周りの目を気にしてるということなんですよね。

だから、自分の成長に目を向けられるような関わりを意識しています。

ただ、ここのやり方が試行錯誤の連続。

どのような声掛けをしたらいいのか、娘にどんな問いを立てて、どんなことを考えてもらったらいいのか。

毎月購読している『先端教育』に、こんな記事がありました。

自分の娘の様子と照らし合わせながら、「なるほど、そういう見方も確かにあるな」と学びを得ました。

「デンマークで娘が入った学校は、モンテッソーリ教育を実践する少人数制で、子ども17人に対し3人の先生という手厚い体制でした。当時、娘は新しい場所では喋らずにじっとしているタイプの子でした。ところがデンマークの先生は『彼女はすごく観察力があります。何もしていないように見えますが、他の子の行動をよく見て、そこから学びとっているので全く心配ありません』と言う。逆にやたらと走り回る男の子がいたら、落ち着きがないと叱るのではなく『彼はエネルギーに溢れていて活動的です。怪我をしたりもするけれどそこから学んでいる』と。驚いたことに半年後、娘は積極的に友だちに話しかけるようになりました。人間は半年で大きく変わるという事実を、娘を通して目の当たりにしたのです」

第1の教育は管理教育で、学ぶ中身を権威を有する者(文部科学省、教育委員会等)が決め、教師や親が教える。学ぶ動機付けに掲げられるのは経済的・社会的成功だ。第2の教育は、子どもが望むまま放任する教育で、強制を否定し、したいことは何をしてもいい、したくないことはしなくてもいいというスタンスだ。第3の教育は自立を促す教育だ。学びの主体は子どもたち一人ひとりであり、自ら学ぶ内容や学び方を選択し行動していく。大人は子どもが自立的に生きる力を身につける手助けをする。現在、日本の教育現場あるいは家庭で行われているのは、第1・第2がほとんどを占めるだろうと炭谷氏は指摘する。第1の教育環境で育ってきた人は、無意識に押し付けがましい発言になったり、批判的になってしまいがちです。そうすると探究のサイクルは止まってしまいます。それを変えるには、相当自覚して発言することが必要なのです。

娘をサッカー教室に誘ったのは、「サッカーが上手くなってほしい」というより、「サッカーを通して自立性を身に付けてほしい」という気持ちが大きいです。

まさに、以下のサイクルを回せるようになってほしいと思って、参加を促しました。

(上記の記事より)

約6ヶ月間の参加ですけど、少しずつ変化は見られています。

探究学習が目指すのは、第3の教育である。子どもが主体的に学習を進めるためには、自らの好奇心や探究心に突き動かされて行動を起こすことが必要だ。①自由選択(自分でやりたい課題を選ぶ)→②集中(とことん根気強く探究する)→③達成感(更なる向上心で探究を深める)が循環することが大切。

『探求学習』をさせているわけじゃないですが、探求学習で必要とされているこのサイクルは、日常の中でも回せると思っています。

僕自身がそうだったから、その経験を娘にも伝えているし、キャリア教育の中でもいろんな人に伝えています。

僕が小学生から高校生の時には、探求学習的なコンテンツはあったと思いますが、明確に「今やってるのは探求学習だ」と意識したことはありませんでした。

それよりも、普段の勉強や部活のシーンで、上記のサイクルを自分の中で回してきたことが、今でも当たり前のように上記のサイクルを回せるような状態に繋がっているんだと思っています。

5歳の娘が、これからどんな変化を遂げるのか。

今の状態が悪いわけではないのですが、娘からも「もっとこうしたいけど、やれなくてもどかしい」みたいなことを伝えてくれているので、そんな娘の次の一歩に伴走できるように、考えながら日々を過ごしていきます。

「やれない」と思っていたけど、「やってみたらできた」「やっていくうちにできるようになった」という実感を得る経験は既にしていますし、その時の娘の笑顔はすごく良くて、きっと自分でも「できた」という喜びを実感しているんだろうなと思います。

練習の時にできなかったことは、僕と公園に行って自主練習をしています。

みんなができているのに自分ができないのは悔しいようなので、その悔しさを糧にして。

おとといの練習では、一緒に練習をしている1年生からも、「泣かないで1人でできるようになったじゃん」とか、「強く蹴れるようになったじゃん」というコメントをもらいました。

楽しむことを優先にしながらも、プレーしてるみんなは点を取りたいと思ってるし、勝ちたいと思ってる。

練習の中のちょっとしたゲームでも、勝てば喜ぶし、負ければ悔しがる。

勝つことを目的にしていなくても、勝つからこそやってきたことの成果を感じるし楽しめたりする。

そこのバランスは大事。

できないことを練習してできるようになる体験は、大人になってからも役立つ重要な体験です。

できることよりりもできないことが多い中で、どこに向かって何をするのかを自分で決めていくわけなので。

「できないからやらない」が習慣になってしまうと、生きやすさは向上しませんから。

感謝

今回も、読んでいただきありがとうございました。

このnoteでは、Amazonアソシエイトを利用しています。
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