便利の向こう側(不便な豊かさ)
「効率的に時間を使うこと」に違和感がある。
なぜなら、究極の意味で「効率的に時間」を使うとしたら、人間の人生は「生まれて死ぬ」ということに集約されるからだ。
効率的な食生活を想像してみたい。
朝ご飯は吉野家の牛丼、洋服はクリーニング、昼食はプロテインバーとペットボトルのお茶。
夕食はコンビニのスパゲティ。
何にかはやってみてもいいけれど、味気ない生活となる。
コンビニエンスストアでは、便利さは買える。けれども、心の中の豊かさは手に入らないのかも知れない。
人の生活には、効率化、便利さと同じように、非効率、不便さが大切だ。
お湯をやかんで沸かして、ドリップコーヒーを入れてみたり、漬物を数日かけて作ってみたり、お皿を並べて家族とご飯を食べて、お皿の片付けをやってみたり。
非効率なことのなかに、豊かさがあることは逆説的かもしれない。
けれども、モノやサービスがこれだけ溢れてしまうと、実は非効率が豊かであると言う場合があることに気付かざるを得ない。
元スーパー公務員の高野誠鮮さんは、農薬肥料を使わない「自然栽培」の普及に尽力されている。
その高野さんの動画で興味深いお話があった。
日本の田んぼには、赤とんぼがいた。
けれども、農薬や肥料を使うことによって、幼虫が育たなくなった。それによって、赤とんぼが減ったというのだ。自然が破壊されて、昔の風景がなくなったと考えがちだ。
ただ、統計を見ても、田畑や森がここ数十年で激減していることは、考えづらい。
そうすると、高野さんがご指摘された農薬による自然破壊は、説得力があるように思える。(もちろん、実際に観察されている人の証言が1番確実である)
高野さんは、農薬は否定しない。農薬は便利であり、その便利さはプラスとして捉えられている。
誤解のないようにお伝えしておくと、私はセブンイレブンも好きです。セブンイレブンのコーヒーは毎週何回か飲んでいるし、お店が空いていない夜遅くには何度もお世話になっている。
ただ、その中で、便利さが過剰になっている感は否めないので、不便さの豊かさについて改めて考えてみたいと思ったのです。