『ぱくりぱくられし』を読んで。木皿泉さんの話。
前田敦子さんが主演した『Q10』などの作品を手掛ける、シナリオライター・木皿泉さん。
ぼくは、木皿泉さんの言葉が好きだ。普段の生活で何気なく見落としてしまいそうな、いとおしい瞬間、忘れちゃいけない忘れがちなこと。そんなことを木皿さんは言葉にしてくれる。思い出させてくれるのだ。
①ごみを捨てること、自分の感情を捨てること
木皿さんは、ごみを捨てることは、ネガティブな感情を人にぶつけることと同じ論理だと説明する。その文章を少し引用してみたい。
社会を海とするなら、自分の恨みや嫉妬をそのままうち捨てるように人にぶつけているさまは、見苦しいものである。やがて、それは自分に返ってくるだろう。そもそも、恨みや嫉妬はゴミではない。それらもまた、自分から生まれてきたものである。ならば、できるだけ小さく折りたたみ、再エネルギーとして有意義に使える日までとっておくべきではないか。私たちは、ゴミなら道理はわかるのに、自分の気持ちとなるととたんに、そんな簡単なことさえ見えなくなってしまう
普段の生活の中で、思わず、不平・不満は出てくる。けれども、それを人に吐き捨てていたら、そのネガティブな感情は世の中に広がり、めぐりめぐりまわって自分に返ってくるかもしれない。
ごみを道端に捨てれば、誰かが拾って正しい捨て方をしなければ、汚い道は汚いままである。
人の感情も、心の広いひとが受け止めてくれると、成仏するように、ゴミも感情も受け止める人が増えることでしか、ネガティブの連鎖は断ち切れないかもしれない。
②むかしの自分につたえたい事
この本の中でもう一つ印象に残った箇所がある、それは”昔の自分に伝えたいこと”だった。木皿さんはシナリオライターにならないと後悔すると思い、その道を歩んでいくことになる。
結局は、社会の中で求められている仕事をやってばかりで、人のいう事を聞いているだけ!そんな風に思われるかもしれない、と前置きをしたうえで、木皿さんは昔の自分に向けてこう語る。
でもね、と私は言いたい。コトバにできないいろんなことがあったのよ。そりゃもう大変で、泣きたいぐらい苦しくて、汚くて、でもびっくりするぐらいきれいで優しいものもあって、温かくて、しつこくて、あっけなくて、ぞっとするぐらい冷たいのに美しくて、甘くて、すっぱくて、気持ちよくって、いい匂いがして、吐きそうになったこともあった。 でも、今振り返ってみると、それは誰かのものじゃなく、ひとつ残らず自分のものだった。だから安心して生きてゆきなさい。
人任せにせず、自分の事として受け入れる。それは気持ちのいい出来事ばかりでもない。僕の年上の友人に言われたことがある。
「20歳までは、うれしくて、お前は泣いてきただろう?試験に合格した、就職できた。周りの人も一緒に喜んでくれただろう?でも20歳からは違う。悲しさ、虚しさ、切なさ、そういうことを受け止めていくときに涙が出るんだ。覚悟しておけ。」
当時20歳だった自分にとって、そんなことあるのかな?という言葉だった。これからだって、うれしくて涙することが多いだろう、そんなことも思った。
それから10年アラサーになった自分は、いろいろな事を経験した。それこそ、言葉にならないようなどろどろとした、混沌とした感情を抱え生きてきた。それを受け止めることで少しずつ強くなってきた。
木皿さんの言葉は、年齢を重ねることに響いてくる。人間は生きている道が、それぞれ違うけど、心の奥の、根っこは同じ。だれにとっても変わらないことなのかもしれない。
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