『翻訳に生きて死んで』…っていや死なないで良かった
先日、あるnoteユーザーさんとのコメント欄で、韓国の小説を日本語訳する日本人の翻訳家さんの本が面白そうというお話をきき、なるほどそんな本もあるのかと「翻訳家によるエッセイ」というジャンルが気になっていました。
前にここにも書いたように、
文芸にまつわるお仕事全般超リスペクト!!な私ですから、もう興味津々。いつ読んでみようかな〜と念頭に置いていたものの、たまたま通りがかった本屋さんで偶然これを先に見つけてしまった。
『翻訳に生きて死んで(번역에 살고 죽고)』- 著者: クォン・ナミ(권남희)さん、訳: 藤田麗子さん
こちらは日本の小説を韓国語訳する韓国人の翻訳家さんのエッセイだから、何と、真逆!それも面白そう!ということで、先に出会ったこちらから読むことに。
作品を翻訳するとは
海外作品、これまでそれなりに色々読んだことはあります。例えば懐かしのエンデ。でも果たしてその読書体験は、本当に「ミヒャエル・エンデを読んだ」と言えるのだろうか。実際読んだのは、翻訳家さんのフィルターを通した別物の文章なんじゃないか。
映画だってそう、例えば字幕の洋画。私は本当にトム・クルーズの演技を観ていた?それとも戸田奈津子さんの作る物語を読んでいたんじゃないか。
…いやいやいや。私はあの頃、確かにエンデを読んであの綺麗な装丁の本に吸い込まれていた。あの時、確かにトムのmission impossibleさにハラハラしていた。物語を体験するその時その瞬間には、何の邪念もなくそう思える。
翻訳家さんの腕の見せ所は、そうやっていかに原著原作の世界観やニュアンスを損なわずに、「第三者(翻訳家)のフィルターを通した作品」ではなく、それぞれの言語や文化を考慮した翻訳で作品を届けられるか、だと常々思っています。
本作でも、翻訳本がいかに売れても、翻訳家の名前まで覚えている読者はそんなにいないというお話が出て来ます。た、確かに。翻訳家は作家と並んで表紙に必ず名前も載るのに!
翻訳家がいないと、その言語圏のほとんどの人がドメスティックな作品しか楽しめない。そんなの嫌だ!だから、目立つのに目立たない、何とも不思議な&ものすごくカッコいい存在だな、と本書を読んで改めて思いました。
日韓それぞれが互いの作品を楽しめる時代に
さて、本書のクォン・ナミさんがこれまで主にどんな日本作家さんたちの作品を韓国語訳されたかというと。これがすごいんだわ…
村上春樹、村上龍、恩田陸、小川糸、群ようこ、天童荒太、益田ミリ、角田光代、三浦しをん、朝井リョウ、東野圭吾、鈴木のりたけ、ヨシタケシンスケ(いずれも敬称略)などなど…。
例えば大好きな「三浦しをんの『舟を編む』良かったよね!」って韓国の人と分かち合う時があるとしたら、それは間違いなくクォン・ナミさんのおかげなのです。
本書にも出て来たけれど、1998年ぐらいまで、韓国では日本のエンタメ(音楽、アニメ、映画など)の流入が法律で禁止されていたんですよね。カルチャー親交が盛んな今の世代からは想像も付かないかも知れないけれど。確実に、年々変化を感じる。ここほんの20年で、まさに隔世の感があります(良い意味で!)!
クォンさんはそんな過渡期に日本と韓国を行き来されていて、ひょんなことから翻訳家になりました。生活のためだけでなく、純粋に日本の様々な作品を愛し、情熱を込めて訳し、韓国に根強い日本作品のファンを生み続けてくださっています。
個々の作品翻訳のエピソードのみならず、韓国の翻訳事情、世代毎の翻訳家の傾向、翻訳業の実際、原語とのニュアンス違いで生じる苦労やコツ、プライベートの変化や家族愛、などなど、、、
読みやすい文章でコンテンツてんこ盛り、読後感もじんわり温かく、大満足な本でした。本書の姉妹本も、本書にあったたくさんの作品群も、ぜひ読んでみたい。
…はい。てことでまた、沼です…笑!
おまけ
日本語をこれだけ繊細な韓国語に訳せるクォンさんなのだから、この本はクォンさんが日本語で書いた本なのかと思いきや。韓国で韓国語で出版された本を、日本の翻訳者さんが訳した本でした!
なんで?日本語バリバリいけるのに?とそこも気になって読んでいたら、本書にその答えも書いてあり腑に落ちました。
そうか、本書自体も、クォンさんの文章をそのまま直に読んでいる気分で読了したけれど、全て日本語訳!なので、訳者あとがきまでコンプリートすると、これがまたささやかな読書の醍醐味という感じでした。
韓国語が分かる人や、ほんの少しでも知っている人(私もこれ)が読むと、なおさら興味深く読めると思います。あー、面白かった!!
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