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アートをめぐるあれこれ

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さすがに長く生きていると色々考えてきた。 文章にすることで少しずつ思考をまとめようとしたら、 書き散らしているだけだなこれは。
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ポルトガルスタイル

ポルトガルスタイル

リスボンにジェロニモス修道院という、世界遺産がある。
その巨大な図体を過剰なまでにまめまめしい装飾で埋め尽くした、ある種、異様な建築である。
特に中庭の回廊をめぐる石柱の一本一本に、これでもかと刻み込まれたレリーフ彫刻は、見る者を不安にさせること間違いない。
何というか、部分と全体のバランスに均衡が取れておらず、鑑賞者はどこに注目すれば良いのかわからなくなるのである。

ポルトガルが、その歴史上た

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上野の森から

上野の森から

国立博物館まで「はにわ」展を見に行く。

太古、日本人はあの装飾過多な縄文土器や土偶を、延々と一万年も作り続けていた。
しれっと一万年と書いたのだが、以後の時代を全て足しても3000年なので、これは日本人の歴史のゆうに2/3を超える。
恐ろしく長いのである。

その後、突然シンプルモダンな弥生式に方向転換して、今度は打って変わって禁欲的な壺などを作る。
これが千年弱である。
縄文の足元にも及ばない

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意識されない能力(美術編)

意識されない能力(美術編)

さて昨日の話だ。

要約すると、体育やスポーツの才能というのは体力とか持久力ではなくて、実は「自分がイメージした動きを、自分の体でそのまま再現できる能力」なのではあるまいか、ということであった。
そんなこと書いてなかったかもしれないが、まぁそういうことが言いたかったのである。

こういう能力に何か名前がついているのかどうかはわからない。
世の中には賢い人がたくさんいるので、きっと誰かが研究している

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搬入という仕事

搬入という仕事

昨日今日は木場のギャラリーに搬入の仕事。

自宅の埼玉某所から東京江東区木場までは結構遠い。
遠いのだが、そこは痩せても枯れても首都圏だ。
やはり電車で行くのが一番速いし、便利でもある。

別に都会自慢ではないが、そうすると目的地まで複数の経路があって、検索すると出発時間次第でこの路線が速いとか、あっちの電車が安いぞとか、いろいろ言ってくるのが煩わしい。

余談だが、なんで都内の地下鉄というのは、

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八百万

八百万

働く場所に神棚というのは、私たちが普通にみる風景だ。

古来、八百万の神などといって、我々は森羅万象ありとあらゆるものに神様の姿を見出してきた。

そういう流れで本邦では、暴力団の事務所から中小企業の営業所に至るまで、しばしば神棚がしつらえてあるのを目にすることができる。
国家を代表する大企業の、自社ビルの屋上あたりに、ひっそりとお宮が祀ってある様子も、特に珍しいものでもないだろう。

そしてこれ

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色の話

色の話

先日、水彩画を教えていて、「このビリジャンがですね・・」みたいなセリフが口をついて出たのだけれど、ビリジャンだとか、クリムソンレーキとか言っても、残念ながらほとんどの人には伝わらない。

それはもうずっと前から、それこそ人に教える仕事を始めて以来、身にしみてわかっているのだから、もういいかげん別の言い方を考えろと、自分に対して歯痒く感じている。

ここまで書いて、ということは読んでいる人にも伝わら

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またぼやいています

またぼやいています

今日から4回、いつもとは別の公民館で代打講師である。
行ってみると、普段わたしのやっている教室と似たような構成で、まぁ慣れ親しんだ雰囲気だ。

というわけで教室自体は滞りなく進行して、まずまず問題なく終了したが、気になったのは、やはり生徒さん方の年齢層だ。
これは自分の教室でも一緒なのだが、有り体にいってだいぶ高齢化が進んでいる。

お話を伺うと、やはり長くやっているとだんだん平均年齢が高くなり、

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顔考

顔考

昔、石膏デッサンの下手なやつは、どの像を描いても顔が本人に似る、という都市伝説があった。

これには多少のエビデンスがあって、誰でも人生で一番よく観察している顔は、たぶん自分自身の顔なので、無意識のうちにそれが出てくる、という理屈である。

毎朝鏡で見る顔こそが、ベーシックなものとして、意識に刻み込まれるのではないか、というわけだ。

確かにわたしの経験では、生徒に自画像を描かせるのと、二人組にし

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2024 5 13の3行日記 (小難しい)

2024 5 13の3行日記 (小難しい)

世界を観察して、それを自分というフィルターを通して再構成し、出力するのが芸術である。

フィルタリングの手順や方法に自覚的であればあるほど、それは技術に近いものとなり、他方、作家本人が把握しきれていないブラックボックスの思考回路がある場合、これを感性と呼ぶことがままある。

作家とは、己のフィルターとしての性能を信じられる人間のことだ。

[覚え書き]柿渋[マニアック]

[覚え書き]柿渋[マニアック]

柿渋(かきしぶ)というものがある。
何かというと、これは日本古来の塗料である。

青柿の実を絞って発酵させもので、これを塗ったものはオレンジ色に染まり、紫外線によって徐々に落ち着いた赤茶色に変化する。
そのままであれば木目を生かした仕上げとなり、
弁柄や松煙と言った顔料を溶かして着色すれば、不透明な塗料にもなる。
要するに昔からある、天然のニス兼ペンキみたいなものである。

家屋の壁、塀、家具、什

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才能、遺伝と環境

才能、遺伝と環境

覚え書き。

才能は遺伝するのかという話。

例えば、我が家は6人家族だが、多少なりとも絵画の才能があるのは、多分わたしと母だけである。

母の絵を見たのは数回だけしかない。

経営していた店のポップに添えてあったのが一度、晩年デイケア先で描いてきたのを持ち帰ったことが何度か。
いずれも丁寧な作業で、平均よりはよく描けているかな、といったレベルで、ボケが進んでからはきちんと描けなくなった。

父の

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サルの絵

サルの絵

遠い昔の学生時代。

私が卒業制作に描いた絵は「ヒューマニズムと自然」というタイトルでした。
ずいぶんと哲学的かつ難解で、今となっては自分でもさっぱり理解できないんですが、まぁ、ずっと過去のことです。きっとあの頃は、少しばかり賢かったのでしょう。

で、その高尚なテーマのもと何を描いていたかと言えば、「サル」の絵なのです。いったい何でサルだったかはここには書きませんけれど、もちろん当時の私のなかで

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キャッチボールと遠近感

キャッチボールと遠近感

その昔、戯れにボール遊びなどした時であった。
誰かが、「キャッチボールができない奴は信用できない」といったことを口走った。

わたしはキャッチボールが苦手である。

この日のことは、今でもたまに思い出すし、苦い気持ちにもなるので、結構悔しかったのだと思う。

キャッチボールが苦手なのにはわけがあって、わたしは生まれつきの弱視で、左目の視力が極端に弱かった。

人間は右目と左目の視点のズレから、対象

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講評会

講評会

Twitterで「講評」について話題になっていたらしい。
まぁごくごく狭い範囲の、しかもマイナーな分野でのお話で、その上、わたしのタイムラインなんて貧弱そのものだから、元々のツイートすらよくわからない。
ただここ数日、そんな話題がちょこちょこ流れてきて、
おもしろいのは、そのほとんどが、なんというか自分語りなのだな。
みんな「講評なんて、ふんっ」と言うようなスタンスで、それでもそれなりに思い入れが

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