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エッセイ

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主に昔語りと創作。 つまらなそうだ? そうでもないぜ。
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2024年6月の記事一覧

Japan as No1

Japan as No1

Japan as No1という本が売れて、世の中の浮かれ始めた時期に、大学生だった。

当時貧乏美大生だった自分にはあまり縁のない話だったが、どうやら祖国の経済力は、知らぬ間に大したものになっていたようだ。

確かに、各地に新しい施設や建物が次々できて、世の中が小綺麗になっていった時期ではあった。
ファッションだのライフスタイルだの、いわゆる遊びの部分に光があたり、世は軽薄短小を指向していた。

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ずっと覚えている話

ずっと覚えている話

昨日の話を書きながら、当時読んだ本のタイトルをもっと思い出そうとしていたのだが、今ひとつ出てこなかった。

で、こちらの記事を読んで記憶をよび起こされた。

そう、有吉佐和子である。

ただわたしが読んだのは「複合汚染」で、これは食品添加物や、残留農薬だのといった、今日まで続く環境問題を提起した、画期的な作品であった。
1975年刊行、わたしは文庫で読んだのだから、もう少し後、高校生になった頃だろ

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立ち読み

立ち読み

本屋に行くのが億劫になってきた。

当地にはSという老舗の書店があって、街道沿いに構えたその本店は、地上4階、地下1階の堂々とした建物である。
わたしの学生の頃には、ギャラリーや喫茶コーナーも併設しつつ、その広大なスペースが全て本で埋まっていた。
一時は文具や画材まで取り扱っていて、そういえばわたしが油絵の道具を一通り揃えたのも、この店だったと思う。

とにかく昔から、ここにいけば新刊から専門書、

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事の続き

事の続き

雨だし、急ぎの仕事もないし、何より一応連れ合いの様子も気になるので家にいた。

この人は、監視していないと薬を飲まない。

別に風邪薬だの解熱剤を飲んだからといって、病気が治るわけではないが、圧倒的に楽に過ごせる。
だから、苦しそうにひぃひぃいっているくらいなら、薬を飲んでおとなしくしている方が、本人にも周囲にも圧倒的に良いと思うのだが、いちいち躊躇する。

特に熱があるとか、頭痛がするとかの本人

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取り急ぎ

取り急ぎ

帰って来たら、連れ合いが体調が悪いという。
症状からして、例の疫病の類ではなさそうだ。

この人は熱があっても測らないし、体調が悪くても病院に行かないし、やっとこさ病院で診てもらっても、医者と相性が悪かったといってそれっきり行くのをやめたりする。

医学の知識など皆無なくせに、これ以上薬を飲みたくないだの、熱があるとわかったところで、自分にできることは何もないだの、注射は痛いから嫌だの、有り体にい

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6月の第3日曜日

6月の第3日曜日

父の日だそうだ。

わたしは父親にならなかったので、この日に何かしてもらったことはない。

では自分自身が父親に対して何かしたことがあるかといえば、それもない。

前にも書いたことがあるが、我が家は世の中の通過儀礼だの年中行事だのを無視する傾向があって、これは父親自身がそういう家庭を築いたのだから致し方あるまい。

これも書いたことがあったかもしれないが、自分が大学生の頃、多少バイト代も入ったので

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老害考

老害考

貸アトリエで一緒のOくんが、ちょっと聞いてくださいよと話しかけてきた。
なんでも教えている絵画教室で、生徒さんから理不尽なクレームを受けたとのことで、大変に憤っている。

詳細を聞くと、確かに彼に非があるとは思えない。
百歩譲って、クレームを入れた方の気持ちも理解できなくはないが、大人ならそこは我慢して、黙っているだろうといった内容だった。

だからOくんも愚痴を言いたいだけだったのだろうが、話し

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ゴドー待ち(その4)

ゴドー待ち(その4)

これまでのお話
その1 その2 その3

今日の午後にはへらへらがやってくる。
そうすれば他にやることもないので、ここまでの通し稽古を見せねばなるまい。
そしてたぶん、ここまでひと月の練習が、大した結果を出していないことを、彼女に指摘されるのは避けられないであろう。

指摘されたからといって、事態は好転も悪化もしないのだが、この時の自分たちは現実と向き合いたくなかったのだ。

「ちょっとへらちゃん

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ゴドー待ち(その3)

ゴドー待ち(その3)

その1とその2はこちら↓

「ゴドーを待ちながら」はサミュエル・ベケットによる不条理劇の古典的名作である。
ゴドーなる人物を、二人の男が待っている。
ところが待っているだけで何も起こらない。そしてゴドーも現れない。
いろいろな解釈の可能だが、結局正しい解釈など存在しない、そういう芝居だ。

以上は演劇界ではとても有名な話なので、少なくとも大学生で芝居をやろうなんて者にとっては基本のキである。
ホー

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ゴドー待ち(その2)

ゴドー待ち(その2)

ここまでの前振りはこちら

1986年の年明けであった。
卒業年次を迎えた我々は、一応単位も取得し、あるいは卒業し損ね、とにかくもうやることがなかった。

だが、では怠惰に過ごしていたのかといえばさにあらず。
じつは密かにこの年の3月に、最後のイベントとしての学外公演を企画していたのである。

メンバーは在学中を芝居漬けで過ごした腐れ縁たち、お互い認めあった、というのも変だが、実力者の役者4人組と

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ゴドー待ち(その1)

ゴドー待ち(その1)

80年代の前半、学生劇団に入っていた。

まぁお遊びといえばお遊びかもしれないが、メンバーは一応美大の学生である。
手先は器用だし馬力もあったから、舞台装置だの照明機材だのという、自分で作れるものはそこそこのレベルで自作した。
最後は200人は収容できる大テントを自作して、大学の配電盤から電気を引っぱって、裏山で公演を打つところまでいった。

それに役者陣も悪くなかったと思う。
何か伝えたいから美

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進路室の秘密

進路室の秘密

昨日運動部の話を書いたら、ちょっとコメントのやりとりなどがあり、それで思い出したことがある。

わたしはかつて15年間で3つの高校に勤めた。

最初の学校は可もなく不可もなく、みんな進学したがるが、なかなか現役で受からない「進学希望校」であった。
いっぽう2校目は、とりあえず高望みしなければどこかには受かる、一応本物の「進学校」だったように思う。
(3校目については、今回は横に置いておく)

でど

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運動部考

運動部考

人生で運動部というものに入ったことがない。

大学で演劇のサークルに入ったが、それ以外は小学校から高校までずっと美術系だった。

小学校は図工部。
なぜかずっと模型飛行機を作っていたが、わたし一人だけ市販のキットではなく、自分で設計した三角翼の機体を作って、全く飛ばなかったのを覚えている。

中学は晴れて正式な美術部に入ったが、わたしの意気込みに反して、誰も部活に出てこなかったので、ほとんど活動し

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ファミレス風景

ファミレス風景

ずいぶん久しぶりにファミレスに入った。
驚いたことに店に入ってから出るまで、いっさい店員と対峙しないで済んでしまった。

注文はもとより、配膳はロボットだし、ポイントをつけるのも会計するのも機械だ。
時折新聞チラシに入ってくる割引クーポンさえ、タブレットに番号入力で事足りてしまう。

昔から割引券の類を嬉々として使うというのがどうにも格好悪いと思ってしまう、スノッブな自意識を持っている自分だが、チ

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