トラウマ治療:ソマティック・エクスペリエンシング(SE)体験⑦ セラピーを受けながら…
セラピーを受けながら、私はよく泣きました。つらい記憶を思い出しては泣いて、思い出せばまたその記憶に重なるつらい記憶が次々に出てきて、出口が見えないと感じていた時期も長かったです。正直、セラピーを受ければ受けるほど、楽になっていった、というわけでもありませんでした。
それでも、この世の中に、自分のおぞましい話を聞いて、身体の状態も見てくれる人なんて、他にいないのだ、と思いながら、セラピーへ通っていました。本当はこんなことにお金をかけなくても幸せに過ごせる人生が良かった、と思っても、それでも今より良くなるために、セラピーへ通うしかなかったし、その時間の価値も、その時には分からなくても、後々になって、やはり価値あるものだったと感じられるものなのかもしれません。
話したいことが沢山あるのに、それを止められて、もどかしい気持がしたこともあったし、セラピストを何度か変えて、それぞれの良さはあったものの、あるセラピストは、「SEとはこういうやり方をするものだ」というご自身の信念が強いのか、自分のポリシーにクライアント(私)を添わせようとするような、尊大な医者のような印象を受けたこともありました。
高額のセラピーですが、正直、毎回その金額に見合ったものを受け取ったと感じられたわけではなく、SEの資格を持った全てのセラピストが自分にとって合うわけでもないとも思いました。それはカウンセラーでも同じです。(カウンセラーの選び方については、また別の機会に詳しく書きます)
それぞれのSEセラピストによって、セラピーのやり方が違うことについて質問すると、「SEは枠組みだから、様々なバックグラウンドを持ちながらSEの枠組みを使うことができて、それがSEの良いところ」と伺いました。確かに、SEの公式サイトに掲載されているセラピストでも、セラピーの内容は異なり、あるセラピストは、私が読む本まで限定してきましたが(専門書は読むな、一般書は良い等)、別のセラピストは、読みたい本は、どの本を読んでもいい、とのことでした。私の過去の読書歴や読書がどのように生活や人生に溶け込んでいるかということまでも知るはずのない人から、様々な指示をされることに違和感を感じたこともありました。
自分がとてもつらい時、何が自分にとってつらいのか、何をやめればいいのか、どのセラピーが自分に合っていて、どれが意味がないのか、どの先生を続ければよくて、どの先生はもう変えた方が良いのか、その判断がとても難しいと感じます。当然ですが、どのセラピストもカウンセラーも、生活の手段としてされているわけで、ご自分を売り込むことはしても、あなたには私は合わないですよ、という助言を得られることはほぼありません。だから、自分に今何が必要で、何が合うか、ということは、自己判断するしかない。苦しんでいるのに、その解決法を探すのも自己判断に委ねられるのは、人生そのもののような厳しさがあると感じます。私は、昔、カウンセラー選びで失敗した経験があったので、なんとか自分に合うものを見つけようと必死でした。
高いお金のかかることなので、その面で、数回しかセラピーを受けることができないのであれば、それはそれで(お金の無駄遣いをしなくてすむので)利点でもあると私個人は思います。正直、その位、金銭的に怖いことだとも感じていて、悩みが深ければ、際限なく、どんどんお金を使いそうになってしまう。貴重なお金をかけるのだから、どのセラピーを受けるか、セラピストの選び方は、とても重要だと思います。おすすめの方法は、まず最初の1回だけ試してみることです。何人か比較して、その時の自分にしっくりくるセラピストを選ぶ。
セラピーとセラピーの間で自分がすること、日常生活の中で自分が心がけることは、お金もかかりません。ですので、私の体験が少しでもそういう面のサポートになればいいし、私自身も日常の中で努力を重ねながら、少しずつ進んでいきたいと思います。
私が自分で考えてやって良かったことは、苦しかった子供時代の写真を何枚かケースに入れて、その写真を持ち歩きながら生活することです。それは今も続けています。何度も何度も繰り返し、苦しかったあの頃の自分の姿を見る、時々話しかける、あの頃の自分を胸に抱いて、ああ本当につらかったんだ、と心から感じる、そして長い間、昔の自分のつらさに寄り添ってあげられなかったことを思って、何度も何度もひとりで泣きました。
震えが起きてから楽に感じられるようになった経験については既に書きました。そういう経験だけでなく、地道な努力、自分の体の感覚を細やかに感じることもそうだし、過去の自分と対話する、自分ひとりだけの時間もたくさんたくさん持ちました。
話を聞いて欲しいとき、たとえば家族なら、「あなたのために50分時間を使ったので、1万円払って」とは言わない。「次に話を聞くまで、1週間は時間あけてください」とも言われない。でもカウンセリングやセラピーって、そういう世界です。それが空しいなと感じたことも何度もありました。だから本当は、自分で自分を支えて、ちゃんと自分をいたわって大事にして、ということができるのが一番なんですよね。
結局、自分で自分を支えなくては、と思うのは、自分がどれだけつらかったかは、究極のところでは、自分にしかわからないと感じたからです。傾聴カウンセリングを受けて、共感的なことを言ってもらったり、そういう態度を示してもらうことはできる。セラピストから何らかの導きをしてもらうこともできる。ですが、カウンセラーもセラピストも、自助グループの仲間も、偉大な芸術家でさえも、究極のところで、自分がどれ程つらかったかを理解することはできない、と感じます。だってそれを体験したのは、私だけだから。
自分が自分に向き合うことは、自分以外の誰も、セラピストも入ってこられない、自分ひとりだけの世界です。お金もかからない、誰かから、ああしろ、こうしろ、と指示されることもない。そういう「自分だけの世界」を大事にして、少しずつ少しずつ、私は自分の力を取り戻しつつあるように感じます。そして今も道半ばです。
戦いに勝つことができたものは、
こんどは平和のなかで幸福をつかむことを学ばなければならない
(ロバート・ブラウニング)