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#13 痴人の愛【読書感想文】
女の顔は男の憎しみがかかればかかる程美しくなるのを知りました。
読後、いつものようにnoteを書こうと下書きを書き始めたのだが、中々思うように書けない。現代文学は一つの恋愛を描くにおいても他作品との差別化が必要不可欠な為、かなり設定に独自性を持たさないといけない分、古典文学はかなり写実的である。最後、馬鹿馬鹿しいと思う人は笑って教訓にして欲しいという一文があるが、この作品を読んで譲治を笑い飛ばせた男性はどれくらいいるだろうか。男なら大なり小なり刺さる部分があっただろう。これは男の“恋愛の呪い”を描いた作品なのかもしれない。
二十八になる河井譲治は電気会社の技師として何不自由もなく生活していた。会社の中でも「君子」と呼ばれ、女性経験はないものの、質素で真面目でエリートなサラリーマンであった。譲治はある時、カフェのウェイトレスであった十五歳の美少女奈緒美と出逢う。彼女のハイカラな名前と西洋的な顔立ちに惚れ、実家が貧しい彼女を引き取り、十六になった春入籍した。譲治はナオミが欲しがるものは何でも与え、一流の女性に育て上げようと奮発した。そんなある日、譲治が帰宅するとナオミが他の男と立話をしているのを目撃してしまう。
もともとナオミを妻にしたのも彼女をうんと美しい夫人にして、毎日方々へ連れ歩いて、世間の奴等に何とかかとか云われて見たい。
表立っては言わないが、現代においても潜在的に恋人の存在を一種のステータスと感じている男性はいるだろう。学生時代は特に恋人がいるいないで勝ち負けを決めたり、社会人になってからも容姿が整っていて社会的地位もあってと求める条件を上げだすとキリがないかもしれない。「こんな可愛い恋人を連れているんだぞ」ということを自慢したい。そんな譲治の願望は馬鹿だと笑い飛ばせない。
ナオミのようなのが一番自分の注文に嵌っているのだと、そう考えて結局は私は満足していたのです。
そして、自らの自己評価に合った恋人を求める。昨今、マッチングアプリでの出逢いが増えてきたが、出逢いの方法が変わっただけで実は譲治は今も日本たくさんいる。だから笑えない。
つまり彼女の虚栄心を傷つけないようにするためには、彼女一人の贅沢では済まない結果になるのでした。
こう云う場合、「この女はナオミに比べて勝っているか、劣っているか」と、私は自然、ナオミの美しさを標準にしてしまう
彼女のために今日まで払った犠牲と苦労とが、一度に報いられたような心地がしました。
そしてそんな自分に相応しい判断した整った容姿等ステータスを持った愛する恋人を繋ぎ止めておく為には、求められる贅沢を許容しなければならない。それは現代のSNS時代に通ずるものがある。こんな贅沢が出来ると周囲に自慢することで地位を獲得する。そして、そんな贅沢が実現出来なくなると恋人に捨てられる。そして自分の魅力に合ったより魅力的な新しい恋人を探す。現代の恋愛も同じかもしれない。
この後の展開はネタバレになってしまう為、引用はしないが、現代の人々にも刺さる素敵な心理描写に溢れている作品だった。
どうしてそんな下らないコトがそんなにまでも懐かしいのか、
谷崎潤一郎『痴人の愛』(新潮文庫、1925)