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2021年2月の記事一覧
支援したくてもできない日はやってくる
noteを書く時間がなかなかとれないんです。
正確に言うと、noteに「ある程度まとまった文章」として書いていく時間が録れないな、という感じです。
書きたいけどなかなか手を付けられなくて、そのまま放置していることも若干ストレスになっていたところふと気づきました。
僕最近毎日ブログ代わりに自分のFacebookに日々の気付き、みたいなものを書いているんですね。仕事終わりにチャチャッと書いている
何をすることが「支援」なのかを定義づけておく
久しぶりにうちの事業所に新人さんが入ってきたので、毎日業務をお伝えしたり利用者さんの情報をお伝えしたり、僕なりの支援についての考え方をお伝えしたり、ちょびちょびと所長らしいことをしています。
そんな中で、また改めてきちんと伝えないといけないなぁ、と感じたことがあります。
何をすることが「支援」なのかっていうことの【定義】です。
例えば利用者さんに訓練用の作業のやり方を指導するとします。
僕ら
理由や起因を「障がい」のせいにはしない
今日、たまたま結婚した利用者さんの旦那さんが、色々と自分の相談に来られたり、カップルの利用者さんのいつもどおりの痴話ゲンカを見ていたりしていてふと感じたんですが、友人関係であっても恋人関係であっても、夫婦になっても、利用者さん達はよくコミニュケーションがすれ違って喧嘩になってみたり、落ち込んでみたり怒ってみたり、やたらといつも悲喜こもごもなんです。
それぞれ受け止め方や伝え方の部分で、言葉が足り
「掛け算」で生まれるもの
昨日は「ウサギ食堂」っていう、障がい児を持つお父さんの集いに、当事者支援者として(一応)行ってきました。
支援者、といいながら、そんなに肩肘張った話なんてしてなくて、お父さん達と一緒になって自然に生まれる会話、対話の中で、「専門職の相談支援」みたいな雰囲気じゃなくて、ほんとに食堂でお客さん同士が盛り上がってるような空気感で、ただただゆるやかな時間を過ごしました。
普段事業所の中だけで利用者さん
支援、って利用者さんとの共同作業だと思う
あまり褒められた話じゃないですが、僕は利用者さんを「叱る」事があります。正確には「厳しさ」の表出を用いた支援だという認識なんですが。
嫌な役回りです。今でこそだいぶ慣れましたが、最初は本当に自分の胃が痛くなる事がしばしばありました。
でも、ここで肝心なのは、実際に叱るこの瞬間よりも、何というか僕は僕で「叱る役割」、利用者さんは利用者さんで「叱られる役割」を全うして、一緒に事の重大さを体感して、
「自分は誰にも望まれてない」
自己肯定感。
ここが欠けている方は少なくありません。
障がいを持ち、それによるのかよらないのかは別として、いろんな背景によって、この自己肯定感がひどく下がっている人がいます。
彼らを支援するときには、「愛着欲求」をどういう形で埋め合わせてあげられるか、それから心理的距離感をどれだけ縮められるか、という事が大事じゃないかと考えるんですが、それ以上に大事なのが、その「自己肯定感の低さが自分の足を止
その支援は誰のため? って考える
今日も会議で一日支援現場にいなかったんですが、終業後に福祉業仲間といつも録ってるラジオの収録をしていたんです。
ネタバレになっちゃうかもなんだけど、そこで話した事をもう少し掘り下げたいと思ったのでこっちに書きます。
多分今日録ったラジオを聴いてから読むともう少し面白い記事になるかもしれません。
僕ら支援者は、「支援しなきゃいけないこと」と「支援の大義名分を使ってしてはいけないこと」の区別をきち
少なくとも僕はロクな人生を送っていない
今日は別のNPOさんのオンラインイベントに参加させていただいて、40も越えたオッサンですが若い方に混ぜてもらって、おそらくひとつの等身大の若者達の気持ちや想いに触れさせていただきました。
こっちのブログにいろいろエネルギーを使いすぎてしまったので、こちらのnoteは簡潔に書きたいと思います。
まぁ、個人の感想的な感傷的な話はどうでもいいんですが、彼らの話を聞いていて、時に自分も話していて感じた