マガジンのカバー画像

支援バカのつぶやき

56
いち支援者としての気づきや考えを2021年から書き綴っています。まぁ、日記みたいなもんです。
運営しているクリエイター

2021年2月の記事一覧

支援したくてもできない日はやってくる

支援したくてもできない日はやってくる

noteを書く時間がなかなかとれないんです。

正確に言うと、noteに「ある程度まとまった文章」として書いていく時間が録れないな、という感じです。

書きたいけどなかなか手を付けられなくて、そのまま放置していることも若干ストレスになっていたところふと気づきました。

僕最近毎日ブログ代わりに自分のFacebookに日々の気付き、みたいなものを書いているんですね。仕事終わりにチャチャッと書いている

もっとみる
何をすることが「支援」なのかを定義づけておく

何をすることが「支援」なのかを定義づけておく

久しぶりにうちの事業所に新人さんが入ってきたので、毎日業務をお伝えしたり利用者さんの情報をお伝えしたり、僕なりの支援についての考え方をお伝えしたり、ちょびちょびと所長らしいことをしています。

そんな中で、また改めてきちんと伝えないといけないなぁ、と感じたことがあります。

何をすることが「支援」なのかっていうことの【定義】です。

例えば利用者さんに訓練用の作業のやり方を指導するとします。
僕ら

もっとみる
理由や起因を「障がい」のせいにはしない

理由や起因を「障がい」のせいにはしない

今日、たまたま結婚した利用者さんの旦那さんが、色々と自分の相談に来られたり、カップルの利用者さんのいつもどおりの痴話ゲンカを見ていたりしていてふと感じたんですが、友人関係であっても恋人関係であっても、夫婦になっても、利用者さん達はよくコミニュケーションがすれ違って喧嘩になってみたり、落ち込んでみたり怒ってみたり、やたらといつも悲喜こもごもなんです。

それぞれ受け止め方や伝え方の部分で、言葉が足り

もっとみる
どんな人にも「伸びシロ」がある

どんな人にも「伸びシロ」がある

身体障がい・知的障がい・発達障がい・精神障がい。
障がいと呼ばれているものはそれぞれの特性(症状)があります。

医学的根拠に立って示されているもの、数値化して表されるものなど様々です。
身体に症状が現れる疾患、脳の発達の遅れや発達バランスの乱れ、ホルモンや伝達物質の分泌異常などなど、もしかしたらそれ自体は確かになかなかコントロールできるものではないかも知れません。

僕ら障がい福祉の世界でも、身

もっとみる
「掛け算」で生まれるもの

「掛け算」で生まれるもの

昨日は「ウサギ食堂」っていう、障がい児を持つお父さんの集いに、当事者支援者として(一応)行ってきました。

支援者、といいながら、そんなに肩肘張った話なんてしてなくて、お父さん達と一緒になって自然に生まれる会話、対話の中で、「専門職の相談支援」みたいな雰囲気じゃなくて、ほんとに食堂でお客さん同士が盛り上がってるような空気感で、ただただゆるやかな時間を過ごしました。

普段事業所の中だけで利用者さん

もっとみる
支援、って利用者さんとの共同作業だと思う

支援、って利用者さんとの共同作業だと思う

あまり褒められた話じゃないですが、僕は利用者さんを「叱る」事があります。正確には「厳しさ」の表出を用いた支援だという認識なんですが。

嫌な役回りです。今でこそだいぶ慣れましたが、最初は本当に自分の胃が痛くなる事がしばしばありました。

でも、ここで肝心なのは、実際に叱るこの瞬間よりも、何というか僕は僕で「叱る役割」、利用者さんは利用者さんで「叱られる役割」を全うして、一緒に事の重大さを体感して、

もっとみる
「自分は誰にも望まれてない」

「自分は誰にも望まれてない」

自己肯定感。

ここが欠けている方は少なくありません。
障がいを持ち、それによるのかよらないのかは別として、いろんな背景によって、この自己肯定感がひどく下がっている人がいます。

彼らを支援するときには、「愛着欲求」をどういう形で埋め合わせてあげられるか、それから心理的距離感をどれだけ縮められるか、という事が大事じゃないかと考えるんですが、それ以上に大事なのが、その「自己肯定感の低さが自分の足を止

もっとみる
枠組みを外す

枠組みを外す

しつこい話かも知れませんが、先週初めてやった取り組み「ウサギ食堂」の振り返りで、standfmというネットラジオを録りました。

改めて説明すると、今回の企画は、障がい児の保護者の支援をやってるNPOと、地域の居場所をつくる事業をしている事業主と、普段制度事業として、当事者支援を行なっている支援者という、全くベクトルは違うように見える3団体のコラボレーション企画だったんです。

普段全然違うフィー

もっとみる
当たり前の人生を当たり前に送れる支援をそろそろ考えよう

当たり前の人生を当たり前に送れる支援をそろそろ考えよう

夕方から、去年結婚した利用者さん夫婦のコミニュケーション相談及び課題整理と講義、みたいな対応をしてました。

 
 
ちょうどお昼、当事者の恋愛にまつわる話をしこたましてきた後だっただけに、なかなかタイムリーな感じ😅

仕事や生活、お金なんかは、生きていくためのセーフティネットだから、というのもあるんでしょう。様々な支援が国の法律によって整備されています。
ここをきちんと整備することは確かに絶対

もっとみる
支援バカが支援に携われないボヤキ

支援バカが支援に携われないボヤキ

今日はほとんど現場にいなかったので、利用者さんともなんかほとんど関われていないという、個人的には若干の消化不良を覚える1日でした。

でも明日もほぼ1日会議と外部の仕事なのでまたもや1日ほぼ利用者さんと関われないという・・・。

僕は現場で利用者さんと関わりながら過ごすのがとても好きです。
もともと福祉の仕事をしているのは、自分が直接何かしら困りごとを持っている人の役に立てるから、なので、やっぱり

もっとみる
その支援は誰のため? って考える

その支援は誰のため? って考える

今日も会議で一日支援現場にいなかったんですが、終業後に福祉業仲間といつも録ってるラジオの収録をしていたんです。

ネタバレになっちゃうかもなんだけど、そこで話した事をもう少し掘り下げたいと思ったのでこっちに書きます。
多分今日録ったラジオを聴いてから読むともう少し面白い記事になるかもしれません。

僕ら支援者は、「支援しなきゃいけないこと」と「支援の大義名分を使ってしてはいけないこと」の区別をきち

もっとみる
少なくとも僕はロクな人生を送っていない

少なくとも僕はロクな人生を送っていない

今日は別のNPOさんのオンラインイベントに参加させていただいて、40も越えたオッサンですが若い方に混ぜてもらって、おそらくひとつの等身大の若者達の気持ちや想いに触れさせていただきました。

こっちのブログにいろいろエネルギーを使いすぎてしまったので、こちらのnoteは簡潔に書きたいと思います。

まぁ、個人の感想的な感傷的な話はどうでもいいんですが、彼らの話を聞いていて、時に自分も話していて感じた

もっとみる
人の人生に「◯◯期」なんて切れ目はない

人の人生に「◯◯期」なんて切れ目はない

僕は支援をする時に「障がい特性」よりも「アセスメント(能力評価)」よりも重要視している視点があります。

 
 
それは利用者さんの「人生史」です。

 
生育歴とか生活歴とか、家族との関わり方とか。
 
  
何でそれを重視しているのか、というと、それが障がい特性と呼ばれるものにも、能力にも、社会性にもコミニュケーション能力にも全てに影響を及ぼしているからです。
 
 
 
僕ら成人期の支援をし

もっとみる
支援バカがつくる事業所の話

支援バカがつくる事業所の話

年度末も近づいてきているところで、来年度以降の事業所のあり方についてスタッフと話をしています。

なにぶん所長の僕が普段何考えてんのか分からないけど、急に思考がまとまった時に「こういう風にしてはどうかと思ってる」って振るもんだから、それにスタッフもよくついてきてくれるなぁ、といつも思うわけなんですが…。

就労する事を目的にした支援をするのを僕はあまり好まないんです。
僕らはもしかしたら就労さえし

もっとみる