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支援、って利用者さんとの共同作業だと思う

あまり褒められた話じゃないですが、僕は利用者さんを「叱る」事があります。正確には「厳しさ」の表出を用いた支援だという認識なんですが。


嫌な役回りです。今でこそだいぶ慣れましたが、最初は本当に自分の胃が痛くなる事がしばしばありました。



でも、ここで肝心なのは、実際に叱るこの瞬間よりも、何というか僕は僕で「叱る役割」、利用者さんは利用者さんで「叱られる役割」を全うして、一緒に事の重大さを体感して、成長するためのステージとしてそれを踏みしめて行く、という共同作業の関係が作れているか否か、という事なんじゃないかと思います。



「叱る」という共同作業はそれだけ重要なわけで、このプロセスを通じて一緒に考えたり学んだりする場面にしていくんです。



だから、実際に僕が叱る、ってときは彼らもちゃんと「叱られ」ます。


でも、どうやら特に若い利用者さん達にとってはそれが「儀式」みたいになってて、「所長に叱られる事柄ってのは、本当に大事な事だからな」みたいな事を言い合ってたりするんです。



面白いですよね。
彼らはちゃんと「叱られ方」をわきまえていて、真面目なんだか楽しんでるんだか、ものの良し悪しの判断軸に使ってるんです。



これ、僕の側だけでは成立しない関係なんですよね。
叱られる側もこの儀式の意図を汲みながら一緒に作り上げてく支援なんです。



こんなやりとりをしていると、やっぱり支援って、支援者がするだけじゃなく、利用者さんと一緒にやってるんだなぁ、という事を、最近は強く思う事が増えました。

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