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与謝野晶子が煙草を投げた窓から芹川の流れを望む十月

Jリーグ中断期間の間隙を縫うように休日を捻出し、長湯温泉に連れていってもらいました。長湯には数々の文学碑があることから「月刊セーノ!」や「モグモグ」といった地元誌やいまは無きサブカル情報誌「CONKA」など、さまざまな場で文学にまつわるコラムを書かせていただいており、個人的にも馴染みの深いところです。

文人ゆかりの宿で彼らが過ごした一夜を思う

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今回の宿は大丸旅館。大正6年創業の老舗の温泉宿です。長湯温泉には昭和初期に川端康成や与謝野鉄幹・晶子夫妻、野口雨情、北原白秋、種田山頭火ら近代文学の錚々たる面々が訪れており、特に大丸旅館にはその後も開高健さんたち文人墨客が好んで投宿して、情緒あふれるエピソードが満載。

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数多いエピソードの中でわたしが最も好きなのは、歌人の大先輩である与謝野晶子が宴席の開かれた夜、二階の窓から火のついたままの煙草を眼下の芹川に投げたというもの。その様子を暗い外で見ていた川端康成が書き残しています。現在なら決して許されないポイ捨て案件ですが、川端ワールドの美しい筆致で描き出されたらそれはもう情趣でしかありません。

鉄幹・晶子夫妻は大丸旅館で二首ずつ歌を残しています。

 湯の原の宿の十二時なほ寝ぬは歌詠五人芹川の音/鉄幹
 芹川の湯の宿に来て灯のもとに秋を覚ゆる山の夕立

 芹川の夜の流れより上がり来て蛾の座りたる湯宿の卓/晶子
 湯の原の雨山に満ちその雨の錆のごとくに浮かぶ霧かな

それぞれの二首目が宿の玄関脇、芹川にかかる橋のたもとに立つ歌碑に、仲良く並んで刻まれています。

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晶子の一首目に出てくる蛾は宴の席で地元の名士がつかまえてきたものだったそうで、ヒトリガという、特徴的な翅を持つ種類。漢字では「燈取蛾」とか「灯盗蛾」と書いて、走光性、要は「飛んで火に入る夏の虫」の代表のような奴らしいですね。虫嫌いだから画像貼らないけど。勝手に検索して。

このヒトリガが余程印象的だったのか、晶子はもう一首、こんな歌を詠んでいます。

 蛾となりてやがてはここに飛びて来ん芹川に添ふ小さきともし灯

宴席への蛾の登場に驚いた一首よりも、こちらのほうが長湯の空気感をより深く体内に取り込んで消化した感じを受けますね。ファッションに強いこだわりを持っていた晶子さんはまた、ヒトリガの鮮やかな翅に自らを重ねてみたのかもしれません。この歌も歌碑となって旅館「かどやRe」のそばに立っていますので、訪れた際には是非御覧になってください。

そういえば宿に到着したとき、十月も半ばだというのに玄関の脇で大きな蛾が翅を休めていてビビりました。カラフルなヒトリガではなく地味で大振りな蛾だったので、あれはきっと晶子さんではなく鉄幹さんだな。

万葉集の時代からうたわれてきた長湯

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今回泊めていただいた部屋の名前は「朽網(くたみ)」。竹田市の久住町都野から直入町長湯にかけての昔の地名で、中世にはキリスト教がさかんに布教されたところなのですが、時代はさらに遡って万葉集に、この朽網地区の歌が三首あります。

 朽網山夕居る雲のうすれ徃かばわれは恋いなむ君が目を欲り/詠み人知らず(巻11-2674)
 明日よりは吾は恋ひなむ名欲山石踏み平し君が越えいなば/城原の娘子(巻9-1778)
 命をしまさきくもがな名欲山石踏み平しまたまたも来む/藤井連広成(巻9-1779)

一首目は詠み人知らずで背景がわかりませんが、「朽網山」というのは久住山のことらしいです。久住山にかかる夕雲が薄れていくにつれ、あなたのことが恋しくなる、という恋の歌。二首目と三首目は恋人同士の相聞で、出向してきていた役人・藤原連が任期を終えて京へと帰るとき、離れ離れになってしまう現地妻(!)と「明日からあなたを思って過ごします」「また会いにくるからどうか無事でいて」とやりとりする歌です。みんな山を見上げて愛しい人のことを思っていたんですね。山を越えなくてはここには来れずどこにも行けないからな…。ちなみに「名欲山(なほりやま)」は現在の木原山だと言われています。

取材ノートがなくなり幻となった川端康成の一篇

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大丸旅館本館の道を挟んで向かいに立つのが、川端康成にちなんで名付けられたラウンジ「川端家」。メニューはほぼコーヒーとほうれん草ソフトクリームだけという感じですが、アンティークな調度品の並ぶ薄暗い室内から明るい川べりの道を眺めるひとときは癒しでしかありません。

川端康成は小説『千羽鶴』の続編となるべき『波千鳥』の取材のために久住を訪れたのですが、東京に戻って途中まで書いたところで取材ノートの入った鞄が盗難に遭い、続きを書くことができず未完のまま。でも『千羽鶴』のタイトルを冠したお酒は、久住町の佐藤酒造さんで造られています。宿の夕食でいただきましたが、しっかりした味で美味しかったです。

ミもフタもない結末にドン引き!謎きわまりないガニ湯伝説

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かくも長湯はロマンに満ちた湯の町なのですが、その中にあってひときわ異彩を放つのが「ガニ湯」です。大分では昔はカニのことを「ガニ」って呼んでいたんですよね。多分、川のカニだけ? 海のカニをガニって呼ぶのは聞いたことがないです。宇佐名物のあれも「ガニ汁」だし。なまって撥音便化して「ガンジル」と呼ばれて、もうどこの国の料理だかわからないことになってる気がするけど。

で、芹川のど真ん中に湧き出しているのがガニ湯。温泉です。川底から炭酸泉。湯船をしつらえてはみたものの、あまりの露天っぷりに入るにはなかなか勇気が要りますね。もちろん水着やタオル着用のままでOKです。

それにしても、このガニ湯の伝説がハンパない。ざっと話すとこんなストーリーです。

芹川に住むガニが村の娘に一目惚れ。そこでガニは思います。「人間になって結ばれたい!」

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川のほとりに立つ寺のお坊さんが、そんなガニの切ない願いを知って助言します。「寺の鐘を百まで聞けば人間に生まれ変われるらしいよ」。そうなのか? 一体なんの根拠があって? それが本当だったら大晦日のたびに芹川一帯のガニたちがみんな人間になってしまうだろ!(※筆者ツッコミ)

というわけで、件の村娘が湯浴みに来たとき、お坊さんは鐘をつき、ガニはそれを川の中から聞きはじめました。ところが鐘をついていたお坊さん、ふと入浴中の娘に目をやったとき、その美しさに思わず気が変わった模様!

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「やっぱ娘はオレがもらう!」。九十九回まで鐘をついていたのに、この心変わり。そんな裏切り者のナマグサ坊主が娘に近づいた瞬間、にわかに空がかき曇り嵐になります。そして坊主もガニも落雷にやられてしまう! なぜガニまで? ガニ悪くないやん!

嵐が終わり川の水が引いたあとにはガニの形をした岩が現れ、無数の泡とともに湯が湧き出しました。これがガニ湯のはじまりだそうです。おしまい。

…という、あまりにミもフタもない結末。カニの泡と炭酸泉を掛けたんだろうけど、最初の設定からして破天荒な上にどんどん破綻していくスゴさ!

ガニ湯に背を向けるとそこにはスッポン供養碑があり、ちょうどラグビーW杯の時期ということで、普段はスッピンのスッポンが日本代表ユニ着てた。

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「月とスッポンニッポン協会」。…うん。

ソーダに沈むチェリーな気分。炭酸泉の気持ちよさ

というガニ湯伝説のとおり、長湯のお湯は優れた炭酸泉です。2007年に「日本一の炭酸泉宣言」までしているレベルでシュワシュワなのです。ドイツで温泉治療学を学んだ九州帝国大学の松尾武幸博士が昭和8年に泉質を研究してお墨付きをくれたのだそう。松尾博士の都々逸の歌碑は、伊藤医院の駐車場入口に立っています。

 飲んで効き長湯して利く長湯のお湯は心臓胃腸に血の薬

そんな長湯の炭酸泉を存分に満喫できるのが「ラムネ温泉」。人肌より少し冷たいくらいの露天の湯に浸かると、体いっぱいに炭酸の泡が付着。これが美容とか健康とかにすこぶるいいらしい。

内湯は温度高めの、もちろんこちらも炭酸泉。いずれも源泉掛け流し。シュワシュワしながら浸かっていると、常連さんらしいおばちゃんが声をかけてくれました。「出来るだけ噴き出し口の近くにいたほうが泡がつくよ!」。こういう親切さが、炭酸泉の効能に加えて身にしみるものです。

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ラムネ温泉、受付を済ませると脱衣所までは猫たちが先導してくれます。

ほかにも長湯には素晴らしいお風呂がいっぱい。日帰り入浴できるところも多いので是非あちこち回ってみてください。

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長湯の町を歩くとそこここで文学碑と出合います。大丸旅館からラムネ温泉に向かう芹川沿いのここにも、晶子の歌碑。

 山川のならびにやがて水曲がり天の川ほど目に見ゆる川

ほかにも種田山頭火や椋鳩十、野口雨情、花田比露思ら、たくさんの文学碑がさりげなく点在しています。ひとつひとつの歌や句をたどりながら、彼らの見た長湯を追体験してみるのも一興ですよ。

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ひぐらしひなつ
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