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これまで歩んできた人生は、結局自分で選んだ道なんだよね
「今あるのは、あの人のおかげ」というのもあると思うんですけど、結局は今ここにいる自分というのは、自分でこの道を選んだから、ここにいる。そういうことなんですよね。
挫折もしたし、失敗もしたし、失恋もしたし、別離も経験したし。
誰かの影響を受けるということはあります。テレビに出ている人だったり、周りの友人、先生、親兄弟親戚、そして本。周りの言葉によって「あぁ、そうしてみるかなぁ、やってみるかな」ってなって、実際にやってみたら、結果がついてくる。
でもですね。
「やってみるか」と思っても結局「決断」しているのは「自分」なんですよね。
誰かに背中を押されることはあっても、背中を押されて、前に向かって歩き始めるのは、あくまでも自分なんですよね。
昔読んだアドラーの本で「馬を水飲み場に連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない(水を飲むのは馬自身である)」という一説が出てきます。
確かにそうですよね。
強要された、それとなく仕向けられた、お膳立てされた、たとえそうであったとしても「そうせざるを得ないよね、じゃぁやろう」って、決断したのは、他でもない「自分」です。
世の中では、これを逆手に取って「人のせい」にしてしまいがちですが、本当は違うんですよね。わたしも人間ができていないので「人のせい」にしてしまうことは往々にしてあります。
でも、本当は、人のせいじゃないんですよね。
結局は自分で決断している。気づいているのか、そうでないのか、分かっているはずなんですけど、忘れようとしている。そんな風潮があります。わたしもわかっていつつも、そうしてしまうこともあり、お恥ずかしい限りですけどね。
「人のせい」にしたいとき、ちょっと踏みとどまってみて、本当に「人のせいにできるのか」を考えてみませんか。冷静になって考えてみると「人のせい」と思っていたことが、意外にも「自分で決断したことだった」こともあるかも。
例えば、居酒屋にて「おすすめはなんですか?」って、店員さんに聞いて「そうですね〜。今日は●●ですかね」って答えてもらい、「じゃあそれで!」って頼んでみたはいいけど、「それほどでもなかった」ってことありますよね。
ここで全面的に「店員さんが悪い」って思うでしょうか。
店員さんは、聞かれたから答えただけ。だけど、決めたのは「自分」ですよね。そもそも、「おすすめは?」なんて、店員さんに聞こうと思ったのは「自分」です。そう思わなければ、このやりとりも発生せず、最終的に「損した気分」にならずに済んだかもしれません。
となると、全面的に相手が悪いなんてこと、少ないと思いませんか。
まあ、そうは言っても、なんとなく釈然としないのは、わかります。わたしもその手の注文をしてガッカリしたこと、枚挙にいとまが無いですから。
でも、それでも、それにいちいち腹を立てていたら、疲れるし、人間関係も良くならない。それよりは「まぁ、しょうがないよね」で済ませた方が、楽かも。
「しょうがない」で済ませたくないなら、「決めるのはいつも自分」というスタンスで毎日を過ごした方がいいです。自己責任とはこういう時の為に使う言葉なのかもしれませんね。
とにかく、人生にしろ、日々のおやつにしろ、決めてきたのは「自分」ということを頭に入れて、行動するようにしたいですよね。
難しいよなぁ・・・
それでは、また。
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