あと、何が手放せるんだろうか?
今まで手放してきたモノ、相当あります。家電製品、服、家具、鞄やらアクセサリー、時計、バスタオル、まぁ、もう挙げるとキリがないのでやめますが、ありとあらゆるモノを手放してきました。
確かに、モノは減ったし、部屋も広くなった。
モノだけに飽き足らず、無駄なサブスクとか、不要な人間関係とか、悪習慣とか、モノだけでなく「コト」もいろいろ手放してきました。
もうそろそろ「手放す」「捨てる」モノ・コトがなくなってきたように思うんですが、どうでしょうか?
生活に必要なので、ゼロモノには出来ませんけど、ジャンルで言うと、ほとんどのモノは捨てたんじゃないかな?って思います。あと捨ててないもの、手放してないことって、なんなんだろう?って思ったんですよね。
これから書くことを手放す、捨てると、公序良俗、常識に外れるところが多分にありそうなので、心して読んでいただきたいです。
もちろん、それを捨てよう!とか、手放した方がいい!と、わたしも必ずしも思っていないので、お間違えのなきよう、あらかじめ言っておきます。
さてどんなモノがあるでしょうか?
お金
はい。まずはお金。お金は手放せないし、捨てられない。もう、これ以上強力なツールは他にはありませんよね。お金が幸せの全てではないし、全ての幸せをお金では買えないけど、お金があれば、ある程度の幸せは買えます。
しあわせとの交換ツールというよりは、ライフラインを保つためのものと考えたら、やっぱりお金は手放せない。生活をシンプルにミニマムにしても、蓄えはある程度持っておきたいと考えてしまいます。
お金に縛られず、自由に生きられたら、もっと伸び伸びと生きられるのかもしれませんが、その機会は生きている間は、訪れないような気がしてます。
健康
健康を捨てる、手放すって、なかなか難しい。これを手放すと、最終的には死が待っています。となると、もう、この世にはいないわけで、つらいとか、苦しいとか、楽しいとか、しあわせとかも、感じられなくなります。
健康を捨てると、日々の生活に苦しくなることが見えていたら、あえて不健康なんんてしたくはないですよね。だから健康は手放せない。
健康に気を使うことを手放せたらなぁ、とは思いますけど、身体のメンテナンスを怠ると、辛くなるのが目に見えているから、おいそれと手放すわけにはいかないですよね。
家族
ケースバイケースですが、「家族を捨てる」って、結構思い切ったことになります。縁切りして、全てを断ち切るということも、出来そうですけど、それはそれなりの覚悟がいる。
そこまでして、家族を捨てられるでしょうか?
まぁ、家族といえども「人間関係」の中のコミュニティですから、相性問題はあると思います。どうしても親と価値観が合わない、子供とそりが合わない、親戚とウマが合わない、そういうこともあります。
親類に限ってそんなこと・・・とあるかもしれませんが、むしろ、親類だからこそ面倒臭いこともありますよね。
家族を捨てるなんて!と思うかもしれませんが、接することで害になるなら、離れてみてもいいかも。上の二つよりは、少しハードルが下がるかもしれません。
その代わり、覚悟は要ります。
祖国
世の中には、やむにやまれず「祖国」を捨てた、手放したという人もたくさんいます。わたしは幸い、日本に生まれ、まだ国もかろうじて存続しているし、流行り病の中ではあるけれども、「帰ろう」と思えば、日本にも帰れると信じています。
でもですね。
果たして「祖国が亡くなった」とか「祖国を捨てた」という人は、果たしてどういう気持ちになるんだろうか?
祖国から離れた国で生活して改めて思うのですが、どうやったって、祖国で暮らしていたときのことを思い出し、今の境遇と比較してしまいます。それが良いことばかりだったら、「捨ててもいいかな?」って思うかもしれませんが、それでも、どんなにダメな祖国でも「やっぱり我が家」な感覚が残るのか?どうなのか。
これは、経験できないし、むしろしたくないし、考えたくもない。でもそういう境遇に好むと好まざるを得ない状況に陥っている人もいるんだけど、果たして、わたしはそういう境遇に耐えられるんだろうか?って思います。
世の中の常識・慣習・世間体・見栄
こういうのは手放そう、捨てよう!って心がけているんですが、どうしてもそういうのに囚われてしまうんですよね。捨てている「つもり」になってはいるのだけれど、気がつけば、世の中の常識の範囲内で踊っているだけだったり。
想像力が貧しいので、誰も今まで考えたことのないことなどには考え及ばないので、結果的に「常識の範囲内で行動している」ことが多いです。
この呪縛の中から、抜け出す、これらを手放すというのは容易ではありません。だって、わたし達はもうこの中で何十年も生きてきているから、純粋培養して生きてきたようなもの。それを超越するのは、別の考え方が必要になる。
でもそれは、実現するのは結構難しい。
自分
色々書いてきましたけど、最も捨てられない、厄介なモノといったら、最後は結局のところ「自分」に行き着くのではないでしょうか?
自分を捨てる、手放す。色々考えてはみたものの、「どうやって?捨てるの?手放すの?」考えても、答えは出ませんでした。
悟りを開くというのもちょっと違う気がするし、まぁ、そういう高尚な学問はわたしには向かない。お酒を飲んで、我を忘れることぐらいしかできない(飲みすぎて、翌日我を思い出し、そして頭痛に後悔することは何度も経験済みw)。
自己を犠牲にして何かをする、というのも、ちょっと違う。これは自分を捨てていると表現されることもあるけど、本当に捨てているわけではないですよね。
だから、むずかしい。
まとめ
まとめと書きましたが、まとまりようがない記事になってしまいました。とにかく、色々なものを捨ててきた、手放してきたけど、まだまだ、世の中には、そういうものは残っているようです。
だからといって本当にそれが捨てられるのか?手放せるのか?はわからない。捨てても手放しても、事態が好転しないどころか、悪化することもあるだろう。
そんなモノまで捨ててどうなるのか?わからないけど、興味はありますよね。
え?トライするのかって?やめときますw
それでは、また。