見栄をはらない
古き良き昭和の香りの残る企業に勤めていると、年功序列、役職付きも割と年配の方が多い傾向があります。
わたくしめも三流サラリーマンですが、まだまだ伝統が色濃く残る組織に身を置いているので、そういうプレッシャーは感じます。
そうではなく、一歩外の世界に出てみると、例えばネットの世界に潜り込んでみると、「役職がついている人はこうあらねばならない」みたいな決めつけというか、レッテルというか、そういうのは少ないように感じます。
「あなたがそうしたいんなら、それで良くね?」って感じで。
モノを減らす活動をしていると、それも顕著に感じます。ところが、そういう世界って、まだまだ少数派なのかも知れません。
いわゆる「お勤め」をしていると、役付になるとなんというか「箔」がつくというか、どうしても、その「箔」に縛られている人が結構多いなぁ、という感じがするんですよね。
例えば、よく聞く噂話
「部長なんだから、家持ってて当たり前だよね」
「専務は別荘を数件持っているそうだ」
「常務は車が好きで、ベンツ買ったらしいよ」
「社長は、〇〇」
まぁ、そういう噂話で盛り上がるのはわかります。だけど、逆にこういう話も聞いたりします。
「部長なのに、賃貸なんだって」
「専務なのに、軽自動車って、情けないよね」
「社長ったら、〇〇」
役職がついている人たちは総じて給料は高い傾向にあります。だけど、そんな人たちが、俗にいう「夢のない生活をしている」と、上のように「下々のものたち」がそんなふうに噂していたりします。
はっきり言って、どうでもいいんですけどね。
人にはいろいろな事情があるし、何か高いモノを買うことが趣味でもない人は世の中にたくさんいます。それは、役職がつこうが、無かろうが、一般平社員だろうが、社長だろうが、人それぞれです。
役職が上の人たちを目の当たりにして「夢がない」と嘆く人たち。どうもまだまだ、サラリーマン界隈には「上の人たちの理想の姿」に縛られている人が多いように感じます。
理想とするのならば、どんなモノを持っているか?じゃなくて、どんなスキルを持っているかにもっと着目したほうがいいのにって思います。
三流サラリーマンのわたしが社長になったりすることはないですが、もし仮にそうなった場合は、今のスタンスを変えず、家賃3万円くらいのワンルームに住んで、モノは必要最低限、車も、家も持たず、そういう生活をしたいと思います。
そして周りからは「夢も希望もない社長」をやりたいと思いますw
天邪鬼なんで、そんなことを妄想しています。
現実的には、そういう上の人の理想像みたいなモノから逃れられなくて、生活レベルを上げた結果、結構、家計が苦しいとおっしゃる部長さんだったり、そういう人も結構いますよね。
生活レベルを上げることなく、矩を超えず、静かに暮らしたい。ただそれだけなんですけどね。いや、そっちの方が贅沢なのか。
答えは出ませんけど。
それでは、また。