生きる意味について
生きる意味とは
結論から言うと「まだ人類にはわからない。」のだと思う。この文章は非常に曖昧である。
ただ、生きる意味を探し続けることこそ生きる意味であり存続する意味であると僕は考える。
生きる意味を見つけるために生きる。だから人類が生き続けられる限り生きる意味は見つからない。わからない。理解できない。とても上手くできていると思う。
もしかしたら生きる意味なんて僕らが認めたくないほど単純なのかも知れない。もしかしたら人の数だけ結論が違うのかも知れない。
ただそう言ってしまえばそこで終わりであって僕が僕個人があるいは歴史に名を残してきた人が求めている結論ではない。
人類そのもの、人そのものが生きる意味が知りたい。
生きるとは未来に生きる意味で生きてきた意味ではない。
未来を知るためには過去を全て知る必要がある。
この世の真理が全てわかった時に生きる意味が解明する。
それを理解するためには、僕はあまりにも無知であり馬鹿であり、怠惰である。
偉人の考えを疑い、否定するが反論はできない。
ただ、正解ではないとは思う。なぜなら、疑問が生まれる時点でそれは真理ではない。と思うから。
おそらく僕が死ぬまでに人類は生きる意味を見つけることはできない。少なくとも僕の周りはそういう社会、教育、環境にあるから。
本当に生きる意味を見つけたいのなら人類が今まで培ってきた全てを切り離し、自然だけに宇宙だけに真理だけに触れるべきだと思う。
今この時に研究している人は数学や物理に則って真理を追求しているがもしかしたらそもそものそれらが間違っているかも知れない。
ただそんなこと言ったって一から新しい概念を作る時間はない。あるかも知れないが個人に置き換えた時にはない。ただこれまで真理だと言われ立証されてきたものを信じてやることしかできない。天動説だって350年以上かかっているがひっくりかえっている。だからもしかしたら相対性理論もいつの日か崩れるかも知れない。僕が結果を知ることはおそらく無理だが、人は真理に近づき同時に終焉にも近づいているのだろう。
この文章もまた無知である僕が書いたものなので否定のしようはいくらでもある。記録に残すことに意味がある。
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