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考える事って実は凄く楽しい事

僕は大の巨人ファンだということは、何度か記事にしました。時間が取れれば僕は野球中継を観ます。選手たちが毎試合毎試合、勝つために様々な作戦をとって、作戦の読み合いを繰り返して勝利へと導きます。

その中で最も重要なポジションがキャッチャーです。地味な印象が強いですが、試合を支配するのは実はキャッチャーと言われるほど、野球を語る上で外せないポジションと言えます。

そして僕が野球を観る上で一番注目しているのは、キャッチャーの配球や試合運びです。相手のバッターを常に研究して、ピッチャーと事前に話し合い、サインを送り合ってアウトを奪う。この戦略性というのが野球の醍醐味でもあります。

例えばバッターでも様々なタイプが存在します。ヒットを打ち、次のバッターの得点へと繋ぐリードオフマンや、塁に出たランナーを一気に返すスラッガー、クリーンナップ。または、塁に出た際に次の塁へと足で繋げる俊足の選手等。それぞれが番号順で並び1点の取るために役割を果たしています。その中で、相手の攻撃の際にどの様な球を投げればいいのか?相手のバッターは何を待っているのか?直球狙いなのか?それとも変化球なのか?キャッチャーは常に相手のバッターの細かな癖や、試合状況を瞬時に判断しなければなりません。

1番2番バッターというのは俗に言う塁に出るタイプ。力でねじ伏せるタイプではなくて、俊足な選手が多いです。簡単な打撃を打って確実に塁へ出る。その際に出来るだけ後続のバッターへ回さない為に、どうやってこの1番2番を抑えなければならないのか?もしくは塁に出てしまった際に、どうやってアウトを取って出来るだけ3番から5番までに塁を潰せるか?勝負の決め手となるんです。

ストライクを先行して取っていれば、ピッチャーの配球には自由が生まれます。次の球は余裕を持たせてボールにして打ち気をそらしてやろうか?それともこのまま力でいくのか?いや変化球投げて裏をかいてやろうか?僕はその駆け引きを自分なりに考えながら視聴するのがとっても好きです。

時に自分の考えと実際にキャッチャー、ピッチャーの考えがぴったり一致したときはめちゃくちゃテンションが上がります。その逆に自分が考えていた配球のほうが良かったなんてこともあって、実際に試合に出ている選手の視点と、全体から見ている視聴者の視点との相違点というのが生まれるんです。

試合も中盤になれば先発のピッチャーにも疲れが出てきます。大体先発というのは持って8回までが基本です。総投球数が100球を超えた辺で、監督というのは中継ぎ(先発の次に投げるピッチャー)を決めます。次のバッターは左利きなのか、右利きなのかでも中継ぎの選択が重要となるんです。先発ピッチャーが調子が良く、いい流れになっていれば、そのまま9回まで投げて試合を終える事もありますが、基本的には中継ぎに任せます。怪我の防止や、疲れなどで球速やコントロールに支障が出て来るためです。

相手のピッチャーがどの中継ぎ選手が苦手とするのか?または試合数が増えて疲れが溜まっていれば、連続して投げれません。その采配というのがピッチングコーチや監督の作戦力にかかっているんです。そしてキャッチャーとの相性もまたとっても重要なファクターなるんです。


物事というのは近く見れば見るほど、全体像が見えづらくなります。絵画でもそうですが、熱中して描いている時は見えなくても、離れて見ればどの様なバランスに仕上がっているのか良く見えます。あそこにあの色を足した方が良いな、もしくはあそこは余分だったなというのは全体を通して見えないとわからないものなんです。

僕は趣味で本を沢山読みますが、ストーリー追う事に気がついて来るものが多いです。主人公は何を考えているのだろうか?次はこういう展開になるのではないか?実はこういうどんでん返しがあるのではないか?または作者はこういうことを伝えたいが為にこの物語を書いたのではないか?

考えれば考えるほど、見えてくるものが増えてきて、感じる事も増えていきます。見える物が増えればどんどん想像力が膨らんでいき、どんどん自分なりの考えが浮かんで来ます。その全ての思考を1度頭の中で並べて、それを繋げていく。そうすると1本線となったり、1枚の絵にもなります。

世の中の多くの物というのは全てバラバラの様に見えて、全てが1本に繋がっている事が多いです。一見良いように見える事も実は良くないものであったり、その逆に良くない物が良いものであることも多いです。その思考力というのは様々な物事を1度腰を据えて考える事によって見えて来るんです。

そう自分がキャッチャー視線で見てみれば、世界がどのように動いているのかということがわかって来ます。また野球の話に戻ってクドいようですがwキャッチャーが配球してサインを送らなければ試合が始まらないって知っていましたか?次に何を投げるべきなのかは殆どキャッチャーが決めます。キャッチャーがしゃがんで足元で何やら手を動かしているシーンを良く見ますよね?あれは次にどの様な球を何処に投げるのかをピッチャーに指示をしているんです。そして時折ピッチャーは首を横に振る時はその球を投げたくないとキャッチャー伝えています。そのやり取りを経て初めて1球を投げる事が出来るんですよ。

とすれば世の中が野球だと考えれば、自分はキャッチャーである。キャッチャーが指示すれば球が飛んで来るということ。つまり自分がサインを送れば自分の思った通りの球が飛んで来ると言うことなんです。

いい配球が出来ればズバッとストライク取れますが、悪い配球をすれば打たれてしまいます。そうやって人生というのは、自分のサインによって色々と変化していくんです。そしてサインを送らなければ、球は飛んで来ない。即ちボールを投げなければ打つ人もいないという事なんです。

実はこれを書いて1番グサッと来てるのは自分ですww石橋を叩きすぎて壊すタイプなので、お前こそ何を言ってるんだよって話ですよねwああ僕は知識を詰め込み過ぎて頭でっかちなるタイプだw1番だめですねwあまり参考にしないようにw

ま、まあそれは置いておいて…。物事を考えると言うことは何だか難しそう。自分は頭が良くないし考えられない。自分には無理そう…。そう思ったら少し離れて物事を見て欲しいんです。今見えている1枚の絵は近づきすぎって何だか窮屈、そして全体像も見えないし、どうもゴチャゴチャしているな?そんな時はグーンと下がっちゃうんです。こんなに下がっていいの?ってくらいに。

そうすると不思議と今の問題がそこまで大きくないという事に気がつくんですよ。「ああなんだそういうことだったんだな」「これだったらここ直せれば解決するじゃないか?」そうやって問題というのは解決していけるんです。

野球もそうです。グーンと遠くから観戦していれば簡単な事に見えますが、実際にマウンド立ったり、バッターボックスに立てばそうはいきません。見えない所が多いからこそ、選手は苦しむんです。観戦しているイチファンはいいですよ。遠くから見てああだこうだ言えるんですからwでも実際に自分がそこにいれば良く見えないです。ましてや生活がかかっているのに、家でお酒飲んで観ている人とは違うんですw

でもその視点の違いというのも面白いポイントなんですよ。僕の視点や考えも、他人の視点や考えも違うからこそ面白い。会話であったり行動であったりも、違うからこそ見え方が変わるんです。違うからこそお互いが気がつけ合えるんです。それが世の中というものなんですよね。

だから考える事を難しく考えない。難しかったら、よく見えなかったら遠くから全体をボヤーっと見てみて下さい。そうすると如何に世界広くて、奥深くて、面白いものなんだと気がつく事が出来ます。

それに気が付くと一気に面白くなります!ああなるほどこういう事か?って自分の行動にも自信がつくというわけです。

考えることを楽しみましょう。一旦全てを端に置いて考えてみましょう。そして世の中を楽しみましょう。折角の人生ですからね!


わかりましたか?この記事を書いているそこの貴方…。
知ったような顔をして、苦笑いを浮かべているそこの君に言ってるんですよ!?


はぁー。胸が痛い…


それではまたwwww

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