こばちゃん
言語・日本語に関する共感した記事と、私見、思いつきの備忘録みたいな。
あの日の旅のこと、今日の旅のこと、いろいろ。
今日、2021年3月11日。東日本大震災からちょうど10年が経った。 今でも当時のことを思い出す時がある。小学5年生だった当時の僕は、震災前日の3月10日までインフルエンザにかかって学校を休んでいた。学校復帰初日の午後、理科の授業で実験をしている時だった。今までに経験したことのない揺れと、音。机の下に隠れて、同じクラスの女の子が「お母さん」と言いながら大声で泣いていたのがとても印象に残っている。 震災からしばらくの間は、東京にもどんよりとした重い空気が立ちこめていたように
岡田憲治『言葉が足りないとサルになる』(亜紀書房, 2010年) ちょっと言い過ぎだと思われそうなタイトルである。本文も情熱的で、少々主観的にすぎる感があるが、それは「豊かな言葉とたくさんのおしゃべりこそが、これからの日本を救う」という筆者の主張の、筆者自身による実践に他ならない。そして読んだ者に、肯定であれ、否定であれ、言葉を使って本の内容についての自分の考え・意見を形成・表明しなければならないと思わせるほどの熱量の現われである。(先に「他ならない」と言ったが、それは強調
「開演までしばらくお待ちください。」ライブの開演を待つ画面の背景には、東京の高層ビル群や工事現場がの映像次々と流れていた。そこに、2つのBGM。1つは、音楽。有観客のライブと同じ、開演を今か今かと心待ちにする気持ちを一層掻き立てるメロディー。そしてもう1つは、街の音だった。電車が通り過ぎる音。人の歩く音。駅の放送の声もわずかに聞こえる。夜も絶えることなく鳴っている、東京の喧騒。街の音が、とても印象的に聞こえていた。 YOASOBI 1stLIVE 『KEEP OUT THE
1つ前の記事を書いたのはもう18日も前のことらしい。その間、期末のレポート課題に追われる日々を過ごしていたが、レポートのことを考えてばかりだったので、少し休むときくらいは何も考えないでいたい、となってしまっっていたもので。たまの息抜きには、それとなく自転車で線路端へ行って写真を撮ってみたり、あとはテレビを観ていたりしていたように記憶している。 さて、久々にnoteを書こうと思って書き始めてみたけれど、18日のブランクがあったので、あれ、どうやってnoteを書いていたっけなあ
たった今、哲学の授業の課題レポートを書いていた。大きく言えば、「心とはなにか」という問題について、江戸時代の思想家はどう考えていたのかを理解せよ、という課題。 佐藤一斎という思想家は、心の本質は「虚」であると考えていたらしい。ここでの「虚」は「何もない、虚ろな」という意味ではなくて、何もない故に存在しうる、宇宙のエネルギーの根源的なものを指していると言う。この宇宙の根源的なエネルギーである「虚」は、人間には天から先天的に与えられているものである。陽明学ではこれを「良知」と呼
実家の父の書斎で探していた国木田独歩の『武蔵野』は、結局松本の下宿にあった。どうやら祖父から譲り受けた本だったようで、大坂の書店のカバーが掛けられて背表紙に「武蔵野」と書かれている。祖父の本は多くに読み終えた日付が書き込まれているのだが、この本にはそれがなかった。真ん中辺りに栞(大阪行きのJALの搭乗券)が挟まれていたので、そこまでしか読んでいないのかもしれない。 久しぶりに『武蔵野』を読みたくなったのは、帰省している間に実際に武蔵野へ足を運んだからである。いや、NHKのニ
常緑樹は葉を少し赤みがかった色に染め、落葉樹は細くて弱そうだけど、それでいて強くも感じられる枝を空に向けている。冬の装いをした山の上の方だけを、沈みかけの夕日が照らしている。 いま、僕は実家のある東京から下宿先の松本に向かっている。松本行きの特急に乗ってすぐにnoteを読み始めた。今日はとても好きだと思える文章に出会うことができた。特別大きなことは言っていないけど、その日の空気感や感じたことが飾らない言葉で表現されている日記だった。スキのボタンに回数制限がなければ何度も押し
久しぶりに国木田独歩の『武蔵野』が読みたくなって、父の書斎に行った。書斎と言っても屋根裏の物置の中に机が置いてある程度のもので、映画やドラマで出てくるようなお洒落な書斎とはイメージがかけ離れている。壁一面の本棚にはぎっしりと本が入れられていて、そこに入りきらなかった本たちは床に山積みにされている。ホコリっぽい部屋なので滅多に出入りしないが、今回のように特別な用事があるときだけ部屋に入ると本の量に圧倒される。 人の本棚を見ると、その人がどんな人間かということの一端が分かるよう
年が明けると年始の挨拶が交わされる。あけましておめでとう。今年もよろしく。あけおめことよろ。小さい頃はまだ少なからず届いていた、そして出していた年賀状も、いまではほんの僅かしか届かなくなってしまった。少し寂しい気がするが、これからはきっと年始の挨拶もデジタルが主流になるのだろう。というかもう半ばそうなっている。年賀状?ああ、なんか母親や父親が書いていた気がするアレね、なんて言う時代はもうすぐそこかもしれない。 そんな年始の挨拶では、今年はたびたび「2021年は、去年よりもっ
あけましておめでとうございます。 年末の「よいお年をお過ごし下さい」という言い方に違和感を覚えました。個人的にはよいお年を「迎えて」ほしいです。 2021年、皆様にとって良い1年になりますように。
2020年が終わる。「今年はいろいろなことがありました」とまとめられることがあるが、「いろいろ」なんて言葉ではたりない程に、これまでに経験したことのない1年を過ごしてきた。そんな2020年、僕はどんなことを考えて、どんなことを書いてきたか。これまでに書いたnoteの記事を振り返ることも考えたが、ちょっと方向性を変えて「今、noteをどのように書いているか」について記しておこうと思う。僕のnoteの書き方の、2020年の現在地。今後書き方が変わっていったときに、その変遷を見て取
年末年始の帰省で東京に向かう電車の中、夕方の車窓に映る空は淡いオレンジ色だった。誰もが振り向いて写真を撮るような、劇的な夕焼けではないけれど、なんだか落ち着く淡い色。なんで、と聞かれても上手く答えられないけど、「好きだ」と思った。僕は淡い夕焼けが好きだ。noteを読んでいたスマホを窓際において、僕はしばらく車窓を眺めていた。 年末は音楽番組が多い季節だ。民放の各局が主催する歌番組から、レコード大賞、紅白まで。どの番組でも軒並み「今年流行した話題曲」が披露されるが、その流れか
2020年はいろいろな変化が起きた1年だった。コロナで生活の根本が変わって、その影響で云々という社会的な変化は他の様々なところで取りあげられるのでここで書く気はないが、個人的にも大学3年目になっていろいろな変化があった。21歳になった最近では、部活に行っても「これまで普通に食べてた大盛りの定食がキツくなった」とか「最近涙もろくなった」とか、大学生オジサン化トークをすることがある。でも「オジサンになったと感じる」と書くことにより更にオジサン化が進むのも嫌なので、ここではその話は
先週の日曜日のことだ。下宿の先輩の車で富山までドライブに出かけた。博物館に行ったり温泉に入ったり、とっても楽しかったドライブの最後の最後に事件は起きた。 約2ヶ月前に自動車免許を取得してから1度も運転をしていなかった僕に、先輩は車を貸して、帰り道の途中から運転の練習をさせてくれた。普通に考えて初心者に自分の車を運転させるのは怖いだろうと思うが、ご厚意に甘えて運転させてもらうことにした。百円ショップで初心者マークを買って、もちろん一日保険には加入した上で。 車通りの少ない
「オンライン○○」 2020年新語・流行語大賞のトップ10に入った言葉である。感染症対策として、会議、授業、飲み会までオンラインで行われているが、その中で、大学生の僕が1番身近なのはオンライン授業である。大学の授業がオンラインで行われるようになって約半年が経ったが、感染状況を踏まえれば、現在も、そしておそらくこれからしばらくの間も、オンラインでやれるものはそうせざるを得ない状況が続くだろう。オンライン化による利点もあるので、今の状況を鑑みれば利点を挙げてオンライン化を推奨する
自分は大学に来るべきではなかったと研究室の友達が言っていた。頭のいい人たちの話を一方的に聞くのはとても楽しいけれど、レポートとかゼミとかで「自分で考える」ことは好きじゃない、ということらしい。仲の良い友達だったが、そうなんだね~とお茶を濁しつつ、俺はそうは思わないなあ、とこぼさずにはいられなかった。高校までのように一方的に知識を得るより、自分で考える大学の方が数倍、数百倍も面白く感じる。敷かれた道をなぞるようにして大学に来たけれど、彼の話を聴くと僕は来るべくして大学にやって