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論理と感覚

1つ前の記事を書いたのはもう18日も前のことらしい。その間、期末のレポート課題に追われる日々を過ごしていたが、レポートのことを考えてばかりだったので、少し休むときくらいは何も考えないでいたい、となってしまっっていたもので。たまの息抜きには、それとなく自転車で線路端へ行って写真を撮ってみたり、あとはテレビを観ていたりしていたように記憶している。

さて、久々にnoteを書こうと思って書き始めてみたけれど、18日のブランクがあったので、あれ、どうやってnoteを書いていたっけなあ、という状態に陥っている。継続は力なりという言葉の指すものを、非継続を経験することによって今まさに実感している。

とりあえず、冒頭にレポートを書く息抜きに写真を撮りに行っていたことを書いたので、写真のことについて少し書いてみることにする。

僕は写真を撮るとき、おそらく人より多くの試し撮りをしている。試し撮りによって構図や色味、明るさなど写真を撮る上で必要ないろいろな要素を調整して、一番いいと思えたものを採用する。そのことは、どのような構図、色、明るさが適当かということを想像する力がないということの裏返しであるように思えるが、実はそれはちょっと違う。ある程度「こういう構図がよさそうだな」という想像はできているものの、本当にその構図が良いのかを確かめたいという思いから、何度も試し撮りをしているのである。例えるなら、4択の選択式の問題で、最初に見た選択肢aがおそらく答えであると思われるが、念のためb,c,dも確認してみるようなもの。つまるところ、最初から目標を定めて、それが答えであると信じこむのではなくて、他の選択肢も考えてみて、それらを比較して答えを出す、というプロセスである。実際に複数の選択肢を用意して比較してみると、答えはaだと思っていたのに本当はそうではなかった、ということもあったりする。というより、未熟な僕はそうしたことが往々にしてある。そうした経験からも、複数の選択肢を用意してそれらを吟味することの重要性を感じている。

そうした撮影プロセスにおいて、試し撮りを重ねて得られた複数の選択肢の中から1つの答えを導くのは、言ってしまえば感覚的な部分に頼っていることがほとんどである。なんとなくいい、とか、一番しっくり来る、とかそんな感じ。撮るときは、そうした感覚に頼っていて、実際のところあまり「考える」ことはしていないという感がある。

しかし、感覚だけに頼っていると、撮ったときは「良い!」と思っていたものが、あとから見てみるとそうでもない、なんてことが結構起こる。そういう写真は「それっぽい」かもしれないが、逆に言うと「それっぽい」だけであり、本当に「良い写真」とは言えないものである。たまたま感覚だけで良い写真が撮れることがあったとしても、その「良い」について感覚だけに終始していた場合、おそらく「良い写真」を撮り続けることはできないだろう。

思うに、重要なのは「良い写真」が撮れたときに、または他の人が撮った「良い写真」について、「良い」理由を考えることである。たとえそれが偶然撮れた写真であっても、「良い」のには理由があるはずである。撮ってからの後付けでもいいので、その理由を考える。それによって、いつでも適切な答えを導き出して、良い写真を撮ることができるようになる。そして「良い」理由を考えているか否かによって、「それっぽい」写真の量産にとどまるか、見る人の心に届く本当に「良い」写真を撮ることができるようになるか、が分けられるような気がしている。

良い写真の「良い」理由を探すこと。それは、感覚としての「良い」を、言葉にして論理的に説明するプロセスである。「手前にある雑草を構図に取り込むことで遠近感がでている」とか、「こどもの笑顔を引き立てるような温かみのある色づかいである」とか、「邪魔だと思われがちな電線を敢えて構図に入れることで街の雰囲気が伝わってくる」とか。そうして考えた「良い」理由が、次に撮影するときのヒントになって、選択肢の中から答えを早く導けるようになるのではないかと思う。それはつまり、どのような構図、色、明るさが適当かということをより的確に想像できるようになるということでもある。

このように、感覚的な「良い」を見つけることができたとしても、求められたときにそれを言葉にして説明する力を、僕はもっていたいと思う。そうして、適切な構図、色、明るさを導き出すための論理をしっかり自分の中にもっていながら、それを無意識のうちに作動させて、考えないでも答えを導き出せる、というレベルにいつか達したいというのが、今のささやかな夢である。

さて、これまで「良い写真」という言葉を繰り返し使ってきたが、「良い写真」とは一体どのような写真だろうか。端的に言えば「撮影者が、写真を通して伝えたいもの・ことを明確に認識していて、かつそれがしっかり伝わる写真」であると考えている。しかし書き出すと長くなりそうなので、それについてはいつかまた機会があれば。

素人が何を語ってるんだと思われるかもしれませんが、今まで趣味で写真を撮り続けてきた中で、ぼんやりと考えていたことを文字にして記録してみたまでです。人に写真のことを教えてやろうなんて気持ちは微塵もありませんので、どうか、悪しからず。

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