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諦めたくはない

常緑樹は葉を少し赤みがかった色に染め、落葉樹は細くて弱そうだけど、それでいて強くも感じられる枝を空に向けている。冬の装いをした山の上の方だけを、沈みかけの夕日が照らしている。

いま、僕は実家のある東京から下宿先の松本に向かっている。松本行きの特急に乗ってすぐにnoteを読み始めた。今日はとても好きだと思える文章に出会うことができた。特別大きなことは言っていないけど、その日の空気感や感じたことが飾らない言葉で表現されている日記だった。スキのボタンに回数制限がなければ何度も押していたと思う。自分もそういう日記を書いてみたいな、と思って書き始めてみたけれど、自分の文才の無さに落胆する。しかし、文才は生まれもってくるものであって、僕にはそれがないのだと諦めては何も始まらないので、書かないよりは良いだろう、くらいの思いでこのnoteを書いている。

これまでに何度も乗っている特急あずさだが、今日の景色はなんだかいつもと違って見える。富士山が見える窓側のD席に座ることが多い僕が、今回は反対側のA席に座っているからかもしれないが、それだけではない気もするし、それだけな気もする。

特急に乗るのは2時間半の道のりだが、今日はなんだかイヤホンで音楽を聴きたいとは思わない。何の情報もない、電車が走るモーターの音は、何かを考えるのにちょうどいいBGMだ。

家を出るとき、祖父に卒論のことについて聞かれた。今年は卒業論文に取り組む年だ。ゼミの発表はこれまで何度かやってきたけど、それとは比べ物にならないくらいの資料を集めて、ああでもない、こうでもないと頭を抱えている先輩を何人も見てきた。自分もああなるんだろうなあ、とぼんやり思っていたけど、今はあまり不安を感じていない。どちらかと言うと卒論を書くのは楽しみでもある。まだ題目も決まっていない段階なので、この楽しみな気持ちを自信と呼ぶのなら、それは根拠のない自信という危ないやつであるが、いずれにしても義務感に息を詰まらせて取り組むよりは、楽しさを感じながら進められたらいいな、と思う。

あなたはマルチタスクができる人だね、と言われることがある。ゼミでは一応ゼミ長をしていて、バイトをして、部活をして、(それら以上に?)趣味活動もしていて…まあ確かに結果的にマルチタスクができるように人には映っていて、それに感心してくれているのなら、それはそれで嬉しいことではある。しかしやってる本人は、そのことで寧ろ1つ1つが中途半端になっていしまっている感を感じていたりする。そう言えばこれまで20年の人生で、何か1つのことに注力したりしたことがなかったような気がする。中学は書道部、高校はテニス部、大学はソフトボール部という奇妙な?部活動歴がそれを端的に表しているが、そんなんだから、一つのことを究めていたり、何かの「プロフェッショナル」と呼ばれる人への憧れが強くある。何かを究めるための努力を続けることができないのなら、1つ1つが中途半端でマルチタスクをしながら生きていくしかないよね、と開き直ることもできるかもしれないが、卒業論文は「とりあえず単位はもらえた」というような中途半端なものにしたくない。きちんと自分で納得できるものを仕上げたいと思っている。そのためには、マルチタスクと言われるもののいくつかを切り捨てて、文字通りの研「究」に注力することが必要なのかな、と思っている。

そんなことを考えているうちに日が沈んでしまった。車窓には街の灯りが優しく映っている。

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