週刊わたしの森ダイアリー VOL.4:誰かの暮らしを想うこと。
太陽が沈む時間が刻々と早くなる今日この頃。
早朝と夕方、森に入り活動していますが、夕方に森に入るころには薄暗くなり始めており、これからどう活動すればよいかを考えています。
森に日々入っている読者の方みえましたら、早朝と夕方しか森に入れない私に良いアイデアいただけますと幸いです。
それでは今週も週刊わたしの森ダイアリーはじまります。
週刊わたしの森ダイアリー VOL.4
草刈りについて。
2022年7月17日
草を刈るときには地面ぎりぎりのところで刈らずに、5~10cm程の高さで刈るようにしています。
フィールドにはたくさんの虫や爬虫類が住んでいるので、その子たちの居場所を奪わないように。
ミニトマトがのびてきた畑では、クモやテントウムシが、アブラムシほかトマトの天敵を補食してくれています。
雨のあとの森で。
2022年7月18日
雨がやんだ早朝の森を歩くと、いつもより多くのいのちを感じます。
それは苔や菌類たちが雨を含み姿を大きくさせているのもあるし、木から雨粒が落ちる音が森に響き渡ってるからかもしれません。
森に入りはじめた頃、最初に笹刈りをし通した道で、シロキクラゲがたくさん繁殖していました。こんな目立つ姿なのに、普段の森では気づかない。雨が降ったあとの特別な姿なのかななんて思いました。
カメラを近づけて撮影をしていたら、枯葉を踏みしめゆっくり歩く音が。そこにも森の住人がいたのでした。
道が通った日。
2022年7月19日
ススキの草原があるファームエリアから、フォレストエリアまでの道が繋がりました。
森と草原の境界には、養蚕等で使われるマグワの木が巨木となって立っています。木や地形から昔の暮らしを想像することは、なんちゃってブラタモリみたいで楽しい時間ですし、実際に町の図書館にある町内史を見ると、養蚕やこの山の地で製塩をしていた記録が残っていました。
太陽のあたる場所。
2022年7月20日
敷地奥のスギ林で、光が入り輝いてる場所が。
近づいてみてみるとワラビの群生地でした。
森の中を歩いていると、すぐ近くでもちょっとした変化で草木の植生がガラッと変わっていることに気づきます。
誰かの暮らしを想うこと。
2022年7月21日
昨日紹介したスギ林には、先代がつけたであろう道があり、その果てには写真にある石碑がたっています。
文字が彫られることもなく、いつからあるのか、なんのためにあるのかわからないのだけれど、森の中にある“過去”が現在にさもありなんとすることは、交錯する時空間の中に身を置いている不思議な感覚になります。
かつて薪炭林として使われていた里山には、炭焼き釜のあとや祠(ほこら)あとが人知れず残っていることもあるのですが、その山での過去の暮らしを知ることは、今を生きるわたしたちが山を想い大切に使うのに必要な要素なんじゃないかなと思うんです。
森をみる目の解像度。
2022年7月22日
山採りしたホオノキを芝の丸山に植えていたとき、横に小さな木がはえていることに気がつきました。
PictureThisで調べてみるとイヌザンショウとのこと。「山椒(サンショウ)に似ているけれど、香りが悪く利用価値がないことから名づけられました」と。
山椒との違いが気になって調べてみると、トゲが2本ペアであるのが山椒、1本ずつはえているのがイヌザンショウ。うちの木は………トゲが2本ずつある!!?おそらく山椒なのでした。
1ヶ月前までヒノキとスギの違いもわからなかったけれど、森に繰り返し入ることで、見えるものが増えてきているのかなと思えた日でした。
大きなこころで。
2022年7月23日
畑に植えている苗は、全て友人の農家さんが種取りした固定種のもの。苗をいただいた時、成長はゆっくりだよと教えてもらったのだけれど、トマトは少し色づきはじめ、ナスは花が咲いてきました。
人生ではじめて畝をたて育てる野菜。来年は花が咲いたくらいでは感動しなくなってるかもしれないけど、今年はいちいち感動したっていいよね。
編集後記
母屋から森を抜けた先にあるススキの草原一帯を『ファームエリア』と呼んでいます。「小さな畑の面倒を見れない人に、大きな畑の面倒は見れない」と誰かが言っていたので、今期は畝(うね)を3つだけ立て、トマトやナス、大豆に黒豆を育てているのですが、それなりに面倒見れていることもあり、来期にむけて少しずつ新しい畝を立てています。
畝を立てるというのはなかなかの重労働で、当初イメージしていたよりだいぶ大変だなと実感しつつ、『わたしの森入門』のメンバーみんなで野菜やハーブを収穫できる日を夢見て、もう少し本当の意味でのファームエリアを拡げていきたいなと思います。