【毒親育ち/失感情症】母に対しての感情、についての話。
伴走者ノゾム@NAMIDAサポート協会カウンセラーさんの、この記事を拝見して、自分が無意識にこれに陥っているような気がして、よくよく考えてみた。
私は母に対して、今どういう感情なのだろう?と。
物心つく前から「物わかりのいい子」であった私は、とにかく「提示された理屈が通っている(ように見える)と納得してしまう」癖が、今もある。
幼少期の私にとって、母の「理解ある彼君」を務めるためには、これは絶対必須のスキルだった。そして恐らく、世の中の色んな事柄についても便利だったのだと思う。
「自分の感情はひとまず置いて」考えることに特化して育ち、アラフォーに至った私は、自分の感情を「感じる」ことがめちゃくちゃに下手くそだ。
「物わかりが良い」人間は、あらゆる立場の人にとって都合がいい存在なので、物わかりの良さを全方位から誉められる。
私は「物わかりの良さ」故に、対人関係で嫌われて困ることは滅多になく生きてきた。逆に苦手な相手に好かれて困る現象が頻発するぐらいである。
とはいえそれも大人の世界なら、人と関わる絶対量を減らしておけば、何となく逃げられる。物わかりが良いに越したことはないのだ、大抵の場合。
それで生きづらさがないのならば。
20代の頃に一度、友達以上彼氏未満のような関係だったリオンに「ワタリは物わかりが良すぎて話にならん!!」と怒られたことがある。その時はフレーズの面白さに大笑いしたが、彼が言っていたのは多分そういうことだった。
「物わかりの良い」私は、自分の感情を「一旦置いておく」ことに慣れすぎていて、永遠に横に置きっぱなしの感情をいざ元の場所に戻そうとしても、その感情がどこに行ったのかすら分からない、という状況に陥り、今に至っているわけだ。
「物わかりの良さ」は長年私の武器でもあったが、同時に幼少期から育て上げてきてしまった枷でもある。
リオンに怒られた、この「話にならない程の物わかりの良さ」の方を何とかして一旦横にどかして、感情を取り戻さなければ、私の生きづらさの根本解決にならない。
では、「物わかりが良くない」私としては、母に、どういう感情を抱いているのか。
母について思う時――先日この記事を書いていた時、私の母に対する感情は、どこまでも「透明」だった。
透明で、はるかかなたまで見通せそうなほど澄み切った、広々と凪いだ感情だ。
思考だけが滑らかに回っている状態で、冷静に、自分でも面白がって、母や自分を分析しながらこの記事を書いていた。
その状態を私は、「もう怒りや恨みはない」と判断していた。
だが、冒頭に紹介したノゾムさんの記事を読んで思った。
本当に、そうだろうか。
綺麗すぎないか?
こんなに綺麗に透明に澄み切った感情は、おかしくないか?
あまりに人間らしくない。これこそが解脱か悟りか、と思うほど心地よく凪いだこの感情は、真面目に考えてみると「出来過ぎて」いるように感じる。
私は仙人でもロボットでもない。
実際その数日前、このジャンパースカートの記事を書いている間中、私はボロボロ泣いていた。あの日の母へ向けた怒りを、悔しさを、悲しみを、寂しさを、思い出して感じることが出来ていた。
その状態から、一週間足らずしか経っていないのだ。
ジャンパースカートの記事をもう一度自分で読み返せば、流石に泣くほどではないにせよ、書いたときと同じ感情を感じられる。なのに根本原因のはずの「母」について考えた時に「澄み切った透明な感情」になるというのは、どう考えても不自然である。
つまり、この母について考えた時の「透明な感情」は、「何か」が遮断された結果である可能性が高い。防音室の中の静寂のように。
遮断されている「何か」はきっと、負の感情のはずだ。
怒りだろうか。それとも、悲しさか。寂しさか。
「辛い」「苦しい」「切ない」「嫌い」「怖い」――と、心の中で順に言葉を転がして、「刺さる」ものを探した。
思い付くものを一通り試しても何もヒットしなかったので、主語を足した「私は苦しい」の形にして、もう一巡。更に「母に愛されなかったことを」と対象を指定して、もう一巡。
「母に愛されなかったことを、私は怒っている」。
――刺さらない。
「母に愛されなかったことが、私は悲しい」。
――あ、ちょっと刺さった。
「母に愛されなかったことが、私は寂しかった」。
――ザラッとするが、「悲しい」よりは軽い。
「母に愛されなかったことが、私は悔しい」。
――刺さった。
涙がぶわっと沸いて、まな板の上で切っていたキュウリがぼやけた。
氷の張った湖の下から巨大な生き物が出てきたかのように、凪いだ透明な感情が割れて、その下から熱と質量を持ったうねりが現れた。
悔しい。
あんなに頑張ったのに。あんなに色々我慢したのに。
それなのに分かってもらえなかった、受け止めてもらえなかった、愛してもらえなかったことが。悔しい。
――これだ。私は、本当は「悔しかった」のだ。
母に愛されることを諦めて、透明な気持ちで母を眺めていられるようになったなんて、嘘だ。
母には私を愛する能力はなくて、だから諦めなくてはいけないと「分かった」けれど、だからといって私の感情は、本当は納得などしていない。
母に愛されなかったことが、これからも正しく愛されないだろうことが、悲しくて、寂しくて、悔しい。
キュウリを切っていた包丁を一旦置いて、ティッシュで涙を拭いて鼻をかんで手を洗って、後はTシャツの袖で涙を拭いながらキュウリの残りを切った。
考えてみれば当然だった。私は愛されたかったのに、愛されなかった。悔しくたって当然だし、悔しがって良いはずだ。
泣きながらまな板と包丁を洗いつつ、そうか悔しかったのか、と納得しながら、もう少しよく考えた。
「怒り」でないのは何故だろう。
透明どころか濁流のようにうねる「悔しさ」を感じられているのに、どういうわけか「怒り」は湧いていない。
母のせいだ、母が悪い。母が愛してくれればこんな思いはしなくて済んだのに、と思わない。思えない。
――つまり、私はまだ母をかばっている。
愛してくれなかった母を、大人になった私の痛みを受け止めてもくれない母を、私はまだ憎めない。攻撃しようと思えない。
それはきっと私が、母の事を好きだから?
考えている内に一回止まったはずの涙が、また出てきた。
多分、正解だ。
私は、母の事を子供の頃からずっと好きで――母の「毒」に気付いても、それでもなお、まだ愛しているのだろう。
私の記憶にある限りずっと、私の母に対する感情は「怖い」「逆らえない」が最上位だった。
「好き」だという気持ちは存在していたし、大人になってからはそれなりの面積を占めていたけれど、純粋に「好き」だけを感じられたことはなく、必ず何らかの黒い感情を伴っていた。覚えていないほどずっとずっと前に、私は母への無防備な「好き」を、封じてしまったのかもしれない。
少なくとも母への「下剋上」以降、私は母に親近感を持つことや、繋がりを求める感情の全てを、自分に禁じてきたようにすら思う。
でも私はきっと、ずっと初めから、ごく普通に子供として母を愛していた。
だから母に認められようと、母に少しでも愛してもらおうと、努力し続けてきた。
なのに、叶わなかった。今もこれからも、叶わない。
――だから、悔しい。
そこまで辿り着いたら、物凄くしっくりきた。
私の本当の感情は、きっとこれだったのだ、と思った。
「悔しい」と「愛している」。
美しく透明で凪いだ気持ちより、断然痛いし苦しいし、いくらでも涙が出てくるけれど、でも血の通った感情だ。
母に愛されることは、どう足掻いたとしても最後には諦める必要がある。母に求めたところで、叶わないことは確定だ。
でも、私はそれを悔しがっていていいし、まだ母を愛していても良いのだろう。
関係を元に戻しさえしなければ、私の中に母への愛が残っていても、それを憎悪や嫌悪に出来なくても、きっと構わない。そもそも感情なのだから、「在る」ことはどんなに不都合でも、仕方がないはずだ。
そこに「在る」私の感情を認めて、受け入れる。消したり拒絶したり遮断した結果として「透明で凪いだ感情」の平穏に逃げているより、ずっと健全だ。
痛いけれど。悲しいし寂しいし辛いし、苦しいけれど。
それでも「悔しい」と「愛している」を、見つけられて、良かった。
――と、台所でティッシュ何枚分もの涙と鼻水を拭きながら、そう思った。
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