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金子信久「日本の動物絵画史」NHK出版(2024)その3:はじめて円山応挙は偉大かも、弟子蘆雪は凄いなと感じた
記事 その2からの続きになります。長文になります。
はじめに
記事2では、金子氏は「かわいい」の言葉の由来から始め、《鳥獣戯画》を題材に、「心」と「造形」という二つの新しい視点を見出し、さらに、動物のかわいい描き方がこれまでの研究では注目されて来なかったことを指摘し、今は失われたけれども、手本となる動物絵画の系譜があったはずと推測したことを紹介しました。
金子氏は、次に第一セクション「信仰と動物、失われた美術」の第三章から第六章に亘って、鹿と竜(神道)、涅槃図の動物(仏教)、禅宗と動物(禅宗)と、宗教と動物画について解説し、第二セクション「平和な社会と多彩な動物絵画」で近世にはいります。
いよいよ動物絵画が花開く、安土桃山から江戸時代に話を移るのですが、以下本記事では網羅的に内容を紹介するのではなく、本書を借りて、私がどのように鑑賞してよいか分からい画家達、円山応挙、永沢蘆雪、曽我蕭白、伊藤若冲らの江戸期の水墨画、あるいは与謝野蕪村、仙厓義梵らの俳画、禅画らの理解を深めるために、彼らの動物画に焦点をあてて金子氏の記述を参照しながら日本の絵画の特徴を考えてみたいと思います。
第七章「獅子と鳳凰」、第八章「縁起物から生まれる創作」
異なる良さを持つ描き方が共存する江戸絵画
まず著者は、室町以前から安土桃山、江戸時代に入り、大きな社会の変化とともに、日本の絵画がどのように変わったか、そしてどのように江戸期の「動物画の時代」が到来したのかについてす社会経済の面、そして動物につい言えば、「寺請制度」の影響が大きいことを指摘し宗教面も強調します。
次に、美術史的には上述した社会の変化を受けて、様々な描き方が登場したことを述べます。
すなわち、近世にはやまと絵の流れからの「土佐派」、水墨画の中からの「狩野派」の大きく二つだったのが、江戸期になり、多様な描き方が生まれたことを次のような見方で説明します。
西洋の絵画を思い出してみると、ルネサンス以降、「〇〇主義」と呼ばれるものは色々あるが、十九世紀後半から二〇世紀初めに印象派やキュビズムなどが登場する以前は、おおよそ写実を基本にした同じような描き方です。しかし、日本の絵画では違っていた。(中略)二つの流派(筆者注:土佐派と狩野派)、ひと目で違いがわかるほど全く別のスタイルである。西洋の場合、芸術はこうあるべきという考え方や、写実を基本とする描き方そのものに、キリスト教を背景とする強い縛りがあったが、日本では異なる良さを持つ絵画が共存できたのである。
太字は筆者による。
私はこの最初にこの部分を読んだ時は、何も考えずに読み過ごしていました。しかし、この記事を書くにあたり、ふたたび目を通した時に、ふと気が付いたのです。これは見過ごせない内容だと。
写実を基本にした西洋絵画、やまと絵や狩野派が共存する江戸期の日本絵画、それらは西洋美術史単独、日本美術史単独で見れば教科書で確立された事実で何も驚くような内容ではありません。
しかし、西洋、特に日本の江戸期と重なる17世紀から9世紀後半と日本の江戸期のそれぞれの絵の描き方を並記した文を読むと、私がこれまで記事で書いてきた日本絵画に対する問題意識や疑問に対して腑に落ちた感じがしたのです。
例えば、なぜジャポニスム(絵画では主に浮世絵)があのタイミングで西洋人に受け入れられ、彼らの絵画に影響を与えたのか、また、なぜ欧米の日本絵画コレクターが、宗達、光琳らの琳派、奇想画家の水墨画、花鳥画(動物画含む)、池大雅、与謝蕪村らの文人画(南画)、白隠、仙厓らの禅画を称揚するのかなどの疑問に対して答を与えているように思うのです。
金子氏は、以上に述べた観点で、狩野永徳の唐獅子、狩野山楽の唐獅子、伊藤若冲の鳳凰の絵画を紹介して権力者のための権威、格式の雰囲気づくりのための動物絵画を紹介した後、第八章の「縁起物から生まれる創作」において、「鯉」、「鶴」、「亀」、「兎」、「鹿」の絵を論じます。
それぞれ、紹介された絵を下に示します。
(1)鯉
1)円山応挙《竜門図》京都国立博物館蔵 重要美術品
2)熊斐《絹本著色鯉魚跳龍門図》長崎歴史文化博物館蔵 重要文化財
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出典:長崎市HP
(2)鶴
1)俵屋宗達・本阿弥光悦《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》東京国立博物館蔵 重要文化財
2)与謝蕪村《日の春を》画賛(図2)
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筆者撮影(左、文章部分は透明度を30%にしています)
3)長沢蘆雪《富士越鶴図》個人蔵(図3)
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出典:大阪中之島美術館「特別展 生誕270年 長沢芦雪」2023 ホームページより引用
https://nakka-art.jp/exhibition-post/rosetsu-2023/
(3)亀
1)狩野常信《瑞亀図》福岡市美術館蔵(図4)
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筆者撮影(左下、文章部分は透明度を30%にしています)
(4)兎
1)狩野栄信《月に波兎図》個人蔵(図5)
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筆者撮影(左下、文章部分は透明度を30%にしています)
(5)鹿
1)伊藤若冲《鹿図》個人蔵
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筆者撮影(左下、文章部分は透明度を30%にしています)
第八章のタイトルにありますように、本文は、「縁起物」の動物、すなわち縁起の良い動物に関する内容のものです。けれど、著者には悪いのですが、私は内容よりも次々に例示される江戸絵画の画像に目が奪われました 。
なぜなら通常一般読者向けの書籍の例示では、教科書でよく知られた名作を載せるのが常なので、目新しさが感じられず退屈に感じることが多いのですが、上に示された作品は宗達・光琳の鶴の絵以外はどれも見たことが無く、ユニークでどの作品も見入ってしまったからです。
興味深いことに、金子氏はあらかじめ読者のそのような反応を予想していた節があります。なぜなら冒頭に次のように書いているからです。
江戸時代の絵画に興味がないという人の話を聞いてみると、型にはまった同じような絵ばかりで、しかも、いかにもおめでたい牡丹や富士山ばかりだし、新聞に公告が載っているお正月に飾る掛軸みたいで面白くない、という人が多い。要するに、美術というより、ただの縁起物という感じがしてしまうだのろう。
太字は筆者による。
まるで、私のことを言われているようです。
けれど、金子氏が選んだ絵は、”型にはまった”、”面白くない”どころかその真逆の、創意に富んだ作品ばかりです。事実、第八章のタイトル「縁起物から生まれる創作」には、ちゃんと”創作”と明記されています。
このことからも金子氏が、いかにこれらの江戸絵画を高く買っているかが窺い知れます。
ですから、これまで私は浮世絵版画、琳派の絵を除き、江戸期の絵画について、どこが良いのか、何がすごいのか、まったく分からなかったのですが、金子氏がこの章で選んだ一連の絵を見て、はじめて分かった気がしました。
特に、私にとって大きな収穫は、円山応挙(鶴)と永沢蘆雪(鶴)の創意あふれた絵と、熊斐(鯉)という独特な描き方の画家の存在を知ったこと、また狩野常信(亀)、狩野栄信(兎)もファンタジック系の良さ、そして最後の伊藤若冲(鹿)の驚きの構図です。
以下、それぞれの絵に対する私の印象をまとめます。
(1)応挙の鯉:これまで応挙の絵に対して勝手に思っていた固定観念(写実的な、現代の写真のような、面白くない絵)を揺るがした。現実にはあり得ないような鯉の滝登りだが、なぜか見入ってしまう。その描写に緊張感が走る。
けれども、この鯉の絵を見た時はまだ、「応挙というのは、もしかしたら凄い画家なのかも」という程度の認識。本書の後半で、ものすごい画家だということを思い知らされることになる(次回の記事で記述予定)。
(2)熊斐の鯉(図1)
同じ鯉でも応挙とはまったく受ける印象が違う。金子氏によれば、長崎で沈南蘋に直接絵を習った画家だという。この沈南蘋は日本の画家に多大な影響を与えたというが、このことも私のような者には江戸絵画を分からなくさせている理由の一つ。
熊斐という画家の名は、かすかにどこかで見た程度。しかしこの癖の強い絵は興味を惹く、今後注目していきたい。
(3)与謝蕪村の鶴(図2)
なんとも不器用なというか、上手いのか下手なのか分からない絵。しかし、俳画に繋がる描き方なので、このジャンルで今後考えて行きたい。
(4)長沢蘆雪の富士と鶴(図3)
一連の絵画の中で一番インパクトを受けた。その理由は、絵の現代性である。明治以後、日本の絵画は「洋画」と「日本画」に分かれ、「日本画」は西洋の影響も受けながら模索を続けた。
この絵は、明治以降の日本画家の誰かが描いたと言われても分からないのではないか。なぜなら、ここまで急こう配の富士を描こうとした画家はおそらくいなかっただろうし、何よりも、まるで飛行機の窓から眺めたような、鶴の隊列の上からの描写である。蘆雪はそれを想像で描いている。
さらに進んでくる鶴の最前線の鶴が大きく、最後尾の鶴が小さく描かれているのは、江戸時代でも普通のことだが、あきらかに鶴同士の間隔が前から後ろに行くに従って、短くなっていく、すなわち西洋式遠近法に従っている。
以上、飛行機の上からのような眺め、そして遠近法の使用が、まるで現代の日本画家が描いたかのように思わせる理由だと考える。
(5)狩野常信の亀(図4)、狩野栄信の兎(図5)
亀の絵と兎の絵を一つにまとめたのは理由がある。それは、作者が共に狩野派の絵師だから。しかも金子氏によれば二人とも幕府の奥絵師を務めたとのこと。私は、最初に江戸幕府に重用された狩野探幽以降の狩野派の絵師はまったく興味がなかった。なぜなら、教科書的には粉本主義により探幽以降は形式化したと習ったからである。
ところが、図4、図5の絵はともに、ふわふわとファンタジーのようで、形式化した絵とも受け取れない、なにやら雰囲気を持っていることで、はじめて狩野派の絵に興味を感じた。今後狩野派の絵も注意して見ていきたい。
(6)伊藤若冲の鹿(図6)
この麒麟のような長い首の鹿を見て、その上を向いた姿が目に焼き付き忘れられなくなった。永沢蘆雪と並んで、奇想の画家らしく人を驚かす構図である。
以上見てきたように、一見退屈に思われそうな江戸絵画は、動物というシンプルな題材だからこそ、画家は工夫を凝らし、どの絵も退屈どころか、飽きさせない絵画となっている。
本記事は、最後に次の余談を持って終わりたいと思います。
(余談)昨日、東京国立博物館を訪れ、本館にて次の二つの絵が展示されているのを見つけました。
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筆者撮影
そうです、あの狩野派の二人、狩野常信と狩野栄信の絵です。
もし、この記事を書いていなかったら、私はほとんど注目もせず通り過ぎたでしょう。二人の画家には悪いのですが、いかにもお手本に従った可もなく不可もない絵柄です。やはり、狩野派としては、スポンサーである権力者を意識せざるを得ないようです。
(記事、その4に続く)
前回の記事は、下記をご覧ください。