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今死にたいと思っている人へ

本日は、今死にたいと思っている人へ、というテーマでお話しします。

今回こういうタイトルなので、初めて僕のチャンネルを見る方もいらっしゃると思うので、軽く自己紹介させてください。

僕は早稲田で開業している精神科医でして、YouTubeを2018年の12月からやっています。

こんな感じでホワイトボードを使いながら毎日病気や精神科で語られる色々な話題を、診察室で話す内容を動画にしてるんですが、今回は死にたい人に向けて動画を撮っています。

これを撮っているのは2024年の12月なんですけど、動画が上がるのは12月末だと思いますけど、おそらくクリスマスに上げる予定なんですけど。

何て言うんですかね。

今年も色々あったなと思います。

これを撮ってる時にはまだあと1ヶ月あるんですけど、色々あったなという感じです。

様々な出会いがある一方で、やはり様々な別れがあって、色々な人が亡くなりました。

考えてみればこういう人たち亡くなったなとかあります。

友達、家族を含めて死を経験しましたし、こういう仕事をしてるので、患者さんが亡くなったり、患者さんの身内が亡くなったりという形で間接的に死と出会うということもたくさんあったなと思います。

子ども時代は転勤族だったし、その後、僕、自衛隊に入るんですけど、自衛隊も転勤が多いんです。

自衛隊を辞めて開業医になって、地域に根を下ろして生活していると、少しずつ知り合いが増えていってリセットされないんです。

人間関係があまりリセットされないので、少しずつ知り合いが増えていくと当たり前ですけど亡くなる、別れも増えるという感じです。

放って置いても人は死ぬので、癌であれ、事故であれ、心筋梗塞であれ、老衰であれ、認知症の事故であれ、人は亡くなるんですけど、出会いが増えれば死と出会うことも増えるということです。

ウチにも子どもがいるし、子どもの親を臨床する中で、死をどうやって語ればいいですか、死にたいという子どもに対して、もしくはもっと小さい子で死んだらどうなるの、と聞く子どもに対して、親はどういう風に答えたらいいんでしょうか、とよく聞かれるんですけど、なかなか迷います。

正解はないというか、その子に合わせてわかる言葉で伝えていくということになるんですけど、今もそんな気持ちです。

これを見てる人たちに対してどういう風に死を伝えていくのかというのはなかなか悩むというか、思います。

こういうチャンネルではあるんですけど、綺麗事をあまり語らず、精神科医というのは科学者なので、科学的な目線で死を語ってみます。


◾️うつ状態の時、どうればいいのか

基本的には、自殺を考える、死にたいなと思ってる時というのは、うつ状態というんです。

うつ病のうつ状態と同じです。

うつ状態なんですよ。

これがうつ病から来るものもあれば、産後うつだったり、双極のうつだったり、統合失調症のうつ状態だったり、色々あるんですけど、色々な合併症も含むという意味です。

うつ病だけに限らず、色々な病気の中であるうつ状態だということです。

うつ病だから死にたいというわけじゃなくて、色々な病気の中で死にたい、自殺を検討するということよくあります。こういう時はどうしたらいいのかというと、基本的には休む、考えない、周りの人に従うことが大事なんです。

死にたい時というのは正常な判断ができていないことが多いんです。

正常な判断で死のうと決意してる時はなかなかないですね。

基本的には精神医学の中ではないという風に定義されるほどです、あくまで。

例外はあるのかもしれないけど、それはなかなかないんです。

基本的にはやはり病状だったりすることが多いので、しっかり休んで治療していけば、そう思わないことが多いです。まずはこういう時期は休む。

休むのを優先させてください。

考えない。

周りの人に従う。

何かを考えてしまうんですけれど、そうは言っても、考えてはだめだと言っても考えちゃうんですけど、自分を責めたり問題解決に向かうような考え方をするよりは、自己肯定感を高めるようなこと、楽しいことだけ考える方がいいです。

うつ状態の時に辛いことを考えると、よりうつが悪化してしまうので。

そういうことです。とは言っても、やはり考えなければいけないです。

というのは、精神科の病気というのは色々な問題があって、その問題がストレスや疲労を生み、そしてこのストレスや疲労の蓄積によって脳が炎症してうつ状態になるんです。

問題解決をしなければいけないです、それが夫婦問題なのか、いじめなのか、会社のパワハラなのかわからないですけど。

うつ状態を良くしたら元の問題を解決しなければいけない、と。

ただ最初の最初はうつ状態の改善を優先させて、ある程度回復したら元々の問題のことを考えるということになります。

その目安なんですけど、この座禅、マインドフルネスを5分できるかできないかを目安にしてみてください。

一度この動画を止めてもらってもいいし、これ見終わった後でもいいんですけど、目を閉じて深呼吸をしてみてください。

深呼吸をしてると、だんだん呼吸に引っ張られて、心臓の動きもゆっくりとなり、脳が冷静になっていくんです。

こういう座禅の中で心をケアしていくということなんですけど、これを5分できない人は①番の状態という感じです。

おそらくこれを見ている人で、5分辛抱できない人が多いんじゃないかなと思うんです。

やっていてもどんどんどんどん嫌なことを考えてしまって、呼吸に集中しよう、座禅を組もうとしても嫌なことを考えてしまってウワッて目が開いてしまうんじゃないかなと思うんです。

こういう人はもう①番の状態なので、座禅すらできないので休んでくださいという感じです。

でも5分以上できるのであれば、座禅をトレーニングしていく。

その中で何か考えてしまっても呼吸に戻る。

何か考えても呼吸に戻る。

そういう中で頭というのは、こういうのをデフォルト・モード・ネットワークと言うんですけど、勝手に脳みそが自動で問題を整理してくれるんです。

無意識に整理してくれるので、無意識に委ねながら問題を整理していく。

自分の人生や問題と向き合う。

だけど、向き合い続けるだけだと成長はないし、問題解決になかなかならないんです。

学びも必要。

だから学びと向き合いのバランスを意識しながら、ただ座禅を組んでいってどんな問題があるかが明らかになるまで待つということが大事です。

待って、目標を立てて、計画を立てて行動修正していく、問題解決に直接切り込むタイミングが来るんですけど、それはどれくらいかというと座禅を組んだ時に30分以上できるかどうかです。

30分以上無音の状態、これができるのであれば、自ずと目標、目的が腹の中で落ちているはずなので、それに合わせて計画を立てて行動修正していくということになります。

もし計画を立てるのが苦手だったら、AIを使っててもいいので作ってしまうのがいいかなと思います。

人間とは何かというと、幸福になるために生きるわけじゃなくて、基本的にはこの脳みそというのは問題解決のためにあるんです。

動物たちができない問題解決を、人間は脳が肥大しているので解くことができるんですけど、我々の心は何のためにあるかというと問題解決のためなので、③番をやるということです。

問題解決を繰り返していく中で、寿命が尽きて死ぬという、ただそれだけなんですけど。

③だということです。

でも、調子悪くなったりすると、また②や①に戻るので、①~③を繰り返すということになります。

繰り返してると「守破離」と書いてますけど、僕の言ってる理論から離れます。

それは自然と離れていきますので、益田が言ってるのは嘘だろ、こんなの科学的な根拠あるのか、と言われそうですけど、ないです、科学的根拠は。

根拠を作るために論証していったり、臨床実験やアンケートを取ったり、統計調査してもいいのかもしれですけど、ないです。

これはあくまで臨床感覚でまとめた話なので、適度なタイミングで離れていってもらって構いません。

変わりますしね、時代と共に。

人間の価値観、体質も変わっていくので、あくまで僕の臨床感覚としての5分だということです。

という感じです。

ちなみにじゃあ益田どうなんだ?って言われますけど、この前こうやってたんですよ、ちょこちょこやるのがいいんですね。

ちょこちょこ空いた時間に座禅を組むのがいいんですけど、ちょっと一回、今まとまった時間やってみようかなと思ってやってたら、20分ぐらいしたら寝てましたね、僕も。

寝てて。

僕はまだ②番なんですよね。

疲れが溜まってて②番だったということなので、意外とその結果を見て確かにそうだなと思いました。

自分の中で腹落ちしてないというか、悩んでいることもあったので、③番には至ってないな、と。

心身ともに充実しなくて、やはり②番だなという風に思いましたけど。

そんな感じです。

ちょっと休んでもらって治療していくのがいいと思います。

精神科に行ったら必ず薬を飲めというわけではないので、気軽に受診して相談してもらったらいいかなと思います。

あと色々知ってもらいたいのでお話ししますけど、うつが酷い時というのはなかなか死ねないんです。

自殺が起きる時、自殺を試みる時というのは、一番酷い時よりはちょっといい時なんですよ。

軽い時ではもちろんないんだけど、中程度のうつの時に自殺を試みるということがあります。

ただ底まで落ち切ってしまうと死ぬ気力さえないし、良くなってきたタイミング、落ちてる途中のタイミングで自殺は起きるので、家族の人、周りの人が注意が必要だし、自分自身も注意が必要です。

上がってる最中で死んでしまうというのもあるんです。

もうちょっと上がって行ったら軽症なのに上がっている途中で我慢しきれずに、ここがきつかったから、上がっているとなった時に死んでしまうということもあるので、気を付けるということです。

自殺や自傷を試みると楽になるんです。

こういうのをカタストロフィ効果と言うんですけど。

救急でよくありますけど、ODをしたり、転落事故があった時に、一命を取り留めた後、妙に2~3日ぐらいはハイテンションだったり気分が良くなってうつから回復してることが多いんですけど、またストンと落ちます。

家族の人は良くなったのかな、反省したから大丈夫かなと思うかもしれないし、本人もそう思っているんですけど、やはり注意が必要です。

あとは嫌なこと考え続けると、死にたいと考えてると、それが固定化されて思い出しやすくなるんです。

漢字の練習と一緒で、漢字を何度も書いてるとすぐパッと書けるようになる、昔はなかなか書けなかったものが書けるようになるじゃないですか。

慣れると固定化されてしまうんです。

なのであまり考えすぎると、死ぬことばかり考えてると、考えてるだけですと言うかもしれないけれども、考えてるとそれが取れなくなってしまうので、考えないことが大事だし。

死ぬつもりはなかったとしても事故みたいに死んじゃうことが多いです。

暴走族の子たちと一緒で、ノーヘルで走っていても、今どき少ないんですけど暴走族自体は、死ぬつもりはないんです。

でも死んじゃうことがある、と。

そういうものも似ているので、自殺や自傷も、死ぬつもりはないんだけれども、本当の意味で、でも事故になってしまうこともあるので、注意が必要かなという風に思います。️

◾️なぜ治療に前向きになれないのか

でも、私はそういう風に仕方がないと思って生きていくことが難しいんです、とよく言います。

なぜ治療に前向きになれないのかというポイントを言うと、例えば双極症、統合失調症、アルコール依存症の人は、薬を飲むだけだったり、アルコール依存症だと酒を止めるだけなんです。

この「だけ」ができないんです。

他の病気の人からしてみれば、それくらいいいじゃん、みたいに思うんだけど、この病気の人たちはこれだけができないです、なかなか。

うつ病の人たちは仕事量を減らせばいいだけなんですよ。

出世を諦める、疲労のマネジメントをするというか、遊びを諦めるでもいいんですけど、このマネジメントの問題なんです。

それぐらい諦めたらいいじゃんと思うんだけど、周りの人はみんな思ってるんだけど、その人たちだけは思えない。あとカサンドラですね。

周囲の人たちとのコミュニケーションからうつになってく人の場合、自他の区別がついてないというか、自分も他人もできないことがたくさんあるんだけど、それが受け入れられないです。

他人は変えられないというこの限界性。

でも夫なんだから、親なんだから、家族なんだから、たったひとりの息子なんだからと思うかもしれないけど、やはり人は変えられないですよ、当たり前ですけど。

この人たちだけが受け入れにくいとか。

あと境界性パーソナリティ症の人たち、パーソナリティ症の人たちはそうなんですけど、空虚感というのがあるんです。

人間の心の中に虚しさみたいなのがあったり、あとトラウマがある人、愛着の問題がある人たちは、この空虚感があるんですけど、それはただ脳内であるだけなんです、言ってしまえば。

空虚感はあるかもしれないし、それは満たされないかもしれないけれども、ただ空虚感はただの空虚感で、周りにはご飯がいっぱいあるし、犯罪にも巻き込まれてなければ戦争にもなってないわけで。

ただ脳内の一部がすごく空虚であるだけなので、これが受け入れがたいというのもあります。

あと発達障害や知的障害の人たちは、能力のその部分が足りないだけなんです。

それで劣等感を感じたり、周りから馬鹿にされることはあるかもしれないけど、ただそれだけと言えばそれだけなので。

この「だけ」がわからないし、周りの人は。

僕たちもあるし、それくらいのことで、と思うんですよね、他の病気の人たちは。

でもそこの人たちはそれだけに集中してしまって苦しい、と。

あとはヒステリーや陰謀論を信じてしまう人たちは、この万能ではない科学や社会に対して仕方がないと思えないんです。

生きてるということはもう限界があるというか、どんな病気も治せることはないんだけれども、この「だけ」がなかなか理解できなかったり、いい会社、いい社会を目指してるんだけど、100%いい会社もいい社会もいい政府もあり得ないので、これがなかなか受け入れがたいというのはあります。

他の人は受け入れてるけれども、自分たちだけは受け入れてないものがあるので、こういうのにも注目するとメタ認知が鍛えられて(メタ認知とは何かというと客観的に自分を見る力、離れて自分たちや自分の現象を見る力ですけど)が育てられていいのかなと思います。

色々な死があるし、自分たちも周りの人の死を経験したりしながら、死というものがあくまでかなり身近なところにあって、1年を振り返ったので、何回か経験してるものだと思えるんだと思います。

まだ経験が足りない人、若い人たちは経験が足りない人もいると思いますけど、経験していくと何となくこんなもんなんだな、何となく自殺しなくてもそのうち死ぬんだなということがわかって気が楽になると思うので、理解してもらうといいのかなと思います。

◾️本日の宿題

今回の宿題は、せっかくなので今年あった死と出会いというテーマで、皆さんの思うところを書いてください。

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