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「労働の総合性」を回復する
ここ数日、更新が滞ってしまって申し訳ありません……(今日から盛り返しします)。と、謝ったうえで事情を包み隠さず書いてしまうと、12月に出る自分の本の校了が迫っていて、そのゲラ確認作業に追われていたのだ。その本というのは昨年まで『群像』に連載していた『庭の話』のことで、単行本化に際して大幅な加筆訂正……というか、後半はほぼ別物になってしまったために、膨大な作業が発生し、この1週間はほぼそれしかできなくなってしまったのだ。担当の横山さんや、装丁の川名潤さんには本当にご迷惑をおかけしました……と懺悔をしなくてはいけないのだけれど、この本は苦労した甲斐もあって僕のこの数年の集大成といえるものになっている。もしかしたら、これまで出した本で一番気に入っているのかもしれない。
内容としては、情報社会論という分類になるのだと思う。前半の山場は情報社会論からの(社会思想家としての、つまり『暇と退屈の倫理学』や『中動態の世界』の著者としての)國分功一郎への応答で、後半はプラットフォーム資本主義をどう相対化するか(うまく付き合っていくか)という大きな話を、都市開発や労働といった小さな、身近な問題をヒントに考えている。
もう少ししたら表紙や予約ページも公開になるはずなので、改めて紹介したい(この本については、いろいろな分野の人と議論したいと思っている)。
さて、今日はその上でこの『庭の話』をまとめるうえで考えてたことの一部を書いてみたい。それは端的に言えば「労働」についてだ。
僕はなんというか、自分にはこの仕事が向いていると思う。結果としてたどり着いたスタイルだけれど、自分の考えを書いたり話したりすることで食べていく、というのは得意なことを活かすという意味でも正解だったと思うし、夢中になれるくらい楽しいことの一つなので、忙しくてもあまり不幸に感じないで済んでいる。ただ、そのせいで労働と自己実現の問題についてそれほど悩んでこなかったことを、今回「労働」について考えるなかで痛感したのだ。
そして今、僕が大事だな、と思い直しているのは「労働」の「総合性」のようなものだ。僕はよく、若い人の相談などに答えて「生業は生業、自己実現は自己実現、たまたま合致すればいいけれど分けて考えてもいいのでは」とアドバイスすることが多かった。それは関西のサラリーマンだった自分が同人活動が注目されることで世に出た経験から考えたアドバイスで、もちろん間違っているとは思わない。実際に仕事で自己実現しないと(夢を仕事で叶えないと)だめだという「呪い」は強い。しかし、今回『庭の話』をまとめるにあたって、「労働」という回路にいろいろな側面を与えることで、社会はかなり豊かになるのでは……と考えるようになったのだ。
たとえば僕がこの本で考えたことのひとつに、ものを「つくる」こと自体の楽しさを知っている人は意外と少ないという問題がある。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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