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「所有から関係性へ」の重要性と、それでは解決できない問題のこと
今日は「対幻想」(1対1の関係)について整理したい。これは明日発売(早いところだと今日から本屋さんに並んでいるはず)の僕の新刊『庭の話』でも取り上げた問題なのだ。実のところ僕はもう、次の本を準備しはじめていて、そこで中心的なテーマとして取り上げたいと思っているのがこの「対幻想」の問題だ。だから今日はその来たるべき「対幻想論」の助走的に、話の前提のようなものを改めて整理しておきたいと思う、
吉本隆明は全共闘運動のイデオローグとして、当時の若者に絶大な影響力を保持していた。吉本は60年代末から70年代初頭にかけての「政治の季節」の終わりに、若者たちが髭を剃り、髪を切り、ヘルメットを脱いでネクタイを締め、運動という非日常から労働者としての日常に回帰することを正当化するための理論を用意した。具体的には、マルクス主義を捨て、資本主義社会の中で生きることを選ぶ「転向」を正当化する理論を与えたのだ。
では、その理論とは何か。それは自己を支える価値を共同幻想(この場合はマルクス主義)ではなく、対幻想(この場合は家族)に移行すること、そしてそれによって共同幻想から「自立」することだ。言い換えれば、革命のために生きるのではなく妻子のために生きることを、吉本は唱導したのだ。正確には、否応なくこの選択をしていた若者たちの生き方を正当化する論理を、吉本が与えたのだ。
しかしこの吉本の「自立」の戦略は失敗している。吉本の唱導した「自立」を果たした当時の若者たちは、職場では組織の「犬」として、あるいはネジや歯車のように思考停止した「部品」として、その共同体の中に埋没し、自分で考えることを放棄していった。この創造性を欠いた主体を量産したことは、現代の情報産業を中心とした市場において、日本企業とその構成員が価値を生み出せずに失速し、「失われた30年」を生んだの最大の原因として広く指摘されている。
そして同時に彼らは家庭では配偶者を専業主婦として家庭に閉じ込め、女子の高等教育には消極的な(戦前よりはいささかマイルドになったものの)女性差別的な社会を温存する戦後日本的「標準家庭」を形成していった。これも、現代日本の深刻なジェンダーギャップの原因として広く指摘されている。
吉本の衝動した対幻想に依拠した自立は、家父長制を延命するーーこのフェミニズムや家族社会学は、この問題を乗り越えるために、別のかたちの対幻想を模索し続けた。
たとえば上野千鶴子は対幻想に依拠した「自立」そのものは肯定する。しかしその対幻想が性愛から家族形成へと発展することが、家父長制を延命し、共同幻想を形成することを批判した。そのため上野は、対幻想は性愛に留まり続けるべきだと主張したのだ。
上野のこの批判のように、対幻想を家父長性的な相手を「所有」するモデルを批判し、相手との関係性を試行錯誤しながら再構築し続けるモデルを提示するという議論は、吉本批判から離れた一般論として、広く展開されている。
「所有」の対幻想から、「関係性」の対幻想へーーまずはこの主張に、全面的に同意したい。しかしここで同時に、果たしてこの「所有から関係性へ」の移行により、吉本の陥った罠を解除することは可能なのか、という疑問を挟みたい。より公正な対幻想を模索することは、無条件で肯定されるべきだ。しかしこのより公平な対幻想は、つまり「所有」の対幻想ではなく「関係性」の対幻想は吉本の陥った罠を回避できるのだろうか?
吉本の陥った罠は、前述したようにより正確には二つの問題に分解できる。ひとつは、家父長制を延命させる副作用に無自覚であったことだ。これは上野をはじめとする、「所有から関係性へ」というべき対幻想の洗練で解除できる。
しかし、もう一つの問題はどうだろうか。資本主義は人間の分人的な側面を発揮させる。人間がある共同体と別の共同体で、まったく違う振る舞いをするーーといったことは、社会の規模と複雑性が増すと、ありふれた現象になる。
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