大人たちはいつから子どもの目を失うのか
私は、先日とある授業で1本の動画に出会った。
2分弱で見終わるので、まずはぜひ見て欲しい。
何をどう感じただろうか。
私は、何故かはわからないが少し苦しく涙が出そうになった。
この動画は5年前に投稿された、フランスの障害者支援団体が行った障害者に対する大人と子どもの違いを表した社会実験であるとされる。
次々と画面上に出てくる人物の表情をそっくりに真似していく両者。しかし、最後の人物になった瞬間。
突然、大人だけが真似をするのをやめる。
なぜだろう。
最後の人物が...
「普通じゃない人だから」か?
「かわいそうだから」か?
「しょうがい者にみえるから」か?
本人に聞いてみないと本当のところはわからない。
けれど、少なくとも手を止めた理由が大人にはあったのだ。
それまでの人と何も変わりを感じることなく、
違和感を抱くこともなく、
真似し続ける子どもには、
思い浮かばない"何か"が大人にはあるのだ。
もし自分がこの場にいたらどうするだろうか。
子どもの私と大人の私。
今は半分ずつが存在している気がする。
頭ではわかっていても、手を動かすかはわからない。
考えた末、困惑したり躊躇したりするかもしれない。
私はそれ自体が悪いことだとは思わないが、今の社会で「フツー」の大人になるとはそういうことなのかもしれない。自分は瞬時に真似することを続けられない側にきたんだな、と。だから少し胸に隙間風が吹くような、そんな気持ちになったのだと思う。
何が正解で、何が不正解かではない。
一概にどうすることが正しいかという話ではないと思うからだ。それよりも、自分の身の回りにいる人たちや、自分とは全く異なる姿、価値観をもつ人々と共に生きていく社会において、自分が何を感じ、それをどうしていきたいかを大事にしたい。
自分以外は皆、他人である。
故に他の人の気持ちを100%理解することは不可能なのだ。
だからこそ、想像力をつかって相手を思い遣ることや考えることをやめてはならないのだとも思う。
100人いれば100通りの生き方があって、100通りの「個」がある。全てを受け入れられなくとも、それぞれを尊重する姿勢であるために、まずは自分自身の存在を認めたい。
比べることなく価値ある自分に気づく人でありたい。
Let’s see the difference with the eyes of a child
子どもの目で違う見方をしてみよう。
最後に表示されるこの言葉。
自分は今、メガネをして世の中を見ていないか。
改めて考えさせられた時間であった。