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[未亡人の十年]_008 夫の上司は言った。 「くそ忙しいときに死ぬなんて本当に迷惑!」
こんにちは、ある未亡人です。
第8話をお届けします。
葬儀の打ち合わせで起きた出来事を書きました。
夫を亡くしただけでも衝撃を受けており、
葬儀の内容を決めるのもつらかったうえに、
夫の上司からはげしく恫喝され・・・
という内容になっております。
予備知識として、以下を記しておきます。
☆配偶者との死別後に経験したストレス
死別後の行事や手続き……71%
一人暮らし……55%
心ない言葉や態度……38%
経済的問題……36%
親戚とのトラブル……34%
家族の問題……14%
(2001年、坂口)
わたしは、
ここにあるすべてを経験しました。
それでは、第8話のスタートです📍
📍これまでのあらすじ📍
夫が突然死にました。
報せが届いたのは一日後、メールで届きました。
(どうやら社内にいる愛人が見つけたらしい)
愛人が見つけ、過労死疑いがあることから、
夫の会社からはわたしではなく、
義両親のほうに連絡をしました。
情報がなく、まる一日の遅れをとるなか、
なんとか頼み込んで<夫>に会うことができました。
義両親は夫の死を、
わたしのせいにしようとしているようです。
困りながらも、状況はすすむ。
妻であるわたし抜きで、
すでに葬儀の日取りは決められていました。
アタマの中は疑問だらけで、
とりのこされないようにするのがやっとだったけれど、
なんとかお願いして、
葬儀打ち合わせに参加することになりました。
その日から5年間、
一睡もできなかった。
🦋
夫の死を知った日の夜。
わたしは一睡もしないまま次の朝を迎えた。
夢じゃなかったらどうしよう。
ベッドに入ったものの、眠るのが怖かった。目が覚めて、夢ではなかったのだとわかる瞬間が、どうにも耐えられないような気がした。それは、「また夢になるといけねえ」という、落語の「芝浜」の逆の境地だった。
夜が明けるまで、天井を見ていた。
いろいろなことを考えた。
夫との記憶や最後に会ったときにきいた彼の思い。
どうしてこんなことになったのか。
これからわたしはなにをすればよいのか。
わたしたちはほんとうに夫婦だったのか。
会ったことじたいが間違いだったのではないのか・・・。
何度も、泣いた。
波が押し寄せるように、涙は何度でもあふれてくる。
タイムマシーンがあったら、などとかんがえる。
戻るのは最後に会った二日前ではなく、
最初から彼とは出会わないような工夫をこらしたい。
かんがえても仕方ないことが自動的にアタマにうかぶ。
わたしと出会わなかったほうが彼は幸せだっただろうし、
長く生きられもしただろう。
そのようにおもったし、いまでもそうおもっている。
けっきょく。
「先に死んだほうが化けて出る」という約束は守られなかった。
というより。
夫は、金輪際、わたしのところには出てこられないだろうな。
そうおもった。
『同級生まわりで誰か、葬儀のことを報せてほしいひとっている?』
電話でA子にきかれたとき、大急ぎで考えてみた。けれど、わりあいにすぐ、多くに知らせなくてもいいと思ったのだった。誰かの訃報に接した折などに、その流れで夫婦で話し合っていたのを思い出してのことだった。
夫もわたしも、学生時代のクラスメイトの結婚式やウェディング・パーティには数多く出席したものだったけれど、だからといって自分の配偶者の不祝儀に声をかけるかといえば気がひけた。かなしい行事のトップバッターであることに戸惑っていた。
『そうだね。親御さんの訃報はまあまあ経験もあるけど、世代が横並びの配偶者のお葬式って、みんなも今回が初めてじゃないかな……』
A子が言った。
「横並び」という言葉がこころに刻まれた。わたしは夫を亡くしたそのときまで、近しい友人を亡くしたことがなかった。
いま思うと、その夜は眠れなかったうえに、食事も取らず、パソコンを開くことすらしなかった。
インターネットで葬儀についての検索などをするべきだったかもしれない。そうすれば、そのあとに想定される困難を多少なりとも把握できていたかもしれない。
さらにいえば、書店に立ち寄って、葬儀についてのマニュアルなどを購入して、読み進めることだってできたかもしれない。
その程度のことがどうしてテキパキとすすめられなかったのだろう。
いま悔やんでも仕方のないことだけれど、その晩のわたしのアタマは、夫の死の報の衝撃のあまりに麻痺してしまっており、理性的な行動がまったくとれなかった。
どんなときでも、朝はやってくる。
そうして一睡もしないで迎えた翌日。
葬儀場での打ち合わせは10時からだった。
食欲はまったくなかった。
というより、「食べる」という行為がまったく意識にのぼっていなかった。
昨日訪ねた葬儀所に行くと、前日の印象よりはしかるべき建物であることがわかった。
古びてはいたが、いくつかの建物がある葬儀所で、そのあたりではもっとも大きな会場であり、近隣に住居のある夫の会社のかたの葬儀も行われてきたこともあとから知った。
打ち合わせの部屋はちいさな応接室だった。
低いコーヒーテーブルを4つの椅子が囲んでいる。
逆に、昨夜あてがわれた部屋がなぜ無駄に広かったのか、
もしかして夢ではなかったのかと疑うほど、狭い応接室に通された。
部屋に入ると、義母と義妹が先にいた。
義父は具合が悪いので来られないとのことだった。
そこに、義父の妹が加わった。
わたしからみると、「義理のおばさん」と言うのか、地元の有力紙の創業者一族に嫁いだ裕福なかたで、なぜか夫の実家のイベントに必ず現れては金銭的な援助をしていた。
彼女からみれば<甥>を亡くしたことになる。大量のゆで卵やら、切った果物やらを持参し、タッパーごとわたしたちにすすめてくれたが、その場の誰にも食欲がなかった。
おばさんのゆで卵を断りつつ、わたしはやんわりと切り出した。
「あの、喪主なんですけど、わたしがやろうとおもうんです」
「でも……喪主はうちのひとがやりたいって言ってるのよ」
義母は狼狽しはじめた。
「喪主として、挨拶をしたいって」
あとから知ったのだが、義父は出版社のかたたちが集まっている告別式の喪主挨拶の場で、自分が書いた文章を読みあげたかったそうだ。そういえば義父は投稿マニアで、さまざまな投稿欄や雑誌の投稿コンクールに応募していた。
しかし、体調が悪くてこの日の打ち合わせにも欠席するほどなのに、はたして義父が喪主をひとりで務められるのか、その一点だけが心配だった。
正直なところ、喪主という立場はほんとうにどうでもよかった。
なんのプライドもなかった。
さんざん<ゲスの勘ぐり>というものをされてきたけれど、本心からこうおもっている、めんどくさがりの妻もいる。これも多様性である。
ふだんから<儀式>というものを重視していない自分であるし、できれば人前で挨拶なんか一生したくないとつねづねおもっている。
やりたいと願う誰かがやってくれるのであれば、むしろありがたい。
義父本人が喪主をやりたいのであれば、もし倒れても本望なのかもしれない。
ぜひともやっていただこう。
そうおもったときだった。
「喪主は奥様がおやりになったほうがいいですよ」
葬儀所の担当スタッフのかたが言った。
「そうでないと、ものすごく不自然です。
ただならぬ印象を、参加したかたたちは必ず持ってしまいます。
葬儀ではできるだけ、
想像の余地や違和感を抱かれないほうがいいですよ。
今後のためにも、絶対にそうされたほうがいいです」
葬儀のプロ(以下、担当プロ)が、
わたしたちのようすをみかねて口をはさんできたのだった。
「それは・・・そうですね。
わたしが喪主をやります」
わたしが宣言すると、担当プロはホッとした笑みを浮かべたが、義母はあからさまに慌てはじめた。
夫の上司に何か言われてしまうのではないかとおびえていたのだった。
そこに、絶妙なタイミングで電話がかかってきた。
担当プロの携帯に、夫の上司から電話が入ったのだった。
電話口から激しい怒声が漏れきこえてくる。
担当プロは怒鳴りつけられるにまかせ、すっかり弱り切っている。
担当プロは50歳くらいの、職歴だけでなく人生経験もありそうな風情の男性だった。
いま、関係者の目の前で、そのプロが一市民から怒鳴られ、困った表情で状況に耐えている。
察するに、どうやら、社内からアルバイトを出すので、受付に何人必要なのかとか、道案内に立つ人員は何人くらいなのかなどが矢継ぎ早に問われているようだった。
感謝こそあれ、怒鳴りつける要素などあるだろうか。
これから数日にわたる先がおもいやられた。
・・・逃げだしたい。
もともと、わたしには死の連絡すら来なかったのだから、もし逃げてもなんの影響もないだろう。
一瞬、そうおもってしまった。
わたしは・・・。
自分に先行する世代の女性たち、いわゆる男女雇用機会均等法のなかった時代を生き抜いて、職場でたたき上げられてきた、ある種の女性たちのことがとても苦手だ。
Xさんのようなひとたちを<猛女>と名づけ、避けてきた。
いまなら完全にアウトだが、当時の出版社にはパワハラ上等な猛女だらけだった。
戸惑いながらようすをながめていると、電話は義母にまわされた。
社内イントラに流すので、喪主の名前の表記を確認したいとのことだった。
義母は困惑した表情で、すみませんと初めに詫び、喪主を変更したいと告げた。
電話口から、「かわってちょうだい」というきびしい声が聞こえた。
すると、わたしが電話に出るなり、怒声が降りかかってきた。
「あなたね、なにを意地になってるのよ〜〜〜!!!!」
はあ? 意地・・・?
ほんとうに、なにを言われているのか、わからなかった。
怒鳴られた衝撃もあったが、文脈についていけない。
しかし、じゃっかんでもアタマが働いて、
彼女のなかで、愛人問題が大きいのだとわかった。
「意地って、なんのことですか?」
わたしは穏やかに言った。
おそろしいほどに、気持ちが澄み渡っていた。
すると相手は、一転して、ひるんだ。
「まあ・・・あなたとは、一度ゆっくり、話したいわ。
まあ、しばらくは無理でしょうね。
でもね、年末のこんなにくそ忙しいときに死ぬなんて、
ほんっと〜に迷惑なのよ。
・・・あなたが死ねばよかったのにね!」
夫の上司はいまいましそうに吐き捨てた。
わたしにも親がいるんですけどね。
言葉には出さなかったが、そうおもった。
こんな発言をするひとを夫は放置していたのか。
それなら、夫は過労死ではなく、
パワハラをゆるしていた加害者側ではないのか。
わたしは、夫が入社したときから20年以上にわたって、彼女といっしょに同じ部署で働いてきたことを知っていた。彼女に会ったことは一度もなかったけれど、わたしもそのレーベルで本を出していたことがあった。
そのときは静かに、そういったことだけを彼女に告げた。
「Xさんにはほんとうにお世話になりました」
最後にそう言った。
すると、彼女は「もういい。最初の人にかわって!」と怒鳴った。
担当プロに電話を渡すと、彼女は、わたしに喪主やらせないよう交渉しはじめたようだった。しかし、もちろん、それを決める権限は担当プロにはない。
担当プロは弱り切った表情でわたしを見つめたが、わたしは首を横に振った。
もう一度彼女と話すつもりはなかった。
そうして、結果としてはXさんが半分折れ、喪主がふたりという、担当プロ言うところの<もめている感満載>の告知がされることになった。
というか、なんの相談もなく、勝手に連名で載せられたのだった。
しかも、たまたま義父の名前が女性にありがちなものだったため、
わたしの友人たちでさえも、
姑と嫁がもめて連名で喪主をつとめてるって、
・・・なにがあったの?
そのように受け取った者が多かった。
しかしながら、その日、
大変だったのは夫の上司であるXさんへの対処だけであった。
驚くほどおだやかに葬儀の内容は決まっていった。
決めるのは、部屋や祭壇の大きさ、お花の配置と数、用意する食事の数などなど。
粛々と、決めるべきことを決めていくだけだった。
そして、決めるべきことが目の前にあることはとてもありがたかった。
わたしはきのう、夫の死を知った。
そして今日はもう、決めるべきことに向き合っている。
とつぜん穴に落ちながらも、なんとかやっている。
葬儀の国のアリスである。
悩ましかったのは、葬儀の部屋の広さを選ぶことだった。
いちばん小さい部屋と大きな部屋とのあいだにはひとつのタイプしかなくて、そこはおもいのほか祭壇が大きかった。
お花で埋めないと、さびしいことになります。
担当プロがにこやかに言うのである。
3つしか部屋がないなんて、葬儀代を高くする策略ではないかとおもえた。
贈っていただく花の数は、まったく想像がつかなかった。
しかも、花の手配は今この場でしないと、あとからではできないという。
お花屋さんとのコラボレーションなのだろうか。
そのコラボに負けたわたしたちは、親戚の名前をフルに駆使しつつ、自腹で花を手配したのだった。
これは・・・見栄というのか、空間が埋まらない恐怖というのか。
イマジネーションが伴わなくて、恐怖だけが先に立った。
会場を見せてほしいと頼んだが、見せられないという。
その日は友引で、空いている会場もあったはずだが、写真だけを見せられた。
写真で見せてもらった会場は、古びていて、花のないようすを想像すると、余白とは言えない空間が恐怖でしかなかった。
ホテルで披露宴をした友人がよく、花にお金がかかったというエピソードを話していたのをおもい出した。
「結婚式は一生に一度のこと」などというけれども、生きていれば何度だってできる(例:神田うの)だろう。
葬儀こそがほんとうに、故人にとって一死に一度のことである。お金ですむことならとおもったが、値段の違いがあからさまな設定になっており、悩ましいところだった。
そんな悩みどころもあったけれど、力を合わせ、1時間ほどですべてが決まった。
あっけなく決まってしまった、というのが正直なところだった。
わたしたちは葬儀所を出て、近くにあったファミレスに入った。
わたしはそこでもまったく食欲がなく、頼んだものに手をつけられなかった。
義母が、パスタを食べながら、何度も同じ話をしていた。
会社から報せを受けたところから話が始まり、タクシーで夫婦揃ってマンションに駆けつけたこと。数万円かかったという、その具体的な値段。車中での不安な気持ち・・・。
何度聞いても、涙が出た。
が、数回目でハッとなり、あることに気づいた。
「夫の友人に、連絡しましたか?」
大事なことを忘れていた。
「友人が誰なのかも知らないけれど、マンションから携帯を持ってきてしまった」と義母が言った。
義妹がなかを見てみたが、よくわからなかったという。
夫の携帯はいわゆるガラケーだし、暗証番号も設定されていない。
中身を見たのなら、当然、義妹は愛人のメールも見ただろう。
そうおもって、かまをかけてみたが、どうやらほんとうに見ていないようだった。
その場で携帯を返してもらい、わたしが夫の友人たちに連絡することを約束して、その日はお開きになった。
帰り道はひとりだった。
正午の陽射しの中、駅のホームのコンクリートがやけに長く、白かった。
疲れがどっと押し寄せ、しばらくその場に立ち尽くした。
動けなかった。何十分、そこでそうしていたのだろうか。
ただ立っていた。
携帯に、夫の同僚から電話が入って、我に返った。
きのう、死の連絡をくれた同僚だった。
彼は言った。
「さっき、社内イントラで発表があって、見たけど、
喪主が連名になってたね。
それとさ、葬儀場が遠くて、みんな文句言ってるよ」
なんなんだろうな。
このひとも、夫の上司も、まったく、どうかしている。
そして、切ったあとで、おもった。
夫はあの上司を看過していたのだろうか。
職場の風土に夫自身も加担していたのか。
自死した先輩があの上司のもとで2名出たのに。
夫はそのことでショックを受けていたけれど、
そのあともひきつづき、アレをゆるしていたのか・・・
力が抜け、ホームに座り込んでしまった。
そのまま、電車を何本も見送った。
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