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見えない敵

雨に濡れている時、一緒に濡れて欲しいとは思わない。
傘を貸してほしいとも思わない。
でも一緒に軒下まで走っていって「ずぶ濡れだね」って笑いあいたい。

お暇中、そんなことを考えていた。

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今抱えている葛藤を辿っていくと、自分は何のために生まれてきたのかというところまで話が遡った。望まれてようやくできた父方待望の初孫にして、母方では末の孫。生まれてきたことを手放しで喜んでくれた人は、自分で言うのもなんだが、きっと多かったのだと思う。

ただ、可愛がられる以上に期待されたものも大きかったな、とも思う。
いい悪いの話ではなく、そういう星のもとに生まれたというだけのこと。
そう捉えて、あまり深く考えずにここまでやってきた。

そうもいかなくなってきた頃、気づけば私は一人で戦っていた。
孤軍奮闘する中で、心の拠り所になっていたのは幼かった頃の思い出だ。
共働きの両親が連れて行ってくれなかった所に、祖母はよく連れて行ってくれた。新しいものや珍しいものを否定しない、賢くて知的好奇心旺盛な昔の言葉でいうハイカラなおばあちゃん。

女性だからといって、金銭的に自立することを簡単に手放してはいけないと教えてくれたのも祖母だ。文章やエッセイを書く楽しさを教えてくれたのも、思えば祖母だった。少なからず私は祖母を、ロールモデルにして生きてきたところがあるのかもしれないと思う。

両親が祖母に対して抱いている思いと、私が祖母に抱く想いには乖離がある。それは関係性として仕方のないことだと、頭ではわかっている。
父にとって祖母は良い母親ではなかったのだろうし、私が母に対して抱く思いを考えると、父の気持ちも無碍にはできない。

同じ話でも違う角度からみると、全く異なる物語がそこにはあるのだ。
私が知っている祖母と、父や母からみる祖母はきっと随分違う。

両親には両親の人生があるので、それ以上求めるのは間違っているのかもしれない。けれど、放っておけばいいという言葉とは裏腹に、私が二人にかけている時間はじゃあなんだというのだ、ということもわかって欲しい。
もし、私が両親にかける時間も不要だというのであれば、それ以上何も言うつもりはないけど、そんなことはないから割り切れずにいる。

両親の肩代わりをするために生まれきたとは思いたくない。
祖母のことも悪く思いたくない。

そんな葛藤の渦に飲み込まれながら、どうにかもがく日々。
私は一体、今何と戦っているのだろうか。



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小春ゆら
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